原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ランニング趣味を甘く見ると痛い目に遭います…

2012年07月07日 | 自己実現
 原左都子が2,3年程前より“ランニング”を趣味の一つとしていることに関しては、当エッセイ集本年2月のバックナンバー 「来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!」、及び同4月に公開した 「ただひたすら『走る』ことの効用」 において既述した。

 その後この趣味はまだ続いているどころか、蒸し暑さが急激に襲って来た夏の現在においても、熱中症を警戒しつつノリノリに続けている。

 我が趣味は多方面に渡って数多かれど、その実行回数からランク付けると、週1のペースでコンスタントに実施しいている“ランニング”こそが現在堂々たるトップの座を誇っているとも表現できよう。
 今となっては私の生活には欠かせない一時の貴重な時間と言える程の存在に昇格しているのが “ランニング” なのである。

 
 私の場合、何十年来の趣味のダンスを楽しむ目的で入会したスポーツジムに於いて、“ついでに”ランニングマシンにでも乗ってウォーキングでもしてみようか、とのきっかけから事が始まった。
 ところが周囲を見渡すと、ジム会員の皆さんは汗だくになりつつランニングをしておられるではないか。 負けず嫌いの私としては、年寄りのごとくのんびりとウォーキングなどして済まされる訳があるはずもない!
 とは言え“ジョギンク”ペースからのスタートだったため少しずつスピードと時間を延ばして行き、ジムを退会する時にはランニングマシン上で30分程走れる程度だった。

 その後“ジョギング”練習の場を総合体育館に移動し、体育館室内に整備されている1周172mとの短距離、しかも距離計算上中途半端な周回コースを何十周も回るという手段でランニングを楽しみつつ、既に半年以上が経過した。
 たとえ室内の走路であれ、実際に地面を蹴りつつランニングする事とはジムのランニングマシン上で走るという動作とはまるで別物であり、人間としてこの世に生まれ出た原点に返ったかのごとくの快感を与えてくれる事態であったことに関しては、バックナンバーでも綴っている。

 現在“ランニング”ファンが激増している事態に関しては、実に同感させられる思いだ。 人間にとって生まれながらに与えられた二本足を自分の力の限り前進させていく動作とは、何にも増して感激的なのである。
 そんな感動をバックにしつつ、私の場合当然ながら自己判断のみに基づくトレーニングである。 それでも少しづつ距離と時間を延ばしながら“ランニング”練習に励んできた原左都子だ。


 そして室内トレーニング走路で10km程の距離が走れるようになった私は、近い将来マラソン大会に出場するためには、どうしても野外でランニング練習をするべきと素人なりに考えた。
 早速6月下旬頃、ランニングに適した気候条件の日を選択して自宅近くの陸上競技場を併設している大規模公園へと出かけた。 競技場外周がちょうど500mと計算が簡単な場で、私は初めての野外ランニング練習をそこで実行することと相成った。
 これがまた快適なのだ。 一生懸命走っている私に「頑張っていますね!」「タフですね!」などと(お年寄り男性?を中心に)お声が掛かるではないか!  すっかりマラソン選手にでもなった気分の勘違い私は、「ありがとうございます!」などと周囲の応援に手を振り応えながら調子付いてしまった…

 何だか足の指先が痛むと思いつつ自宅に帰って足指を見ると、両足第一指、第二指がゲロゲロの内出血状態だ…。
 実は左足指に関しては、屋内走路ランニング時より内出血症状が既にあった…  何分、元医学関係者の私である。 「こんなもん、直ぐに治るさ」と自分を慰めながら、そんな事よりも我がランニング趣味を貫く精神力こそが今こそ我が身を助けると信じていた。

 その後、まだ痛みを抱えた“内出血足指”を総合体育館のスポーツインストラクター氏に一見して頂いたところ、「重症ですから、すぐに専門医にご相談下さい。 屋内のランニング走路の場合専用の柔らかい床となっています。 おそらく突然慣れない外の固い地面を走ったため脚に負荷がかかったのでしょう。」との回答である。 加えて、「10km程の長距離を走りたい場合、専門のランニングシューズを履くべきです」とのアドバイスだった。


 そのご意見に、ガッテンの原左都子であるものの…。
 
 インストラクター氏には申し訳ないが、元医学関係者である私の場合専門医に相談せずして“足指内出血状態”に関する今後の対策に関しては、ある程度自分なりに方策が立てられる気がしていた。

 一方、“ランニングシューズ”に関するアドバイスに関しては実にその通りであろうことを実感したのだ。
 早速、シューズ専門店を訪れた私だ。 その店舗で私の足に“バッチリ、ピッタリ”のランニングシューズを店員氏のご指示によりゲットしてきたのだ。
 昨日、体育館トレーニング走路でこの“バッチリ、ピッタリ”のシューズを着用して走ったところ、今まで私が履いて走っていたシューズとはまったく“別物”で断然心地よいことを実感させられた次第である。
 とりあえず柔らかい室内床との条件ならば、ここしばらくはこのシューズで私は足指内出血を気にせずに我がランニング趣味を全うできそうな感覚だ!


 もうすぐロンドンオリンピックが開催される。
 出場する選手の皆さんはその指導者を始めとして主治医や栄養指導員等々、専門スタッフの専門力を自身の力としてその技術と力を競い合うのであろう。
 
 単に庶民の立場でランニングを趣味としている原左都子であるが、今回足の指を内出血させたことで、選手本人は元より周囲でサポートするべく専門団体の支援力の程が身に滲みる思いがする。

ネット上の人付き合い、何がそんなに面白い??

2012年07月05日 | 時事論評
 先だって、20代の母親が1歳の三男を“ネグレクト虐待”により死に至らせた事件が発生した。
 報道によると、なんでもこの母親は子育てを放棄して夜な夜なネット上のチャットに興じていたらしい。

 子育てとは母親にとって過酷な程の使命を背負われる厳しい労働であり、時にはエスケイプして別世界で気分転換したい思いに関しては、私も同じ現役母親の立場として重々理解可能である。
 そのエスケイプ対象がこの母親の場合ネットであった事についても、決して全面的に否定する訳ではない。

 それにしても、ネットでのおしゃべりの何がそんなに面白いの??  と言いたくなる原左都子の私見を、この記事で述べさせていただくことにしよう。


 私にとっての本格的なネット経験はこの「原左都子エッセイ集」のみであり、現在に至って尚それ以上でも以下でもない。

 今から遡る事5年程前に本ブログ「原左都子エッセイ集」をネット上に開設した時点では、時代背景的にもさほどのネットコミュニティ組織らしきものは存在しなかった。(私がその分野に関して無知だっただけの話なのだろうが…

 ブログ開設後1ヶ月程経過したころ、ネット上に“ブログコミュニティ”なるものが存在する事を発見した。 訳が分からないまま恐る恐るそれに登録したものの、一体何を目的とする組織なのかも有効な使用方法も分からず放置したままにしていた。
 そうしたところ、「読者登録」とやらがぼつぼつと到着し始める。 中には丁寧な文章を添えて我がエッセイ集を高く評価して下さるアクセスもあるではないか!
 これはやはり感激である。  そういう方々にはこちかから御礼返答をする事を憶えつつ、私なりにコミュニティを有効利用していった。 その後あれよあれよと言う間に「原左都子エッセイ集」の読者登録が怒涛のごとく押し寄せ、当時コミュニティ内部のみで400人を超過する読者の方々に支えられるに至った。 開設後1年半頃までの話である。
 その間、確かに一ネット利用者としては面白おかしく楽しい日々が経過した。

 ところが何事も“楽あれば苦あり”であるのが現実だ。
 コミュニティ内読者登録が急増するにつれ、歓迎しない反応も増え始めるのは世の常というものであろう。
 我が「エッセイ集」とは何ら関係のない反応も多発する事態と相成ったのである。
 アフィリ目的者は「ポチお願いします!」の一辺倒だ。  これに関しては無視すればそれで凌げる場合が多いため、対応は簡単だ。
 男性からの「お付き合いして下さい!」との嘆願に関しても、長い独身時代を過ごし“その道”に関して海千山千の私にとってはまだしも可愛気がある反応との感覚だ。
 肝心要の「原左都子エッセイ集」の記事内容に対する各種ご意見や反論は元より大歓迎だったものの、同時に“誹謗中傷”アクセスも多発するのが運命というものでもあろう…。 ただこれに関しては胃を痛めつつも、著者の立場として誠実に対応させて頂いて来たつもりだ。
 私が一番頭を悩ませられたのは、「原左都子」の存在自体に対する誹謗中傷であった。 (一度として会った事もなく私という人間を知りもせずして、何でネット上で受けた印象のみで無意味にバッシングされねばならないの??)との理不尽な思いばかりが募ったものだ…  これこそネットという世界における一番の痛手と実感させられた。  要するに相手にとって“癪に障る”対象という事なのだろうが、この種の反応に辟易としつつも、ネット上に(たとえペンネームであろうが)一個人の存在を自ら公開してしまった以上、嫌悪感を抱く人もいて当然であろうことを思い知らされたものだ。 

 上記ブログコミュニティ登録より1年半程が経過した頃、そのコミュニティは「ブログ読者登録」組織からネット上の「友達作り」を奨励する組織へと変貌したことを契機に、私はそのコミュニティから退く決断をした。
 その後も、そのコミュニティに「原左都子エッセイ集」を登録した直後より応援いただいている方々が、今となっては数少ないものの5年来ご訪問下さっている。 実にうれしく感じつつ感謝申し上げている次第だ。


 原左都子の私事が長引いてしまったが、結論としては“ネット上の人付き合い”が面白おかしく経緯する「賞味期限」とは1年~1年半位が限度なのではなかろうか?
 いえいえ、私の場合は“癖の強い”「原左都子エッセイ集」を媒体としてネット上の人付き合いを展開したためそのような結果とならざるを得なかったのかもしれない。
 当初よりもっと“スマート”な人付き合いをネット上で目指している方々は、それ相応に長い年月お付き合いが続くのであろうか??


 今回この記事を綴ったきっかけとは、現在私が「原左都子」のペンネームでフェイスブック上に公開している我がページに知人よりコメントを頂いたことによる。

 以下の文章は私が「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて幾度となく綴り公開している内容であり繰り返しとなるが、今一度本エッセイの結論として、我がフェイスブックページから私のコメントの内容のみを割愛して紹介させていただくことにしよう。

 私などミニスカで街を闊歩しただけで未だにナンパの声がかかりますから、ネットなどとの七面倒臭い手段を使って男と出会おうなどと少しも思っていませんよ。 な~~んて冗談ですけど、ノスタルジー趣味もあまりない私の場合、フェイスブックはやはりペンネームの「原左都子」登録で正解だったと思います。 それにしても手段は何でもいいから人と繋がっていたい人種の多さに驚かされます。  同時に「同窓会好き」人種というのも世に存在しますが、過去の人脈を掘り起こしてまで人と繋がりたい人種とはよほど楽しい過去を過ごしたのでしょうかね?? 
 それよりも今現在身近に係っている人間関係こそを大事にしたいものです。 
 人間関係において“相互関与”が重要だからこそ空虚なネットなどに深入りしたくはないのです。 だから私は「原左都子エッセイ集」のコメント欄も閉鎖しました。 現在は一部の読者の方よりメッセージの形でコメントを頂き、一対一の対等な関係でお付き合いを続けております。
 私は元々生身の人間同士での相対(あいたい)付き合いのみを「人間関係」と表現しています。 言葉表現はとにかく、人間としての日々が楽しく充実いている者の勝利でしょうね。


 最後に私論をまとめるが、今回のエッセイの表題に於いて「人間関係」ではなく「人付き合い」と表現したのは、原左都子なりの理由がある。
 ネット上での人との関係とはあくまでも「人付き合い」でしかあり得ないのではなかろうか?
 また同窓会等、幹事担当者が人を義務的強制的に集めた関係も、私に表現させてもらうと一時の「人付き合い」でしかあり得ない。  ただ、その種の会合出席をきっかけに真の「人間関係」が再燃することはあり得るよね。 それを期待して私も10年に一度位は各種同窓会に出席しているのだけど… (何だか出席者の皆さん“人付き合いが上手なお利口さん”ばかりで、私が本当にお会いしたい人とは同窓会になど出席していないのが現実だなあ~~


 私の理想としては今後年齢を重ねても、文章等の間接的手段により表面上で気を遣い合いつつ「人付き合い」を“スマート”にこなすよりも、人間同士“すったもんだ”でぶつかり合いながらドロドロした生身の「人間関係」を充実させたい思いであることには間違いないぞ。 
 疲れ果てる事は覚悟の上で、私の今までの経験からはそんな「人間関係」の方がほよど達成感が得られるし、生きている実感があるのよ… 

教室にクーラーは必須だ!

2012年07月02日 | 教育・学校
 今年の東京地方は、比較的涼しい梅雨期間が経過している。
 例年ならば、早くも5月頃から最高気温が30℃を超える“夏日”が珍しくもなく、6月に入ると、最低気温が25℃を超過する“熱帯夜”の到来で寝苦しい思いをさせられることも少なくない。
 
 ところが今年の夏は未だ“夏日”を数える程しか経験しておらず、“熱帯夜”は一度も到来していない。 夏の掛け布団では少し肌寒い夜もある程だ。 
 本日(7月2日)午後現在外は晴れて多少の蒸し暑さを感じるものの、我が家の室温は27℃。 7月にしては凌ぎやすい気候である。

 昨年まで使用していた我が家に1台しかなかった扇風機は、なんと30数年に渡って毎夏働き続けた代物だった。
 私が上京した折に買い求めた商品で、お洒落なデザインが気に入っていた。 現在においても十分通用するモダンな外見と共に、(私の手入れの良さもあって?)故障も不具合もなく毎夏涼しい風を送り続けてくれていた。 モーター音が多少うるさくなり始めていたものの、もっと手元に置いて使い続けたい思いが山々だった。

 2,3年程前から、古い扇風機やエアコンの室外機が火を噴いて火災になるニュースが流れ始めたことは皆さんもご存知であろう。 特に使用年数30年を超過した扇風機が火を噴く確率が高いとの報道に怯えつつも、火を噴いたらすぐ消火体制に入ろうかなどと素人考えをしながらまだ執着して使用していた。
 それにしてももう潮時だ。 覚悟を決めて昨年、泣く泣く粗大ゴミとして処分した。(まだ使えるし可愛い相棒だったのにな~~、と後ろ髪をひかれつつ…

 その後、新しい扇風機を買い求めることすら忘れる程の今夏の涼しさである。
 先だってやっと夏日が到来し、そう言えば我が家には扇風機がないことに気付きネット通販で新しい扇風機を注文した。 ところがその後も到着した扇風機のスイッチを入れる経験をまだしていない程の涼しい日々である。


 我が家の扇風機談議で前置きが長くなったが、こういう涼しい時に学校の教室に冷房が必要か否かを議論すると、“反対派”が出没してしまうのも人間の心理というものなのか?

 と言うのも、朝日新聞6月24日付社会面に「教室冷房あり?なし?」との記事が掲載されていたのだ。
 毎年40℃近い猛暑の中でクーラーなしの授業を強いられたり、体育の授業や課外活動中に熱中症で倒れる児童生徒が後を絶たない現状において、その記事によると「快適過ぎる環境はよくない」などとの精神論をぶつ自治体首長が未だ存在して、冷房設置を見送っているとの話題である。

 以下に、この記事の内容を少し紹介しよう。
 猛暑を乗り切るため教室に冷房を設置する公立学校が増えている一方で、節電の必要性や財政難など課題も多い。 気象庁によればこの夏も西日本を中心に暑くなりそうだ。 学校のエアコンはぜいたく品か?
 以前は4台の扇風機フル回転でも室温が37~38℃になる教室内で、熱中症予防対策として水筒が欠かせなかった小学校にエアコンが設置された。 「勉強に集中できるし、以前とはまったく違う」と喜ぶ中学生がいる。 この自治体では、「健康と学習効率のため必要」との判断で、昨秋小中学校の大半にエアコンを設置したらしい。
 文科省の調査によると、全国の公立小中学校でエアコンがある普通教室の割合は2010年時点で16%程度とのことである。  昨年の大震災を理由にエアコン設置を見送る自治体もある。「快適な生活が多くの犠牲で成り立つことを原発事故で知った今、その追及をやめるべきだ」と言うのは、埼玉県所沢市長である。 所沢市は財政難に直面しているとの背景もあり負担が大きいとのことだが。
 文科省の学校環境衛生基準によると、教室の望ましい温度は10~30℃とのことだ。 ただし、地域で温度への耐性が違うため強制値ではない、とのことでもあるようだ。 某建設環境工学分野が専門の教授氏によると、「公立学校は断熱性が低いため、冷房なしでは過酷な環境の校舎が多い。過剰な使用を防ぐルール作りや節電の取り組みをしながら冷房設置を進めるべき」と指摘している。


 原左都子の私事及び私論に入ろう。

 我が子ども時代に通った過疎地の公立小中学校には、時代背景的にもちろんのことエアコンなど設置されていなかった。
 今から4、50年前の話であり、当時は全国的に現在ほどの猛暑日を経験しなかった時代である。 当時はおそらく最高気温が30℃を超過すると皆が「暑い!暑い!」と騒ぐ程度だったのではあるまいか?
 いい大人がそんな過去のノスタルジーを基準として、現在の学校教育現場の“激暑”を語るのはとんでもない過ちだ。

 我が子もエアコンのない公立小学校へ通わせたが、猛暑が続く6月から9月頃にかけては我が子の健康を慮り、親としてそれはそれは日々心労を重ねたものである。 水筒に冷たいお茶を持たせるのはもちろんの事、教室の座席によっては扇風機の風さえ届かない事情も知り(今日こそあの子は熱中症で倒れるのか…)と怯えたものである。 勉強に熱中できない?? そんな事、我が子にとっては二の次の課題である。後で“お抱え家庭教師”の私が教え直せば済む話だ。 そんな事よりも猛暑の日にはとにかく、暑さに耐え抜いて無事に帰宅してくれることだけを祈ったものである。
 中学校から我が子を私立へ行かせる事により“猛暑”対策に関してはどれ程安心できたことか。 何分、私立の場合は最低限教室にエアコン装備である。むしろ“冷え対策”を考慮してセーター等を持参させた程だ。 (決して私立に於いてはガンガン冷房をつけている訳ではないのだが、教室の座席の位置や生徒間の感覚個人差が激しいとの事情は避けられない様子だったためである。)


 上記朝日新聞記事内に取り上げられている 埼玉県所沢市の市長氏 に原左都子から一言申し上げたい。
 市が財政難ならば、市長の立場から率直にそう訴えれば済む話なのではあるまいか?

 貴方がどれ程の年齢の方かは存じないが、現在の酷暑の実態とは精神論で済まされる範囲をはるかに超え人命にかかわる事を、自治体の首長たるもの把握し直す事から出直さねばならないと私は心得る。

 所沢市役所現場は如何に対応するご予定なのだろう? 市長の貴方をはじめとして、市職員の皆さんもエアコンなしで猛暑を乗り切るとの決意なのだろうか? それも避けた方が無難と私はアドバイスしたい思いだ。 もちろん大人の方が子ども達より抵抗力も免疫力もあるだろうが、それにしても35度を超える猛暑日をエアコンなし状態室内で乗り切るためには、相当の体力を要することであろう。

 所沢市も今後市政の発展のために精進するべき課題は山積みであろう現実を考察させて頂くと、効率的な市政業務遂行のためには市庁舎にエアコンを装備するべきであるし、それに先立って、まずは子どもの命を守るために市内公立小中学校の全教室にエアコンを設置することを急ぐべきではあるまいか??
 まだ心身共に未熟で発達段階の子どもの命のあるべき姿を医学的観点から今一度見直す事から、貴方の市長使命をスタートし直しては如何なものか。

 (最後に余談になるが、前回の記事で綴った「休眠預金」を、公立義務教育課程学校教室のエアコン設置の一部に使用しては如何なものか? などと本気で考えてしまう原左都子でもあるよ~~。 それ程に猛暑が人体に及ぼすダメージとは大きいのが事実だ。)