原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「ぐでたま列車」 発見!

2018年06月22日 | 雑記
 (写真は、昨日2018.06.21 東京都内で偶然出くわした「ぐでたま列車」。)


 今回の鉄道写真エッセイは、鉄道ファンのユビスキューレさん(「原左都子エッセイ集」唯一の若き女性読者の方だが)が喜んで下さりそうな話題だが。


 昨夕、定例の音楽スタジオでのフルート練習を終えて、東京都内西武池袋線江古田駅直ぐ近くの踏切を渡ろうとした時の事だ。

 遮断機の最前列で列車の通過を待とうとしていると、江古田駅構内のホームに鉄道ファンらしき数人の男性がカメラを構えて列車を待っていた。
 珍しい列車でも通るのだろうか?? と思いつつ構内を眺めてみると。

 駅に停車したのは、黄色い色彩の派手な冒頭写真の「ぐでたま列車」だった。
 おっとっと!  またとない機会だろうから、私もガラケーで撮影しよう! と思い立ち焦って鞄からガラケーを取り出したのだが、時遅し…
 やっとカメラの画面に切り替えて撮影体制に入った時には、既に列車は速度を上げて我が直前を過ぎ去った。

 2枚だけ撮影出来たものの、ご覧の通りのピンボケ写真… 

 それでも、撮影出来ただけでもまだしも良かった。

 今時、キャラクター列車が日本各地に多発している様子だが、確かにこの黄色い色彩の「ぐでたま列車」は可愛い部類ではなかろうか?



 ネットより「ぐでたま列車」に関する情報を以下に引用して紹介しておこう。

 西武鉄道の「スマイルトレイン」こと30000系電車が、サンリオのキャラクター「ぐでたま」とコラボしたラッピング電車「ぐでたまスマイルトレイン」に変身 。2018年3月4日(日)、拝島線の玉川上水車両基地(東京都東大和市)でお披露目された。

 30000系はいまから10年前の2008(平成20)年にデビュー。 タマゴをモチーフにしたデザインを車内外の随所に採用し、当時変革期にあった西武グループの「新しい姿」が表現された。 先頭の部分は笑っているようなデザインでまとめられているのが特徴で、「スマイルトレイン」という愛称が付けられている。
 一方、「ぐでたま」は2013(平成25)年にデビューしたサンリオのキャラクター。 そのコンセプトは「ぐでぐでとやる気のないタマゴ」で、タマゴの黄身をモチーフにした体と、どことなくだるそうにしている表情やしぐさが特徴。
 西武鉄道は30000系のデビュー10周年を記念したイベントの実施を検討していたが、「ぐでたま」もデビュー5周年を迎えることや、西武沿線の多摩川をモチーフにしたキャラクターであることから、「タマゴつながり」のコラボが実現。「スマイルトレイン10th×ぐでたま5th記念キャンペーン 〜レールの上にも10年、白身の上にも5年〜」と題したキャンペーンが企画された。

 (以上、ネットより「ぐでたま列車」に関する情報を引用紹介したもの。) 

サンフランシスコの交通機関情報

2018年06月20日 | 旅行・グルメ
 (写真は、米国西海岸サンフランシスコ周辺を結ぶバート路線図をネットより転写したもの。)


 こんな場で、今夏8月に実施予定の米国西海岸旅行の個人的な下調べを公開して恐縮だが。
 (自分自身の旅行準備とエッセイ記述が同時に叶い、時間短縮・一石二鳥のため、今後もしばしばこれをさせて頂く予定でおります。)


 今回は、サンフランシスコ交通網に関してまとめたネット情報を以下に引用しよう。


 < 空港シャトル >

 サンフランシスコ国際空港からは多くのシャトル・サービスがあり、いずれも約10-15ドルで空港からホテルまで連れていってくれる。 空港ビルの2階に集まっているので、バゲッジ・クレームから1フロア上がったところで探そう。 ところで、こうしたシャトルの客引きにつかまると大変。  彼らは外国人や迷った風の、あるいは疲れた様子の客を待っている。 そして矢継ぎ早に声をかけながら半ば強引にシャトルに押し込み、荷物をシャトルの鍵のかかるところに入れてしまう。 一旦押し込められると、後は運転手が出発してくれるのを待つしかない。 こうした客引きには十分に注意しよう。

 私見だが。
 サンフランシスコ空港は今までに日本から5往復程利用したことがあるが、シャトル・サービス(シャトルバスのことか?)は利用経験が無いなあ。 それにしても安価な事だし、ホテルまで連れて行ってくれるらしいし、利用価値はあるかも。
 参考だが、何処のネット情報を見ても、上記のごとく“客引き”の危険性を述べているものだが、我が経験から言うと稀なパターンであろう。 ある程度英語が喋れ毅然とした対応を取れば、危険な目に遭わずに済むのではなかろうか。


 < タクシー >

 タクシーは1Fの黄色い柱の付近で乗車できる。 概ね30~50ドル程度でサンフランシスコ市内へ行くことが可能。 イエローキャブ、デ・ソト・キャブ、ベテランズ・タクシー、ルクソー・タクシーなどが主なタクシー会社。 どの国でも流しのタクシーは怖いものだが、これらのタクシー会社のクルマであれば特に問題はないはず。

 私見及び私事だが。
 以前サンフランシスコ個人行動時に、イエローキャブをつかまえた経験がある。 空港からの利用の場合シャトルよりもかなり割高なため、その際はシャトル利用を選択するべきかもしれない。
 ロンドン、インドのデリー、ブエノスアイレス、香港、台北等々諸外国でタクシーを利用したが、運転手の皆さんが良心的だった記憶がある。
 ただ、インド・デリーにて利用したタクシー運転手から降車の際に「余った外貨を置いて行け」と嘆願され、チップ代わりにそれを実行した事はあるなあ。


 < 鉄道 >

 鉄道は、エアトレインのガレージG駅でBARTに乗り換えることができる。 そこから乗り換えなしでサンフランシスコのダウンタウンに行くことが可能。 マーケットストリート沿いではMUNI METRO各駅に乗り換えできる。 またMillbrae駅ではCaltrainに乗り換えサンノゼもしくはサンフランシスコまで列車で行くことができる。

 私事だが、サンフランシスコからシリコンバレーへ行く際に鉄道利用を考慮中のため、これに関しては更なる詳細事項を下調べする必要がありそうだ。
 

 < サンフランシスコ市内交通 >

 San Francisco Municipal Railway
 MUNIはサンフランシスコの市内を駆け巡る便利な交通機関。 トロリーバスやケーブルカーもMUNIが運行している。 サンフランシスコはニューヨークなどと並んで自動車を使わずに市内を移動できる都市。

 私見だが、へえ、そうなんだ。 その種のシステムは東京にはないねえ。


 < ケーブル・カー >
 
  サンフランシスコには歴史的にも貴重で有名なケーブルカーがある。 このケーブルカーのケーブルは路面下に埋め込まれている。 現在は3路線が現役で、パウエル-メーソン線、パウエル-ハイド線そしてカリフォルニア線の3線。 残念ながら車椅子用設備は無い。 ステップ乗車という乗り方がある。 これは座席に座らずにケーブルカーの外のポールに掴まる乗り方。 速度が遅いのでそれほど危険ではない。 この3線の線路やケーブル設備は1982年から2年の歳月をかけて全面更新され安全面が強化された。 運賃は3ドル、車内で支払う場合は小銭を用意した方が良い。 始発で乗車する際は事前に購入することができる。 停留所には茶色い看板が出ていてもちろん途中乗車・途中下車が可能。 降りる際はグリップマンに告げないと通過してしまうことがあるので気をつけよう。

 私事及び私見だが。
 19歳時のUCバークレー短期留学時の土日休日に、果敢にもバークレーから一人でバート(地下鉄)に乗ってサンフランシスコへ出かけ、このケーブルカーに乗った。 当時は市民の交通手段でもあったのか、わずか50セントと格安だった記憶がある。
 現在は3ドルの高額との事、まさに観光収入の役割を果たしているのだろう。 ステップ乗車をしてみたくて、敢えてカッコつけてそれにトライしたのも懐かしい。


 < MUNIメトロ >

  MUNIメトロとはいわゆる路面電車。 F, J, K, L, M, Nの全部で6つの路線がある。 全ての路線がマーケットストリートのヴァン・ネス~エンバーカデロ間を地下(F線のみ地上)を並走しそこから各行き先に分かれる。 時々異なる行き先の電車が併結されているため行き先の注意が必要。 運賃は1ドル25セントで紙幣は使えないのでコインの用意が必要。 F線はカストロ~フィッシャーマンズ・ワーフを結ぶ唯一の全線地上の路線だが、何より全世界の各都市から集められたクラシック・カーが走ることで有名。

 私見だが。
 へえ、19歳時より37歳時までに5度サンフランシスコを訪れている私にとって初耳だ。 これに関しても、再調査する価値がありそうだ!


 最後に、冒頭写真の < バート > に関して記載しよう。

 これは我が19歳時のUCバークレー短期留学時にも利用経験がある。 どうしてもサンフランシスコを訪れたく、単身でこれに乗ってそれを実行した。
 当時は未だ新しい車両で快適だったような記憶があるのだが、あれから40年余りが経過した今、現地で如何なる地下鉄路線の役割を果たしているのだろう。


 そんなこんなの歴史的変遷に伴い、おそらく大きく変貌したであろうサンフランシスコ及びその周辺を地元の交通機関利用によりこの目で垣間見れるのが、今から楽しみでもある。

「育てやすい子」 議論に於ける 祖母(祖父)の愚かさ

2018年06月19日 | 人間関係
 今朝方ネット上で、「自分の娘の事を祖母(義母)から『育てやすい子』といつも言われ困惑している」、との内容の議論を発見した。

 上記娘を持つ母親からの問題提起(悩み)には数多くのネット反響が押し寄せていて、私は興味深くそれらを読んだ。


 早速、この母親の問題提起(悩み)から引用しよう。

 < 娘の事を「育てやすい」と義母にいつも言われる >  2007年10月5日 15:22 記

 変な悩みで申し訳ありません。
 タイトル通りなのですが、現在2歳の娘に会う度にいつも 義母に「育てやすい子ね~」と言われます。
 褒めてくれているのは分かります。
 でも娘を見る度「育てやすい、育てやすい」と言うので毎度イラッとしてしまいます。
 娘は反抗期。 私はいつもイライラしています。
 内弁慶なので一歩外に出ると静かです。 義母の家に行っても、お利口さんにしています。 義母はその姿しか知りません。
 反抗される度、義母の『育てやすい』という言葉を思い出し、余計イライラします。 確かに、よその子よりは育てやすいかもしれません。 それでも私は毎日必死で子育てしています。「いつもお利口ね」とか「上手に育てているね」なら嬉しいですが、「育てやすい」という言葉に、いつも過剰に反応してしまいます。
 
  (途中でコピーの一部が飛んでしまったが、以上、ユーザーID:7920513440 氏よりのネット投稿の一部を引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 結論から書くと、原左都子は絶対的に 実際我が子を現役で育てている母親の味方でしかあり得ない! 

 ところが世を見渡すと、この種の“低能”というのか“配慮心が欠けている”祖父母を、あちこちで見かける気がする。
 特に祖母の場合は自身にも子育ての経験があるならば、日夜直接我が子と向き合いすったもんだ格闘している母親の苦悩が理解できそうなものだが…。 
 “喉元過ぎれば”すべての出来事が他人事であり、現役母親の痛みが分からないその祖父母の単細胞ぶりにムカッ腹が立つ!
 アンタ(相談者の子の祖母)が言うところの「育てやすい子(孫)」から日々間接的にプラスの恩恵をもらってこの世を生き延びているのならば、「孫をお利口さんに育ててくれてありがとう。 母である貴方も身体を大事にしてね。」 こそがアンタが孫の母親に向かって言うべきセリフだろうが!!


 ここで、私事を語ろう。

 我が義母に関しては、同居はしたことがないものの孫である我が娘との距離が近かった事により、誕生時より娘が抱えている事情を熟知している。 そのため、まかり間違っても私に対して「育てやすい子ね~」なる間の抜けた発言は皆無だった。
 認知症状に苛まれてる今現在に至っても私に合う都度、「〇子さん(私の事)の献身のお陰で〇ちゃん(娘の事)がこんなに立派に育ってくれて、私は嬉しいわ。」と言ってくれる事実に、私もどれ程癒されることか。 (言い方を変えると、娘の幼少時代から義母も孫の成長をどれ程祈っていてくれたのかが慮れる発言でもある。)

 片や、郷里の実母だが。
 こちらも決して、私と我が娘を捕まえて「育てやすい子ね~」とホザく事は無い。
 ただ遠方に住んでいる関係で、我が娘に対するサリバンとしての長く厳しい教育指導の詳細をほとんど見た事が無い実母は、今尚“見当はずれ”の物言いをして私を呆れさせ続けている。
 その物言いとは。 
 「やっぱり〇ちゃん(孫のこと)は私の血筋で持って生まれた頭が良かったからこそ、ここまで成長できたんだねえ~。」
 我が実母の愚かさとは、あくまでも自分の“血統”にこだわっている事に根源がある事実に関しては、当エッセイ集バックナンバーにて再三述べている。 これ程までに愚かな実母の元に生まれ出てしまった自分がいつまでも悔やまれ、情けない思いでもある。


 話題を冒頭に戻そう。

 このネット情報の反応欄に、我が視点から興味深い記述があった。
 その一つを紹介するならば。
 
 兼業主婦で今月より職場完全復帰。 保育園の時間が合わなく送り迎えを実母に頼んでいる状況です。
 実母より本日、仕事なんか辞めてしまえ!と言われてしまうほど育てにくい。 0歳児のわが息子・・・。涙
 投稿者さんが、うらやましい。
 (以上、ネット情報の反応欄より一部を掲載したもの。)

 この世には、様々な親子、祖母孫関係が存在するようだ。
 いやはや、最後に紹介した0歳時を持ちながら職場復帰の現役母に寄り添い、自らも育児に励む祖母の日々の苦労の姿が目に見える気がする。
 

 我が実母も、一時でも不具合を抱える孫と壮絶な生活を共にしたならば。
 今更ながら「我が血縁だから〇ちゃんはこれだけ立派に育った」などとの究極勘違い戯言を、サリバンを全うしている私相手にホザく必然性も無かったのだろうし…。
 実母にもう少し客観力があったならば、年老いた今、娘である私にこれ程までに嫌われずに済んだのだろうか、と思ってやったりもするのだが……

 孫を持つ祖母(祖父)の皆様。 
 是非共、この厳しい時代に現役で “可愛い孫” を育てくれている母親(娘)への感謝の思いをお忘れにならぬように。

大阪及び関西地方の皆様、大地震お見舞い申し上げます。

2018年06月18日 | 時事論評
 つい先ほど本日2018.06.18 午前7時58分に、大坂及び関西地方に発生した震度6弱の大地震のお見舞いを申し上げます。



 現在、すべての在来線や新幹線、航空路線が止まり、広範囲に停電が発生しているとのテレビニュース報道ですが、どうか関西地方及びその周辺の皆様、ご自身の身の安全を第一に行動されますように。

 ( 2018.06.18 午前8時26分 記 )

“U.C.バークレー ”と “シリコンバレー”へ是非行きたい!

2018年06月17日 | 旅行・グルメ
 (写真左は、私が1975年夏に米国UC⦅州立カリフォルニア大学⦆バークレー本校に短期留学した際に発行された身分証明証。 右は、当時私が撮影した UCバークレーのシンボルタワー Sather Tower。)


 前回のエッセイにて、5冊目のパスポートを取得した話題を公開した。

 そもそも今夏米国西海岸旅行を企画する元となったエッセイを、昨年の7月に綴り公開している。
 2017.07.10公開のバックナンバー 「留学前鬱症候群、私も経験あるなあ」と題するエッセイの一部を以下に今一度紹介しよう。

 我が43年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻そう。
 そうこうして、当時未だ19歳の私は重いトランクを引きずり単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。 単身で上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
 ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
 その後シアトルにての数時間の乗換え待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー!  私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)
 ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。
 この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。  食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!!  元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能した。 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。
 それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。 何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再紹介したもの。)


 ところで、上に記載している私の宿舎だったUCバークレーの寮は、歴史的建造物だとの情報は当時から得ていた。
 これに関するウィキペディア情報をつい先ほど入手したため、以下に紹介しよう。
 ボウレス寮(Bowles Hallと呼ばれていた)は、フットボールなどに使用されるカリフォルニア記念スタジアム (California memorial Stadium) のすぐ北側に位置する。 州が所有している寮として最も古く、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。 1928年にマリー・マックニアー・ボウレス (Mary McNear Bowles) から贈与されている。 この施設は大学によって運営されている。

 本日午前中に、冒頭の写真を撮影するため「カリフォルニアの青い空」と自らタイトルを付けた“UCバークレー留学写真集”を何十年かぶりに紐解いたところ、上記身分証明書の他に、「Bowles Hall conferense meal ticket」も貼り付けてあるのを発見した。 
 まさにこの歴史的建造物寮の食堂で、滞在中土日以外は朝昼夕のすべての食事をお世話になったし、おそらく大学へ通っている留守中に清掃等もお世話いただいたのだろう。 

 そんな風に19歳時に1ヶ月程を過ごした懐かしいUCバークレーを、私は独身最終時期の37歳時に再び訪れている。  「是非UCバークレーを再び訪れたい!」との私の嘆願に当時交際していた国際恋愛相手米国男性が快く応じてくれ、2人で学内を散策したのだ。
 確かに、Bowles Hall も未だ燦然と存在していた!  私が1ヶ月間暮らした部屋は、ちょうど外の道から覗ける位置にあったのだが、当時窓ガラスを叩いて私を誘い出す留学生仲間が多発したものだ。 その部屋も当時のまま、我が思い出そのままにそこにあった事実が何とも感慨深かった。

 そして年月が流れ37歳時よりさらに25年が経過した今現在尚、私が米国の中で一番行きたい場所は、やはりU.C.バークレーだ。
 今夏8月に渡米したならば、今度は19歳当時はまったく興味が無かった大学内の科学館や美術館等々も娘と共に訪れてみたいものだ。 


 話題を変えて、次なる対象は「シリコンバレー」だが。

 これは、単純かつ純粋に私が行きたい(見たい)場所だ。

 再び以下に、ウィキペディア情報より「シリコンバレー」の一部を引用しよう。

 シリコンバレー (Silicon Valley) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。 特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。
 名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素、英: Silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷、英: Valley)に由来する。 この地域からはアップル、インテル、ナショナル・セミコンダクター、Google、Facebook、Yahoo、アドビシステムズ、シスコシステムズなどに代表されるソフトウェアやインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。

 テレビ映像等々で、それら世界的巨大企業群がシリコンバレーに集結している映像を見た事がある。 
 是非とも、我が目で見てみたいものだ。 

 今回の夏米国西海岸旅行の宿泊地と定めたサンフランシスコからシリコンバレーまでは200km程の距離があるようだが、これからその交通手段等を検索する作業に入る予定でいる。


 いやはや、 “旅行とは3度楽しめる” というのが我が「旅の鉄則」でもあるのだが。
 今回の娘を引き連れての米国西海岸個人旅行の場合、手配が早かったことが幸いして、この先2ヶ月間もその第一段階である “旅下調べ作業” が楽しめそうなのが嬉しくもある。