原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大雪の記憶

2014年02月10日 | 雑記
 (写真は、昨日2月9日 原左都子が作製した「雪だるま」。 小学生より下手な“作品”を公開して恐縮です…)


 雪国に住み毎冬豪雪と闘っておられる地方の皆さんには顰蹙を承知ながら、私は一昨日、久しぶりに雪の“冷たさ”の感覚を味わった。

 上記写真は我が家の南側ベランダに降り積もった雪を利用して作製した「雪だるま」(と言うよりも“エイリアン”と名付けた方がよさそう…)なのだが、現在の住居に転居して以来ベランダ内に積雪したのは今回が初めての経験だった。 おそらく発達した低気圧の影響で大雪と共に強風が発生し、それに煽られてベランダ内一番高い場所で50㎝程度の積雪がもたらされたのであろう。
 このベランダ積雪を早めに処理しておかねば、しばらく根雪と化して明日から私は洗濯物も布団も干せないと判断し、9日朝に早速片付け作業に入った私だ。

 ところがここでひとまず、雪の“脅威”を思い知らされるはめとなる。
 見た目よりもずっと多量の雪が積もっていたのだ! そもそも雪専用シャベルなどない我が家である。 庭を掃く箒でそれを処理しようと試みたがすぐに限界に達した。
 「もう、いいや。 いっそこの雪で“雪だるま”でも作ろうではないか!」と思い立ったのはよかったが、これが予想に反して冷たい。  やっとこさ冒頭写真大(約30㎝程度)の“制作物体”を3個作るのが関の山で、かじかむ手を摩りつつ室内に入る体たらくぶりだ。  


 2月8日、首都圏に13年ぶりの大雪警報が発令され都心でも26㎝の積雪を記録したようだ。
 ただし気象庁よりの「歴史的大雪予報」とは裏腹に、昨日の好天のお陰で少なくとも我が家周辺地域では、既に主要道路や南側では雪解けが進んでいる。
 多数の死者や停電等の被害を広域にもたらした今回の大雪の事態をお見舞い申し上げつつ、我が住居地の都心では雪解けが早かった事を安堵している身勝手な私を、何卒お許し下さいますように。


 豪雪地帯に住んでいない国民とは、多少の雪に日常生活が脅かされる情けない実態であることを申し訳なく思いつつ…
 ここで原左都子の私事を振り返らせていただこう。 (参考のため、私は元々南国の地の出身である。)

 その地にも雪が降ることは稀ながらあった。 私の記憶によると小学校高学年の頃、校庭に5㎝程の積雪が記録されたことがある。 これを学校が滅多にない機会と捉え授業を中止し、校庭で児童全員に半日雪遊びをさせる事と相成った。 ところが寒いのが大いに苦手な私にとっては、これ程苦痛な時間はなかったとの記憶しかない。(元々集団行動嫌い気質だし…
 中学生になって、私は自転車通学となった。 この時無情にも大雪が降った記憶がある。 自転車で凍りついた雪道を曲がろうとした時、(ここで私は転ぶ!)との予感通り、セーラー服スカート制服姿で見事に転び怪我をした。 (もう、雪なんか大嫌い!)と乙女心に「雪」がトラウマとなるのはやむを得なかっただろう。

 その後時を経て上京した暁には、 南国育ちの私にとって“東京の雪”は物凄いものがあった!
 民間企業に就職した私に、毎冬一度は大雪が通勤の邪魔をする。 ハイヒールを避け少し低めのヒールを履いて出かけるのに、いつもいつも私は雪道で転んでしまうのだ…  (他の女性は皆ハイヒールで転ばないのに、何で私だけが転んでしまうの?!?) これに関しては、未だに我が研究課題であるが…。


 さらに時を経て、私は晩婚・高齢出産の後一人娘に恵まれた。
 この娘が2、3歳ぐらいになった頃、都会に降る雪を見て無邪気に喜ぶのだ。 それにつられ私は娘と同じ運動靴を履いて公園に出かけ、雪だるまを作ったりもした。 足はびしょびしょ、手はかじかんでもう動かない。

 そんな経験も重ねつつ、娘は現在大きく成長している。

 娘が成人した今となっては、私のDNAを引き継ぎもしかしたら「雪」は苦手なのかもしれない。
 それでも、いつもお洒落をして大学に出かける我が娘が、今日はちゃんとスニーカーにパンツスタイルで大学へ出かけた。

 私も娘に見習って、自然現象に適合するべく成長するべきであろう。
 いつまでも「雪嫌い」と我がままを言っている場合ではなく、都会の不意打ちの雪に適応した選択をしつつ身を守ることが肝要と。

 実はそんな「雪」に関するほんの少しの我が成長志向も込めて、昨日ベランダに制作した冒頭の「雪だるま」である。

障がい者の美談を導くメディア・経済界にも責任がある!

2014年02月08日 | 時事論評
 この事件、原左都子の視点・観点からは腑に落ちない点が多い。

 自称「全聾の作曲家」氏と「ゴーストライター作曲家」氏を犯罪者に仕立て上げた挙句作品を絶版にし、市民感覚の“騙された”との安直な結論ですべてを葬り去れば済む話なのか??


 早速、事件に関する報道内容を朝日新聞2月6日記事を要約引用しつつ、以下に紹介しよう。

 「全聾の作曲家」として知られる佐村河内守氏が今までに発表してきた主要な作品は、桐朋学院大学非常勤講師で作曲家である新垣隆氏が作ったことが2月5日に判明した。
 佐村河内氏の著書や取材によると、広島生まれの被爆2世、35歳で聴力を失って以来絶対音感を頼りに作曲をしてきたとの説明だった。 
 片や、新垣氏側が6日発売の週刊文春に自分がゴーストライターとして18年間に渡り作曲をしていたとの真相を告白し、その日の午後に記者会見を行った。
 佐村河内氏の代理人等によれば、 十数年前から佐村河内氏が提案したイメージを基に新垣氏が旋律や和声を含め実際の作曲をしていたのだという。
 クラシック部門にしては、CD出荷枚数18万枚との異例のヒットとなった交響曲第1番「HIROSHIMA」やソチ五輪で高橋大輔選手がフィギュアで使用する「バイオリンのためのソナチネ」も同様であった。 後者の楽曲楽譜を2月11日に発売予定だった出版社は「著作権者が不明のままでは出版ができない」として出版中止を決めた。 佐村河内氏側からも、「すべて週刊文春通りで曲を書いたのは私ではない事をお詫びする」なる謝罪内容のメールが届いているらしい。 加えて、佐村河内氏より著作権管理を委託されている日本音楽著作権協会(JASRAC)も、「権利の帰属が明確になるまで利用の許諾を保留する」と発表した。
 (付属情報だが)2012年12月にNHKの依頼で、津波で母を失った少女を佐村河内氏に引き合わせたそうだ。 この少女との交流を通じて作曲されたのが「レクイエム」とされている。 その後何度も佐村河内氏は被災地に足を運び、少女ともメールのやり取りをしていたとのことだ。 昨年(2013年)3月には佐村河内氏は少女が通う小学校で曲を披露したらしい。
 (以上、朝日新聞2月6日記事より一部を要約引用。)


 一旦私論に入ろう。

 この事件に関して言いたいことが山々なれど、とりあえず上記朝日新聞より引用した後半一部分についての私論を述べよう。 
 その一部分とは「2012年12月に“NHKの依頼”で、津波で母を失った少女を佐村河内氏に引き合わせた」なる箇所である。
 これに関して、つい一昨日の2月6日夜放映 NHK「ニュースウォッチ9」のメインキャスター 大越氏より謝罪があった。 その謝罪とは私の記憶によれば、「十分な情報確認もせず、佐村河内氏に関して安易に報道した事実をお詫びする」との内容だったと記憶している。
 国営放送たる者がこの“体たらく状態”であるから、ましてや民放の好き放題を増長しているとの現在の我が国テレビ業界図式と成り下がっていないだろうか?
 と言うよりも、近年どういう訳かNHKこそが民放を模倣して、低俗でも何でもいいから姑息な手段に頼ってでも「特報」をゲットしようと悪あがきしている状態と表現可能か?? 

 報道機関とは、日々身勝手に視聴率が稼げそうな“おいしいネタ”を探し求め全国や諸外国を彷徨っているであろうことは十分想像がつくとしても…。


 そうであるにせよ、報道機関が“美味しい”情報源として“障がい者美談”に飛びつく図式とは今に始まったことではないであろう。
 原左都子の記憶によれば、それは貧富の格差が顕著だった終戦前後頃より既に表面化していた“過ち”ではなかっただろうか。
 敗戦後、国民皆が貧乏を強いられていた時代背景に於いては、「あの子は体が不自由だけど我々は五体満足だからそれだけでも恵まれている!」などとの、大いに“底辺レベルの特権意識”を我ら親ども世代が報道機関より吹聴され、それを恥ずかしげもなく我々次世代に連鎖教育していた記憶があるのだ。
 
 まさか国営放送局たるNHKが現代に及んで尚、旧態依然とした吹聴連鎖“身障者差別感覚”に基づき番組を組んだとは信じたくない。 まさかまさか、そんな過去の負の遺産発想の下で、ニュース番組内で今回の自称「全聾作曲家」である佐村河内氏を、これまた弱者立場にある東日本大震災被災地の一少女に対面させる報道を公開したとは決して思いたくはないが…。


 ところが、である。

 今回の佐村河内氏ゴーストライター氏表明事件判明後のNHKニュース取材が、広島に集中することはやむを得ないとしても…。

 NHKの取材に応じて広島市民が発する声また声とは… 
 皆が皆、「そうだったのですか。全聾の原爆2世が作曲家として活躍していると信じたからこそ激励していたのに、何だか騙された気分です」 この種の反応ばかりがニュース報道で繰り返される始末だ。

 佐村河内氏がもしも「原爆2世」及び「全聾」と表明していなかったならば、そもそもメディアは氏を取るに足りない存在として無視したのか? 
 それ以前の問題として、佐村河内氏の音楽性をメディアは如何に検証したのだろう? もしも報道機関であるNHKや著作権管理機関であるJASRACが早期にその真の実力の程を検証・監修できていたなら、氏やゴーストライター氏の十数年に渡る苦悩や法的責任をこれ程までに悪化させずに済んだであろうに。

 当日メディアから我が身にマイクを突き付けられたならば、私はきっと報道マイクを独占させてもらい、NHKを筆頭とする取材班にその旨を訴えて立ち向かったであろう!


 最後に、原左都子の私見を記そう。

 メディア報道及び世間とは、そもそも「障がい者」たる人物像を頭から誤解してかかっているのではなかろうか?
 ところが私の認識によれば、世間に生を営む彼ら・彼女らの中には、おそらく貴方達同様の理性や感性や、もしかしたらずっと高い知能を有している人物が幾らでも存在するのだ。
 その認識が少しでもあったならば、今回の佐村河内氏の事件も防げたのではないかと憶測する。

 今回の事件に関しては佐村河内氏側及びゴーストライター新垣氏の法的責任はもちろん重いものの、美談を煽り続け一切の疑問を投げかけなかった著作権元とメディア界、及び世間の責任こそを問いたい思いだ。

 結局、儲かって済むなら何でも“食い物”にしようとの、経済界やメディア界が導いた弱者利用の愚かな事件たったのではないかと結論付けたくもなる今回の出来事である。

NHK人事柔軟化は会長問題発言の尻拭い対策か?

2014年02月05日 | 時事論評
 本エッセイ集に於いて2013年12月23日に綴った 「NHK小郷知子アナ産休明けには是非配属替えを!」 と題する記事には、公開直後より数多くのアクセスを日々絶える事なく頂戴している。

 特に昨日(2月4日)頂いた上記記事へのPV総数が100近くに達したのには、著者本人としても大いに驚かされた。
 我がエッセイ集の場合、最新記事よりもバックナンバーに数多くのPVをいただく事はさほど珍しい現象ではないのだが、当エッセイ集に頂戴する総PV数の1/10以上を1バックナンバーが占めた経験は今回が初めてではなかろうか。

 それ程に「NHK夜7時のニュース」ファンが数多い事を物語る現象であろう(事実当ニュース番組は視聴率20%近くをゲットする日も多いようだ)し、土日祝メインキャスター小郷知子氏の悪声に悩む視聴者が苦渋の思いをしている現状を物語る事実でもあろう。


 それにしても、何故昨日は当該記事に100PV近くもの閲覧が押し寄せたのかに関して、検索元を探ることによりその理由が判明した!

 一例を挙げると、「小郷知子産休」検索によりそのトップページのトップに我がエッセイ集バックナンバー「NHK小郷知子アナ産休明けには是非配属替えを!」が検索可能だ。
 そのすぐ下に、昨日2月4日に発表された「NHK守本奈実アナ『NHKニュース7』小郷知子アナに代わり土日祝キャスターに」なる報道が公開されている事実を発見したのだ。

 早速その報道内容を、以下に要約して紹介しよう。
 4月から「NHKニュース7」の土日祝日のキャスターを、同月より産休に入る小郷知子アナに代わり守本奈実アナが後任を務めることが4日発表された。
 守本アナは、1981年生まれで千葉県出身。2004年にNHKに入局。大分、福岡で勤務後、東京アナウンス室勤務となり、11年から「首都圏ニュース845」などを担当している。
 守本アナは会見で「いま、必死に毎日、新聞を読んで勉強しています。小郷先輩の後でプレッシャーも正直あるんですが、一歩一歩頑張っていきたい」と話した。 現在「ニュース7」の月~金曜を担当している武田真一アナウンサーのサブキャスターを務めているが、「武田さん見ていて、30分の間であらゆることをお伝えしないといけないので、高い見識が求められるポジションだなと思います」といい、「日々研鑽(けんさん)を積んで、興味のアンテナを広げていくということと、あらゆるニュースに背景があると思いますので、そういうことを理解して真摯(しんし)に分かりやすく丁寧に伝えていく姿勢を磨いていきたいと思います」と抱負を語った。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用。)

 このネット情報を一見した私は、今回の守本アナ抜擢NHK人事は決して小郷アナの産休期間代替ではなく、小郷氏産休明け後も守本アナが「ニュース7」を引き継ぐものと理解したのだがどうだろうか。
 私の認識が間違いないのならば、これ以上の朗報はない!

 2011年3月に勃発した東日本大震災直後より小郷氏のニュース報道担当アナとしての声の聴き取りにくさに難儀し続け、「原左都子エッセイ集」で幾度となくその改善を訴えて来た身である。 
 私自身が今回のNHK人事に心底安堵出来たと同時に、我がエッセイ集ファンの皆様よりの「小郷氏悪声」に関する数々のご要望にもやっとお応えできる事に胸を撫でおろしているところだ。


 ところで、私は現在放映されているNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のナレーションを担当されている女優 藤村志保氏の声が聞き取りにくい、とのNHKに対する視聴者よりの苦情が数多く存在することも認識している。
 私論としては、ドラマとは報道番組であるニュースとは大いにその番組趣旨が異なるはずと考察する。
 その観点から「軍師官兵衛」の場合は、敢えて“お婆ちゃん声”の藤村氏をナレーターとして採用したと解釈するのだ。 私に言わせてもらうと、藤村氏の声はドラマ内容によくマッチしていて特段聞き辛くもない。
 そんな事よりもNHKが最優先するべきは、報道番組の悪声小郷アナこそを早期に配置換えする事だろ!! とイラついていたのが正直なところだ。
 そうしたところ、なんとNHKは今回藤村志保氏に対しても(事実上)「降板措置」を採ったとの報道だ。 その表向きの理由とは藤村氏骨折との事だが、どうもこの発表内容は怪しいと私は分析している…  というのも、氏が骨折回復後も復帰するかどうかは不明との発表内容である故だ…。


 上記内容を振り返るに、国営放送局とも表現可能なNHKが、ここのところ職員人事に関して“視聴者”の意向に沿いつつ柔軟対応していると解釈可能ではなかろうか?
 こんなNHKの“視聴者の意思を尊重した人事柔軟対応”が過去に於いても存在したのかどうかは私には計り知れない。

 そうだとして、ここのところのNHKの視聴者志向とも言える“柔軟対応ぶり”の実質魂胆とは、国会で好き放題失言しまくったNHK新会長としての“あり得ない行動”に端を発していると考察できないであろうか??
 いやはや、NHK新会長の国会答弁での「失言」ぶりとは今時珍しい現象だった。 政権閣僚とて、下っ端の国会議員とて、今時は「失言」「暴言」で即座に議員辞職に追い込まれる時代である。 国会答弁に於いても、それを重々自覚して慎重に発言している姿が見て取れる。
 そんな中どうした事なのか、NHK籾井勝人会長は、国会の場で言いたい放題の個人的発言を公開してしまった… この不祥事により一時辞職も危ぶまれたものの「辞職はしない!」と言い切り一応の謝罪はしたものの…  一庶民の立場として貴方の言いたいことは分かるものの、NHK会長の立場で法治国家に於いてはやはり現行法をわきまえないとねえ。


 実にお粗末なNHK会長の不祥事事件ではあるが、それの“尻拭い対策”で今回“民意”を反映したNHK人事が執り行われたのならば、私は歓迎したい。

 何度も繰り返すが、ニュース報道アナウンサーの声が聞き取りにくい現状など、市民としては許し難き話である。
 視聴者よりの苦情があったならば、国営放送たるや、すぐさまその事実に真摯に対応して欲しいものだ。
 小郷知子アナの場合、本人の「産休」申請によりやっとこさアナ交代の運びとなるようだが、特にNHK「7時のニュース」のようなメイン報道番組の場合、今後はニュースキャスターの「声の質」を主要資質の一つとわきまえ、当初より慎重にキャスターを選出して欲しいものである。

実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?

2014年02月03日 | 教育・学校
 私は「リケジョ」なる新語が嫌いだ。  と言うよりも聞かされて「気持ち悪い」。

 元々理系の私だが、こんな流行り言葉がなかった遠い過去の時代に理系に進学した事を今更ながら安堵させられる。


 何故、私がこの言葉に嫌悪感を抱かされるのかというと、その言葉の裏に“男尊女卑思想”が見て取れる故だ。
 人間男女を問わず誰しも自分が欲する分野に進出してよい事など歴然のはずなのに、なぜ理系女子のみを「リケジョ」なる言葉で分別するのか?   その背景とは、理系に進む女子が今現在尚少数である事が第一の理由なのであろう事ぐらいは理解できている。 

 ところが私に言わせてもらうと、“理系”と一言で表現したところでその分野とは膨大に多様化している現在だ。  更には、科学・学問の大いなる進化・融合により、現在では「理系」「文系」の垣根を超越した学問分野も数多く存在する現実でもある。
 そんな学問を取り巻く時代背景に於いて、まさか「リケジョ」と呼ばれて優越感に浸る軽薄女子などいない事と信じよう。


 つい先だって、理化学研究所の研究員であられる小保方晴子氏(30歳)が、マウス動物実験に於いて新型万能細胞であるSTAP細胞の作成に成功した事実が世界中で報道された。
 (現時点では未だマウス動物実験結果に過ぎない段階の「STAP細胞」に関する私見を公開することは差し控え、この実験の成果が一段階進捗した時点で、元医学関係者である原左都子の私論を公開したいと考えている。)

 これに関するメディア報道を受けて、日本中が「リケジョ」騒ぎとなるのは当然の成り行きなのであろう。
 一昨日2月1日より開始した東京都及び神奈川県内私立中学入試に於いても、「リケジョ」対応をしている女子校が人気だったようだ。  朝日新聞報道によると、都内某私立女子中学とは、中学3年間で実験を約80回実施する等々理系教育に力を入れているのが特徴のようだ。 この女子中学の志願者が急増しているとの報道である。


 さて、ここで原左都子の私事を語らせていただくこととしよう。

 私は中学3年生時点で、自分は将来理系に進む!との一応の判断を下していた。
 ただし、それは決して「理科好き」だったからではなく、「数学好き」だったからに他ならない。
 何故私が数学好きなのかに関する記述を「原左都子エッセイ集」2008年10月8日バックナンバー「1か0かの世界」に於いて披露していため、その部分のみを以下に要約して紹介しよう。

 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。 そのため、大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 私が算数・数学が好きな本質的理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。 )紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私には大いなるインパクトがあったのだ。
 一例を挙げると、中学校の数学授業時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。  この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものである。
 同様に、“2進法”を中学生の時(?)に学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことであるが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。  この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより、一部を要約引用。)


 単に数学好きで決して理科好きではなかった私にとって、実は「理科の実験」ほど嫌いなものはなかったとも言える。 小学生の頃からその思いは強かった。

 ここで参考のため、「原左都子エッセイ集」2008年8月17日バックナンバーで公開している「料理嫌いな女」とのエッセイの一部を以下に紹介しよう。
 私が料理が嫌いであるひとつの理由は、基本的に私は破壊的思考よりも建設的思考を好むためでもあると自己分析している。  私にとっての料理とは、食材を撒き散らし油を飛ばし、周辺をギトギトに汚染し破壊していく行為なのである。この汚染と破壊が耐えられない。 そのため、私が料理を作ると一動作毎に掃除、片付け作業が入る。至って効率が悪いのだが、周囲を汚染したまま次のステップにはどうしても移れないのだ。 (以上、バックナンバーより一部を引用。)

 私にとっての理科実験嫌いとは、まさに上に記した「料理嫌い」とその根底心理が重なるのだ。 何で綺麗に整頓されている机の上で火を燃やし水をまき、はたまた危険な薬剤で汚染せねばならないの!? こんな「破壊行為」勘弁してよ!!  
 同様に私は家庭科の調理実習や図工・美術の作品制作もずっと苦手で、出来るならば避けて通りたい思いだった。


 それでも何故、私が若かりし時代に「理系」を志向したのかというと、それは頭脳面で理系志向だったからと結論付けられる。 (敢えて悪く表現するならば「机上の空論好き」とでも言うべきか…)
 その後私が更なる学問に励み36歳時点で「経営法学修士」を取得するに至った背景に関しても、頭脳面で「理系志向」だったからに他ならないとの結論を導けそうだ。

 冒頭にても記述したが、今現在の科学・学問とは「理系・文系」が大いに融合していることに間違いない。 
 その一例が元々存在する「経営学」であり「法学」でもあるのではないかと私は考察するのだ。(法の解釈論など、まさに数理思考に基づくのではないかと分析して楽しんだのだが…。)
 すべての学問の基本にあるのが「哲学」及び「数学」であることに間違いないと、私は今尚信じている。


 現在「リケジョ」なるある意味“差別用語”で奉られている女子達に私は提言したい。
 学校の理科実験になど満足して「リケジョ」を目指してもよいのだろうが、もっと理系を目指すための柔軟な“基礎頭脳”を磨いては如何かと。
 それは大学入学後でも遅くはない。 必ずや大学とは「哲学」を筆頭に、貴方たちに基礎教養学問講義を用意しているはずだから、それを惜しみなく受講して、自らの「理系頭脳」を今一度磨こうではないか!!

年齢のサバを読むことのメリットとデメリット

2014年02月01日 | 自己実現
 私は今までの人生において、一度だけ年齢のサバを読んだことがある。
 それは30歳にして大学に再入学した際の、アルバイト先への履歴書記載に於いてである。


 早速私論だが、今現在の30歳など“若気の至り”範疇であろう。
 現世においては30歳世代の女性が美しくあるのは当たり前、男性とてカッコよくこの世を渡っているバリバリの世代であろう。

 ところが、我が30歳頃(今から30年程前の)時代背景はまったく異なっていた。
 今となっては死語と化している「売れ残り」なる言葉が普通に発せられる歴史文化の下、それに適応せねばならない時代だった。


 それでは私が何故、当時“年齢サバ読み”を実行せねばならなかったのかに関して、2007.10.4 に「仕事・就職カテゴリー」に於いて公開している 「パーコン」 なるエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。 
 私は30歳を過ぎた頃、自らの意思で再び学生となった。 大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだのだが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには、短時間で手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策であった。
 今から30年程前、すなわちまさにバブル期の話であるが、その頃「パーコン(パーティコンパニオン)」なる職種は既に女子大生のアルバイトの一つとして大して珍しくもない存在だった。 ただ、国公立学生の間ではまだ一般的ではなかった時代背景だ。(ちなみに私は幼稚園から大学院まで私立には一度も通わず、ずっと国公立のお世話になってきている。)  私はごく一部の親しい友人以外には極秘で、この「パーコン」に挑む決断をした。  私も30歳代で学生を経験したお陰で、様々な仕事にチャレンジできいろいろな世界に足を突っ込めた訳であるが、楽で安易な仕事など何一つなかった。 その中でも「パーコン」とはとても厳しい仕事の一つと記憶している。
 当時の採用会社への“一応の礼儀”として、私はこの種のアルバイトを志望するには必ずや「年齢詐称」するべきと考えた。  当時既に30代に到達していた私だが、「27歳」と偽称して面談に及んだ方がバンケット会社も、派遣仕事先に紹介しやすいのではと配慮したのだ。 
 とにもかくにも「パーコン」経験は、私の人生に於ける貴重な試行錯誤の一ページである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設当初に綴ったバックナンバーより、現在の私見も少し交えつつ要約引用。)


 ここで一旦私論を語ろう。
 
 我が若かりし時代(今から30年程以前の時代)背景に於いては、年齢を「若く」詐称する事など、特に“芸能界”や“夜の蝶界”に於いては常識の範疇だったのではあるまいか?
 それが証拠に、当時公開していた年齢と現在の年齢が不一致の“タレント”などごまんと存在するのが常識でもあるし、今となってはそんなたわいない事実などどうでもよい現在の年齢に関する世間の現実でもあろう。

 私自身の過去の「パーコン」経験を振り返ったとて、その時代に一時まみえた仲間たちや顧客の皆様とも既に人間関係が途絶えている現状だ。
 そうでなくとも、今更当時「3歳年齢を詐称していました」と謝罪したところで、あれから30年経過した現在に於いて、おそらくそんな事取るに足りないとの反応が返ってきそうな事を察する次第だ。


 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、古くなるが朝日新聞昨年11月9日 別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談内容による。
 相談者である40代の母親は、小学校3年生の娘に自分の年齢を(若く)サバを読んで以降、ずっと年齢詐称し続けているとの内容だ。

 この相談題名だけ見た私は、我が娘小学校低学年の頃に出席した授業参観が脳裏に蘇った。
 何でも、我が娘と同年男児のお母上が参観日当日に偶然「30歳」の誕生日を迎えられるとのことだ! それをその男児を通じて見聞していた担任先生の粋な計らいで、皆で男児母親の誕生日を祝おうとの運びとなった。

 当時の私は(四捨五入すれば50の年代に達する頃だったが)、高齢出産で娘を産んだ我が身と周囲の母親達との年齢差が歴然である事など重々承知の上だった。
 それでも、参観日当日に自分の母親が30歳の誕生日を迎えることを担任に暴露した男子児童の可愛らしさや健気さ、更にはそれを皆で祝おうと企画した担任先生の力量に惜しみない拍手を贈ったものだ!

 あれから十数年の年月が経過した現在、親(特に母親)の年齢が若い事実を誇る児童など、皆無となったも同然のこの世の出産高齢化現象ではなかろうか。

 昨日のNHKドラマ紹介番組に於いて、女優の夏木マリ氏が 「60歳」に関する提案をされていた。
 それによれば、「還暦」との表現とは昔ながらの年齢を重ねた祝いの表現にしか過ぎないであろう。 ところが現在の60歳代とは皆活気に溢れていて、「老後」なる言葉とは程遠い。  だからこそ、「60(ろくまる)」との新語を提案したい、なる夏木マリ氏の発言だった。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 上に記した夏木マリ氏とは、女優(及びタレント)としてこの世を今後も渡っていかねばなならない立場でおられるから故に、敢えて「60歳」なる年齢を定義し直さねばならない運命だったのだろう。

 (外見のみに関して言うならば)夏木マリ氏よりもずっと若い自信がある原左都子自身が来年「還暦」を迎える立場だが、それが「カンレキ」であろうが「ロクマル」であろうが呼び名などどうでもよい、と言うのが正直な感想だ。
 外見を繕おうが内面を如何に演出ようが、人間とは年相応に年齢を重ねてこそ価値が輝くものと私は信じている。

 今現在の社会を見渡すと、「年齢を(若く)サバ読む」ことの“デメリット”こそが浮き彫りの現実に直面することが多い現状ではなかろうか。
 特に高齢者など、「(この年齢で)私は未だ自立して楽しく生きています!」と自信を持って発信できることこそが、若い世代に迷惑が掛からない最高の美学である事など歴然だ。

 そんな現実を慮りつつ、高齢者こそが年齢詐称などせず自分の年齢に誇りを持ち、この世を自分の思うがままに快適に生きて行く事を志すべきと心得る。