原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一少女が命をかけて給食で“おかわり”をした理由

2013年08月08日 | 時事論評
 昨年12月東京都調布市立小学校で、食物アレルギーのある小5女子児童が、担任が誤って渡した給食の食材によりアナフィラキシーショックを起こし死亡するとの痛ましい事故が発生した。

 私はこの事故に関するニュースを最初にNHKテレビにて見聞したのだが、NHKの報道のし方に大いなる違和感及び疑義を抱かされ、早速我が「原左都子エッセイ集」に於いて当該ニュース報道に対する反論見解を述べた。

 当エッセイ集2013年1月バックナンバー 「学校給食における『おかわり』考」 の一部を以下に要約して反復させていただこう。

 NHKニュース報道では、「女児が給食で『おかわり』をした際に担任が手渡した食材によりアレルギー反応が起こった」との表現を用いていたのだが、ニュース表題にも「おかわり」の文字を使用する等、女児自身が「おかわり」をした事を殊更強調しているかのように私の耳に入ってきた。 これではまるで、「おかわり」をした女児側の自己責任範疇の事故と視聴者に受け取られかねないのではあるまいか?!?
 とんでもない話だ。 女子児童は未だ11歳の小学5年生。 もしも周囲の児童達が元気よく「おかわり」をするのが日常であったとするならば、女児とて担任が自らのアレルギー体質を理解してくれているものと信じ「おかわり」を要求することは重々想定内の出来事であろう。
 ここでは専門的な発言を差し控えるが、元医学関係者として一言のみ私論を付け加えさせていただくならば、義務教育現場は一部の児童が抱えている食物アレルギーを絶対に軽視してはならない事を再認識するべきだ。 現在公立小中学校に通う児童達は全員学校で給食を取る事を強制されている。 そうであるなら尚更、現場の教職員は一部の医療的弱者児童の存在を肝に銘じるべきである。 一見元気そうだからと、絶対に児童が抱えている体質を安易に見過ごしてはならない。 学校給食が元でアナフィラキシーショックにより命を落とす児童は、今回に限らず後を絶たない現実である。 もしも学校現場の教職員が児童が抱えるアレルギー体質対策・管理に手が回らないのであれば、全員一斉食材を基本とする給食システムこそを今一度その細部に至るまで再考し直すべきだ。
 食物アレルギー児童を抱える家庭によっては、自宅から弁当を持たせる事例も存在する事は私も承知している。 それが時間的制約等様々な事情で叶わない家庭が多い実情をも踏まえ、子供の命を預かる義務教育行政は、時代の要請に応じてもうそろそろ何らかのきめ細かい対策を練る事に着手するべきではないのか。
 さて今回の「原左都子エッセイ集」は、学校給食における 「おかわり」 を考察することを趣旨としている。 上記女子児童の学校給食による痛ましい食物アレルギー死亡事故に際し、NHKニュースが給食を 「おかわり」 したことを執拗にまで繰り返していた事実に、とことん反発したい思いが我が脳裏に渦巻き続けている故である。
 実は我が子が小学2年生の時、公立小学校の給食時間に「おかわり」ができるまでに“成長”した事実を担任先生よりご伝授いただいた。 これにはプラスの意味合いで仰天した私だ。 何分我が子は出産時のトラブルにより若干の事情を持って産まれ出ているため、特に幼少の頃は衣食住全てにケアが必要な身だった。「食」に関しても例外ではなく、必要最低限の栄養源を摂取させることに日々精進した私だ。 学校では、案の定与えられた一人分の給食を時間内に食することが出来ない。 そんな折、担任先生からの我が子が初めて「おかわり」が出来たとの談話とは、娘の成長を物語る逸話であり母として今尚忘れ難き“吉報”だったのだ!
 このようにまだまだ未熟な児童にとって義務教育課程に於ける給食時の「おかわり」とは、子どもの成長を物語る一指標の意味合いもある。  集団生活内での「給食」という場を有効活用して、我が子を成長に導いて下さった当時の担任先生に心より感謝申し上げたい思いだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーよりその一部を引用。)


 さて、大幅に話題を変えよう。

 去る7月24日の朝日新聞内に、上記調布市立小学校の給食時アレルギー事故により娘さんを亡くされたお母様に、朝日新聞が取材をした記事が掲載された。
 実は原左都子も、今年1月に上記 「学校給食における『おかわり』考」 なるエッセイを公開して以来、ずっと犠牲女児のお母様こそが、娘さんが給食時に「おかわり」をした報道をメディアが殊更発信している事実に一番心を痛めておられるのではないかと、我が事のように気をもんでいたのだ。

 早速、朝日新聞上記取材記事を要約して紹介しよう。
 何故(食アレルギーの)娘が給食時に「おかわり」をして死に至ってしまったのか分からず苦しんでいた母の私が、新盆に娘の親友が語ってくれた話を聞いて納得した。 娘の親友によると、あの日給食に出たチーズ入りチヂミは不人気で沢山残っていた。 一方、クラスでは給食を残さない「完食記録」を目指していた。 娘は、当日めったにしない「おかわり」をした理由を「クラスに貢献したかった」と親友相手に語ったという…
 クラスのために頑張ろうと無理をしてこんな結果となり残念だが、そういう理由だった事に納得した、とお母様は涙ぐみながら話されたとのことだ。
 科学者を目指していた娘さんは生命科学に興味があり、「アレルギーの子を助ける研究をしたい」との将来の夢を語っていたらしい。
 取材の最後にお母様は告げる。 「(今回の学校給食事故を)報告書で終わらせるのではなく、子どもの命を守ることを最優先に対応して欲しい。 人の役に立ちたいと思っていた娘もそう願っているはずです。」
 (以上、朝日新聞7月24日記事より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記のようなニュース報道に触れて尚、「やっぱり『おかわり』をした児童の方が悪いんだよ。 子ども一人ひとりが抱えている特殊事情をいちいち気にしている時間など、学校の教職員には無い事を庶民側こそが理解するべきだ」なる感想を抱く、学校教職員及び行政関係者や市民が多数派であることは重々理解可能だ。

 それが証拠に、専門家氏らによる給食アレルギー検討委員会が7月23日に提出した最終報告の主たる内容とは、アレルギー児は「おかわり禁止」等の再発防止策であるらしい。
 やはり「おかわり」こそが最大の女児自滅原因だった事を証明するべく、今後もそれを禁止するしか方策が打てないレベルの、この国の学校現場におけるアレルギー児童対策の貧弱さであろう。
  
 今一度原左都子から訴えるが、公立小学校に通っていたアレルギー女児は、決して給食の「おかわり」をしたから死に至ったのではない。
 人間の多様性を心得ない、あるいはその対策を怠っている義務教育学校現場、ひいては教育行政が招いた悲惨な事故に他ならないのだ。