原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「本当にあった怖い話」

2019年10月04日 | 雑記

 以下に紹介するバックナンバーは実話です。

 決して原左都子自身の体験談ではないのですが、未だ私がうら若かった頃に身近に発生し震撼させられた事件故に、本ブログ開設初期に「雑記」カテゴリーにて公開したものです。

 

 それでは、本エッセイ集2007.10.07公開の、「本当にあった怖い話」をご覧下さい。

 

 B子はその時20歳代半ばだった。  携帯電話などまったく存在しない時代である。 B子は外見が派手で目立つタイプだ。  仕事の帰りの時間が遅くなることが多く、その日も夜10時頃駅から自宅マンションへの帰路を足早に急いでいた。 普段人通りが多い場所ではあるが、さすがにこの時間ともなると行き交う人もまばらである。  特に自宅マンションに近い道は人気(ひとけ)がまったくない。

 背後にひたひたと人が忍び寄っているのをB子は見逃してはいなかった。  警戒しつつも、次の角を曲がれば別々になることを期待していた。  ところが、次の角その次の角を曲がってもまだ、不気味にひたひたとついてくる。  自宅近くまで来たときB子は決死の勇をふるった。(自宅までついて来られては大変だ。) よせばいいのにB子は後ろを振り返り「何か用ですか!」と背後の人物(やはり男であった。)を怒鳴りつけたのだ。 

 相手は一瞬ひるんだものの、案の定逆切れしB子に襲い掛かろうとする。  こういう時のとっさの判断というのは大抵はずれる。  自宅マンションの近くだったため、血迷ったB子はマンションのエレベーターに乗り込みさえすれば逃げられるなどという、とんでもなく危険な方法を考え付いてしまい、我武者羅に走った。  相手は男だ。 追いつくに決まっている。 

 案の定マンションエレベーターのドアで男に追いつかれてしまい、もみ合いになった。  エレベーターの中の密室で二人になってしまってはもっと危ない。  B子は最後の力を振り絞りドアの外に出て、ありったけの大声で叫んだ。  「助けて!」「痴漢です!」 世の中は世知辛いものだ、誰も助けに来てはくれない。  と思っていたら、誰かが110番通報してくれたようだ。 サイレンを鳴らしパトカーが近づく。 お陰で、男は一目散に逃げ去った。  B子はかすり傷程度で済んだ。

 この話が怖いのはこの後である。

 こういう事件があると誰しも心にトラウマが残ってしまい、他人が皆悪漢に見え、しばらくは外出の度に怯えるものである。  B子とて例外ではないが、仕事に行かないわけにはいかず警戒しながら外を歩くことになる。

 事件の数日後、やはり夜遅く帰宅した時のことだ。  自宅の最寄り駅に降り立った時、ちょうど同じマンションの同階に住む住人の男性を見かけた。  普段まれに見かける程度でつきあいはまったくないのだが、B子としては藁にもすがる思いだ。  いっしょに帰ってもらおうと思い、B子はその男性に話しかけ男性も応じてくれいっしょに帰路を歩いた。  道中、B子はその事件のせいで大変な思いをしたこと、今でも不安なことなどを語っているうち、自宅マンションに着いた。 いっしょにエレベーターに乗って同階で降り、B子は男性にお礼を言って別れた。

 その直後、B子はその男性の後姿を見て身の毛がよだつ。
 な、なんと、そのうしろ姿があの事件の時の男にそっくりなのだ! 


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 この事件の後日談を記そう。

 当然ながら、B子は警察にその事実を告げたという。 ところが、警察からは「確証がない故に捜査不能」との返答が返されたらしい。 そして、この事件は終焉に至った…  ただその後、B子には更なる被害が無かった事が幸いだったようだが。

 

 今現在防犯カメラ技術やそれによる犯罪捜査が画期的な進化を遂げ、都市部での事件に関しては早期の事件解決が導かれているようだ。

 それに対し山岳地帯等、防犯カメラ設置不能の地域に於いては、今尚行方不明者や犯人等の捜査が難儀している事態を憂えたりもする…


大学の授業内容を学生に決めさせる、などあり得ない!!

2019年10月03日 | 教育・学校

 先だって、朝日新聞「声」欄にアンビリーバボーな内容の投書を発見した。

 何でも、朝日新聞2019.09.16付記事内に“学生の視点で授業を改善する取り組み”に関する記述があったらしい。 (残念ながら、私は当該記事を読んでいなければ、その日の新聞は既に新聞回収に回したようだ。)

 その記事によると、例えば「学生が選ぶベストティーチャー賞」を設け、「いい授業をしている教員を学生が投票で選ぶ」だとか、「授業で扱うテーマなどに学生の希望を反映する」のだそうだ。

 

 早速私見だが。

 天下の朝日新聞が、よりにもよって何故こんな愚かな記事を公開したんだ!??

 大学を何と心得る?? 法律上も、「大学とは“学問の府”」との規定がなされているのを知らないのか!??

 私自身高校教諭経験があるが、その高校に於いてすら授業内容を生徒に決めさせるなど、絶対にあり得ない事実だ。 学校にもよるだろうが、年間の授業計画とは文科省によりその内容や範囲がある程度決められている。

 私が勤務した学校は底辺校(失礼な表現をお詫びするが)だったが故に、生徒の能力に合わせて教員の授業内容の自由度がある程度高かった。 それでも教員側としても、これだけは生徒に習得させたい!なる意思があるし、高校とは言えども生徒が授業内容を決められる程に学習内容は容易ではない。

 しかも、「いい授業をしている教員を学生が選ぶ」とは何事か!? そんなものを生徒(や学生)に選ばせたものならば、ラクな授業や点数・出席状況に甘い教官が選ばれるに決まっているではないか!

 (いや、もしも我が勤務高校現場でその投票がなされたならば、必ずや私は上位に選出されたであろう。 何故かと言えば、生徒の選抜基準とは授業内容には関係無く、その先生が“好きか嫌いか”の価値感のみであるに決まっているからだ。 自分で言うのも何だが、とにかく私、男女を問わず“生徒に大人気せんせー” だったのよ~~~~~。 一人で言ってよっ、っと。)

 

 私見及び私事が長引いたが。

 朝日新聞2019.09.27付「声」欄のこの件に関して反論をしている50歳大学教員氏のご意見を、以下に紹介しよう。

 (上記朝日新聞記事を受けて)、学生に「いい授業」を決めてもらう。 要するに、学生に頼って授業改善を目指すという狙いだが、私は反対だ。 教員は4年間の教育の全体像から自分と他の授業の位置付けを鑑み、自分の授業の目的と内容を具体的に考えていく。 そして、最適な方法で授業を行う。 学生のノートの取り方や理解度などの現状も知らねばならない。 それらすべてが教員の仕事だ。 学生は教員のこうした仕事の流れを知りようがない。 また自分が何を知らねばならないのか分からない学生も多い。 よって、授業や教員の評価を任せられない。 頼るなら同業者だ。 他の教員と授業を見せ合おう。 そして教員自身の力で改善しよう。

 (以上、朝日新聞「声」欄投稿から、一部を要約引用したもの。)

 

 最後に、私論でまとめよう。

 まさに、投稿大学教員先生のおっしゃる通りだ。

 私など、むしろ同業者との授業の見せ合いすら必要無いかと考える教員経験者だ。 と言うのも教員も千差万別、その思想や能力の開きが大きいものだ。 ただし、特に義務教育を含め高校までの学校教育とは、上述のごとく文科省による「学習指導要領」に依存せねばならないこともあり、ある程度「授業の見せ合い」は意味があるかもしれない。

 それに対し、繰り返すが、あくまでも大学とは“学問の府”であるべきだ! 

 大学教官には必ずや「学問」を学生に伝授せねばならない使命がある。 (聞くところによれば、高校までの学習能力が十分ではない学生を数多く入学させ、それらの学生達に対し高校までの復習をしている大学も多々存在するとの嘆かわしい現実のようだが…)

 そのような現状であるならば尚更、学習能力すら無き学生達に「いい授業をしている教員を選ぶ」資格など一切無いはずだ。

 ここはどうか、大学教官氏達よ。 

 自らの学問経験に自信と威厳を保ちつつ、今後共学生達に対し「学問」こそを伝授していただきたいものだ!


再掲載「根拠不明の似非科学に膨大な国家予算を注ぎ込むな!」

2019年10月02日 | 時事論評

 今夜こそは、現在胸の痛みに苛まれている我が身を慮って、静かに暮らそうとしてたのだが…

 とあるブログを拝見し、そんな悠長にしている訳にはいかない! と思い直した。

 

 そんな思いも込めて、以下に2018.04.26 公開の、我が安倍政権バッシングエッセイを以下に再掲載させていただこう。

 

 不祥事続きの“インチキ安倍政権”だが、国民の視野に入りにくい科学分野に於いても許し難き不祥事を繰り返している様子だ。

 本日2018.04.26付 朝日新聞社説の一つは、元科学者の端くれである原左都子にとって大変興味深い内容だった。
 早速、「研究と成果 前のめりを戒めよ」と題する社説を以下に要約して紹介しよう。

 「常識をくつがえし、産業や社会に大きな変革をもたらす」 こんなうたい文句を掲げ、安倍政権のもと4年前に鳴り物入りで始まった研究開発制度で、根拠が不十分なまま成果を強調したと受け取られてもしかたがない事例が相次いでいる。
 カカオ成分の多いチョコレートを食べると脳が若返る可能性がある――。 内閣府と大手製菓会社は昨年初めにこう発表したが、30人に4週間チョコレートを食べてもらった結果をまとめたもので、食べなかった人との比較をしていなかった。  まだ論文にもなっておらず、予備的な実験だったという。 科学的な裏付けが十分でないとの声があがり、検証した有識者会議が「『脳の若返り』という言葉が独り歩きしてしまい、発表には慎重さが必要だった」と指摘したのは当然だろう。
 昨年秋には、新たに開発された計算機を「量子コンピュータ」と呼んだことに異論が出た。 現在のスパコンを超える高速計算を可能にする量子コンピュータは、まだその定義がはっきりしておらず、「拙速に量子コンピュータを語るべきではい」との意見も出て、当面そう呼ばないことになった。 この研究開発制度には総額5500億円の基金が設けられ、内閣府が所管し、首相を議長とする政府の総合科学技術・イノベーション会議が、研究テーマ設定やプロジェクト責任者の最終的な決定に当たっている。
 国の産業競争力を高め、国民生活に貢献するという視点が明確に記され、責任者に巨額の予算と大きな権限が与えられているのが特徴だ。
 リスクを伴う研究開発に産学官が協力して取り組む仕掛けは必要だ。 しかし、成果の発表には正確さと慎重さが欠かせない。 説明に行き過ぎた表現や誇張があれば、科学への信用を損ねることになる。 公的資金を投じた研究が特定の商品の宣伝につながりかねない危うさへの目配りもいる。
 客観的な立場からチェックするのは、資金の出し手である政府の役割でもある。 ところがその政府自身が、経済成長につながる成果を求めるあまり、前のめりになっていないか?
 根拠に基づいた冷静な情報発信に徹する、そうした態度が科学の基本であることを、関係者は肝に銘じてほしい。
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より要約引用したもの。)

 ここで、一旦私見だが。
 アホ臭いことこの上ない。
 何だって?? チョコレートをたった30人に4週間食べさせた結果をまとめ、「脳が若返るからチョコレートを食べろ」だと!?!
 まだ予備的実験段階で論文にもなっておらず科学的裏付けが無いに等しい段階で、内閣府もからんでこれを国民に発表したんだと??!  何ともまあ、驚くべき“科学ド素人”対応だこと!
 これ、明らかな政府と製菓会社との癒着だ。
 事が「チョコ食え!」であり、国民の間にさほどの健康被害が発生しないであろう点のみが救いだが。
 製薬会社と政府との癒着など当の昔から悠然と行われているが、皆様もご存知の通り、副作用死者を出し続けているのが実情だ。

 別の視点からの考察だが。
 過去に於いて基礎医学分野で医学実験経験を重ねて来た私だが、特に“サンプリング実験”の場合、そのサンプル数を出来る限り多く集めるのが大変な作業だったものだ。 実験対象が「健常者」の場合は比較的サンプルが集まりやすい。 反面、特殊疾患患者等々の場合、その数を集めるのに難儀したものだ。
 上記チョコレート実験では、サンプル数がたったの30人、しかも4週間のみチョコを食べさせただけで、よくぞまあ「脳が若返る」なる突拍子もない結論を平然と導いたものだ。
 とにかく最低限論文にして世に発表するべきだろう。 それをしてくれない事には、実験の手法や手技、サンプルの実態、「脳が若返る」との結論を導いた過程等々がまったく捉えられない。

 片や、「量子コンピュータ」の事例では、なんと! 巨額基金創設と共に研究プロジェクト責任者には巨額予算付与と大きな権限が与えられているというではないか!
 いやはや、これまた、STAP事件を彷彿とさせられる。
 あの事件の場合、小保方晴子氏がメディア報道に喜んで応じて“かっぽう着”姿ではしゃいだがために、科学素人の国民間でも論文の改ざん・捏造が早期に表沙汰になった事が幸いした。(私はそのように理解している)
 一方、「量子コンピュータ」の場合、まさか研究員のどなたかが“かっぽう着”ではしゃがないであろう。 そうすると、メディアの目に触れない水面下で、如何なる研究が成されているかの検証もままならないまま、その国民の血税による巨額の予算が消費され続けるであろう事実が目に見える。
 安倍首相がその研究開発会議の議長であるらしい。 これまた、一体どれだけの巨額国家歳費が膨大を続けることであろうか…  空恐ろしい話だ……

 その安倍さんはこの5月の連休も昭恵夫人を引き連れて超豪華首相専用機で外遊し、国民からの血税を訪問諸国にばら撒いて来る様子だ。 

 どうしてこうも、安倍氏とは“ノーテンキ”なのか?
 自身の進退を問われて久しい身にして、その傍若無人ぶりに呆れ果てるしかない。
 ここはやはり、安倍氏の「精神鑑定」をその専門医氏にお願いしたいものだが……

 (以上、我がエッセイ集2018年バックナンバーより、急きょ再掲載させて頂いた。)


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 実際問題、私が現在患っている「胸痛」の根源に関しては私自身も探れないでいる。

 もしかしたら安倍政権のあまりにもデタラメ政治こそが、その元凶かと思ったりもする…

 そんな思いも込めて、敢えて今夜遅い時間帯にこのエッセイを再掲載させて頂いた。 


珍患者・左都子の “10年ぶりの内科受診記”

2019年10月01日 | 医学・医療・介護

 「病院へ行かない主義」で名を馳せているこの原左都子が、昨日、実に10年ぶりに近くの内科医院を受診した。

 一体、我が身体の何処がどうしたのかを説明するならば…

 ウィーン旅行から帰国した後頃からだろうか。 どうも、食事と連動して左胸が痛む感覚があった。 特に朝食時にその症状が顕著であり、昼食時にも同様の症状が出る日々が続いた。(どういう訳か夕食時には酒のせいもあるのか?、その痛みは無いのだが。 夜中にその痛みが出るということも一切無かった。)

 元医学関係者の私としては、当然ながら自己診断にてあれこれと病名を探るのだが…

 食事と連動して左上胸部及びその周辺が痛むということは。 私なりに、消化器系に何らかの異常があるのではないか、最悪の場合、食道か胃に癌が発生しているかもしれない… などと勘繰り始めると、この私ですら恐怖感に苛まれ始めるのだ。

 それにしても何で痛みが左胸中心なんだ?? 合点がいかないなあ。 などと考えつつ。

 

 昨日、重い腰を上げて自宅近くの内科医院を訪れた。

 参考だがこの医院へは現在の住居へ転居後、17年の年月に渡り一家3人共お世話になっている。 (上記のごとく、私自身は10年ぶりだったが。) 

 それでは、診察室でのやりとりを以下に列挙しよう。 (内科医先生をM先生とさせていただく。)

 私 「こんにちは。ご無沙汰致しました。」

 M先生 「本当にご無沙汰でしたね。 今日はどうされましたか?」

 私 「前回の診察以来、ずっと元気だったのですが。」 

 M先生 「それは何よりでしたね!」

 私 「(上記の症状を説明した後)、最悪の場合、消化器系の癌も考えられるかと自己診断しまして、本日診察に伺いました。」

 M先生 「消化器系の癌とした場合、痛む場所が左上胸部というのが少し突拍子が無いかとも思います。 ただ〇さん(私の事)がそう診断したのならば、念のためカメラを飲みましょうかね?」

 私 「先生、そっ、それだけは勘弁して下さい! カメラを飲むのは、私にとっては別の重い病気が出来そうなほどに辛いんです!!」

 M先生 「過去にカメラを飲んで何か問題があったのですか?」 

 私 「はい。 私は医学部出身なのですが(M先生も既にご存じだが)、学生時代に自分の胃液を採取しての検体検査目的と共に、患者さん達の苦しい思いも実体験するとの目的も兼ねてゾンデを飲まされたことがあります。 周囲の学生達はまるでうどんをすするがごとくスルスルと飲めるのに、この私は何と3時間が経過してもゾンデが喉を通らず、“オエ~~~~ッ”とゾンデを吐き出してばかりの死ぬ思いをしました。 あんな苦しかった経験は後にも先にもなく、今尚トラウマとなっています。 ましてやカメラを飲むなど、私にとっては地獄に落ちるがごとくの仕打ちです。」

 M先生 「そうでしたか。その思いも分かりますが…  ただ、現在のカメラは実に小型に出来ていて、意外や意外、患者さんが横になっていてさえくれれば、アッと言う間に検査が終了するかもしれませんよ。」 

 私 「本当ですか?!」

 M先生 「いずれにしても私の現在の考えは先ほど申した通り、もしかしたらその痛みは消化器と連動したものでは無く、単に筋肉由来であるかもしれません。 〇さんは現在何か運動をされていますか?」

 私 「はい。 週に2度5kmを完走しています。 これが現在の私に取って何にも勝る達成感・爽快感の源でもあります!」 

 M先生 「それは凄いですね! (私に5kmを何分で走っているかを確認した後に)、いやいや実に素晴らしいじゃないですか! 不整脈症状も無い現在、どうも〇さんは心身共にお元気そうで癌等の疾患とは無縁のような気もします。 〇さんの場合、側彎症がある故に左側にのみ筋肉の痛みが出る事もあり得るかもしれません。 それでも〇さん自身がどうしても消化器系の疾患を疑うのならば、それも尊重しましょう。 どうでしょう、しばらくランニング等の運動を続行しつつ様子を見て、未だ症状が気になるようでしたら今度こそカメラ検査の段取りにしませんか?」

 私 「ご理解、誠にありがとうございます。 それでは、どれ程の期間様子見しましょうか?」

 M先生 「1、2週間でどうでしょうか? その間に〇さんの不安の程が拭えない場合、いつでも受診下さい。」

 

 まとめに入ろう。

 こんな珍患者、実際にこの国に存在するであろうか?

 加えてこれ程までに患者の立場に立って診察に挑んで下さる医師先生も珍しいのではなかろうか?

 もしも今回のM先生の診断が誤診であった場合、相手が素人患者だったならば“命とり”との結論ともなりかねない。  ただそうはならないであろう。 M先生は患者一人一人に寄り添われながら、日々丁寧な問診の上診察に当たられている。

 元医学関係者である我が素人診断も尊重して下さりつつ、次の診察の提示も頂けている。

 私にとっては、M先生とは我が理想の地元医院の内科医先生であられる。 それだからこそ、何かの場合には必ずやM先生に依存させていただいて来ている。

 さてさて私は後1~2週間内に、カメラを飲まざるを得ないのか、どうなのか?!?