原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

単に一過性だが、ブログがとことん嫌になった!

2019年10月10日 | 自己実現

 いえホントに単に一過性ですので、放っておいて下さったらすぐに治ります。

 ここのところパソコンの調子が悪くて…

 買い替えて6年目だが、1ヶ月程前にパソコンから「更新せよ」との指示が来た。 いつもならば無視するのだが、ちょうど就寝前だったため、更新したまま放置して朝になればいつものように使えるだろう、と素人考えをしたのが大きな間違いだった。

 その後、ずっとパソコンを起動する都度メッセージが出る。 その文言とは、「自分では復旧不能な状態となっているため、問い合わせをするように」云々の内容だ。 鬱陶しいなあと思いつつ、それを無視して何とかパソコンを騙し騙ししながら、反応が遅いまま酷使している日々だ。

 

 昨日、外出したついでに、家電量販店へ立ち寄った。

 パソコン売り場へ行き、私が愛用しているFMVノートパソコンコーナーを見ていると係員がやって来た。 「新しいパソコンをお買い求めですか?」 私応えて、「いえ、見学させて頂いているだけです。 あのー、マウスは使用できないのですか?」 「マウスは使用できません。 遊んでいただくならば、本体のここをいじって下さい。」とのみ告げて、そそくさと去って行った。

 (何だよ、まったく商売っ気がないなあ。)とガッカリしつつ、ネット接続もできないならば遊びようがないじゃないか。 と思いつつ他の家電コーナーへ場所を変えると、そこで先程の係員氏が一生懸命に他製品の梱包をしているではないか。 買う気のない顧客に構っている暇などないんだなあ、といたく同情する始末…

 そうか、この家電量販店も潰れかけているとの噂があるし、世は皆大変なんだ……

 と思い直し、今度は大規模日用品店舗に立ち寄り化粧品類を買い求めようとすると。 「1年以上ご来店いただいていないので、ポイント制度が無効になっています。」とのこと。 (ちょっと待ってくれよ、ここのポイントは10%と大きいから、今日ここで化粧品を買いたかったのに…)と困惑していると、「電話番号登録でポイントが付きます。」との説明。 ならばと自宅の電話番号を応えて、ポイントを付与してもらった。

 

 そんな事はどうでもよいのだが。

 何だか、虚無感に襲われそうな世の中だ。

 そんなこんな思いながら今朝パソコンを開こうとすると、今まで以上に調子が悪い。 メールが見辛い程に動きが悪いのには困惑させられる。

 それでは先にブログをチェックしようかと思い直し、人様のブログを拝見すると。

 人様のブログのコメント欄に“自分の体調が悪かったが治った。” なる書き込みがあった。 治ったならいいじゃないか、何で他人のブログコメント欄に今更過去の自分の体調の悪さを引き合いに出して、“大変でしたね。治って良かったですね。”の優しさのリアクションを求めるのか!??  しかも当該ブログは、写真ブログだ。 美しい写真の数々をいつも公開されている。 そんなブログに相応しいコメントとは到底思えない。

 こんな世知辛い世の中故に、何処でも誰でもいいから、自分を肯定的に捉えてくれる他者を見つけて甘えてもよいのだろうが…  この天邪鬼の私などこういうのを見てしまうと、ますます虚無感にどっぷりとつかってしまいそうだ。

 また、あるブログでは、「アクセス数が〇〇を突破しました。 皆さんも応援お願いします!」  何でそれ程までに得体の知れない「数値」に自分の存在価値を見つけたいのか?? またまた虚無感に襲われてしまった…  (いや、人の勝手とは分かっているものの…)

 

 今週末には、またもや巨大台風が日本列島を直撃するらしい。

 私が住む東京も、明日から大雨予報だ。 

 今日の午後は、是非とも5kmランニングに出かけよう! 力一杯走ってきたら、この“根拠無き虚無感”も払拭できるだろう。

 そしてまた明日からは好き放題にオピニオンエッセイを綴り、私らしさを取り戻そう!


「2019ノーベル化学賞」吉野さん、受賞おめでとうございます!

2019年10月09日 | 学問・研究

 今現在、メディアの取材に応じておられる立場でご多忙のご様子だが。

 

 リチュウムイオン電池の発明は確かにこの世界を革新的に変革したものと、原左都子も大いに評価申し上げたい!

 

 今回のノーベル化学賞受賞は、外国人も含め3名の受賞のようだが。

 

 とにかく、おめでとうございます!


山中伸弥氏による “iPS細胞小講座” (NHKテレビより)

2019年10月08日 | 学問・研究

 

 (写真は、昨日発表された2019年「ノーベル医学生理学賞」に関連する朝日新聞記事を転載したもの。 これに関しては、本エッセイの最後に少しだけ述べます。)

 

 この本年度ノーベル医学生理学賞の発表に連動してか、本日昼間のNHKテレビ「午後ナマ」のゲストが、2012年度ノーベル医学生理学賞受賞者であられる山中伸弥氏だった。

 番組冒頭にて、山中氏による“iPS細胞小講座”が放送された。 素人にも分かりやすい解説だったため、我がメモ書きに頼り、記憶が新しいうちにその内容の一部を紹介しよう。

 その講座の前に山中氏による雑談があったのだが、それが面白かったため前座話として紹介しておこう。

 山中氏は、ノーベル賞を取得する以前は、京都先斗町をよく飲み歩いていたそうだ。 ところが受賞後、“時の人”となってしまい、その後は先斗町飲み歩きを自粛しているらしい。 その後年月が流れ、今となっては先斗町は海外旅行者の訪問地と化し日本人が少ないそうだ。 それ故、また先斗町飲み歩きを復活させたとか、させてないとか…?? 

 さて、それでは「iPS細胞小講座」に戻ろう。

 山中氏は現在iPS研究所所長として、約600名の研究者達を率いる立場の所長を務めている。 そのため、ご自身は実際に実験を実行する等の研究とは直にかかわっていないとのことだ。 故に、本国内に於いては研究者というよりも、iPS宣伝活動担当も含めた“経営者”の立場であることをご自身が認めておられた。 その分、米国を訪れた際等に実験を施すことはあるそうだ。(?)

 このiPS細胞は、12年前に山中氏ご本人が自ら作ったとの事だ。 ここから専門的になるが、人体は約37兆個の細胞から成り立っているが、その元はたった1個の受精卵である。 その受精卵が細胞分裂を重ね10か月後に37兆個にまで増殖する。 そして生命誕生となる訳だが。

 受精卵が人体を構成する臓器の細胞となるのは、一方通行だ。 それが逆戻りできないものか、と山中氏は目を付けた。 その逆戻り、すなわち細胞の運命の「リセット」をする方法を見つけた事実、イコールiPS細胞の誕生だった。 このiPS細胞はどんどん増殖させることが出来る。 そしてiPS細胞を増殖させた後に、神経、心筋、肝、筋肉、等々の細胞を作り出すことが可能だ。

 今現在、このiPS細胞は中高生にでも作れることが出来る程の簡単な実験手技だそうだ。 しかも、金銭的にも数十万円程で作れるらしい。 ところが一旦これが臨床現場で再生細胞を作り出すためには、3000万円程の費用がかかるらしい。 しかも、細胞から臓器に発展させる過程が現在でも難しいのが未だネックでもあるそうだ。

 現在の「再生医療」に関しては、我が国でもパーキンソン病や角膜障害に対応可能なレベルにまでiPS臨床応用が進んでいるとのことだ。 山中氏の希望としては、このiPS細胞利用により「薬の開発」(たとえば、アルツハイマー型認知症やALS等の疾患対応薬作成)にまで発展させたい、との談話だった。

 iPS細胞が誕生して12年の月日が流れているが、“未だ道半ば”とも山中氏は語った。 今後もっと数多くの病気に対応させるためには、「オールジャパン」体制でiPS細胞研究を実行するべきとの発言もあった。 iPS細胞臨床応用の先駆者は米国であるが、米国の特徴としてその研究に莫大な費用をかけられることにあると(羨ましそうに)語った。 (要するに、日本ではその支援金が少ないと言いたいのだろうが)、山中氏の希望としては、単に資本主義に走るのではなく、適正価格でiPS細胞技術による医薬品等々を患者に届けたい、とも語った。

 (以上、原左都子のNHKテレビ放送“聞き取り書き”により、本日放映された山中伸弥氏の「iPS細胞小講座」を紹介した。)

 

 私論に入ろう。

 原左都子がこの山中伸弥氏の“iPS細胞”騒動を肯定的に捉えていない事に関しては、本エッセイ集バックナンバーに於いて幾度も公開している。

  何故肯定的に捉えられないかと言えば、それはまさに本人も認めているがごとく、この方はノーベル賞受賞後は医学研究者というよりは、“iPS細胞宣伝部長”としてしか動いていない事実故である。(未だお若いのに、どうしてご本人が医学実績を活かし更なる研究意欲を続行しないのか? 私はあくまでも疑問だ。) 本日のNHKテレビ出演に於いて、それをご本人が正直に認めたところが興味深かった。 

 それにしても、これまた本人が本日認めた通り、日本に於ける“iPS細胞臨床応用研究”も未だ道半ばだ。(いや、我が印象だと“道一割”との感覚だが。) 要するに、成果が乏しい割には“iPS応用研究”にカネがかかり過ぎているとの印象すらある。 山中氏の“夢”の程は理解出来るが、医学臨床研究とは “流行りうさり”で捉えられるべく事象でもなかろう。

 ここはやはりいくらノーベル賞受賞者であると言えども、“売れっ子”になった事実にいつまでも浮かれていないで、もう少し広い視野をもって臨床医学全般を見つめ直してみてはどうか?、と結論付けたいものだ。

 

 おっとっと。

 熱を入れて執筆しているうちに、字数も時間もオーバーのようだ。

 冒頭写真の「2019ノーベル医学生理学賞」に関しては、次回以降に回そう。 


再掲載 「次の女が出来た、だと!?」

2019年10月06日 | 恋愛・男女関係

 前回公開した恋愛関係エッセイ「再掲載『傘を返して欲しい…』」はお陰様で好評を博した(?)ようだ。

 それに気をよくして、引き続き“男女恋愛関係の終焉(別れ)”に関し、まったく別の側面から捉えたバックナンバーを、紹介させていただこう。

 

 早速、2008.12.12公開の「次の女が出来た、だと!?」 を以下に再掲載しよう。

 前回の記事において、失恋で心がズタズタになった21歳女子大学生の相談を取り上げた。 その失恋相談の内容というのが、交際相手の男性から突然「好きな人が出来たから別れて欲しい」と伝えられ、トンカチで頭を殴られた気分。 彼にひどいことをされて、心はズタズタ、涙しか流れない、というものであった。

 今回の私の記事の表題に掲げた「次の女が出来た」と「好きな人が出来た」とではややニュアンスが異なるかもしれないが、それにしてもこの相談女子大学生の交際相手の男の“アホさ加減”に呆れるのは私だけであろうか。
 それとも今の若い人たちの間では、恋愛の終焉時に「好きな人が出来た」だとか「次の女が出来た」から別れる、というような短絡的な言葉が当たり前のごとく相手に対して平然と発せられているのであろうか。
 たとえば、散々すったもんだした挙句の喧嘩別れのような場合、その場の勢いで上記のような直接的な言葉を浴びせてしまうこともあり得るかもしれない。 だが、この相談例の場合そうではなさそうだ。 直前まで二人の関係はうまく行っていたらしいのに、まったく突然の発言であったようだ。 女子大学生が訴えているように、この別れ方は“ひどい”としか言いようがない。 それともこういう別れ方は、今の若い世代の人々にとっては“後腐れ”のない別れの一手段であるのだろうか。

 別れ方にも礼儀あり、ではないのだろうか。
 それ以前の問題として、そもそもこういう短絡的な別れ方をもたらす付き合いとは、どれだけお互いに踏み込めているのか、二人の間に真の恋愛関係が築かれていたのか、という疑問も湧いてくる。

 私事になるが、私の過去の長い独身時代の数多い恋愛遍歴 (いつもこればかり引き合いに出してスミマセン…) に伴う“別れ”においては、相手からこういう類の言葉を投げかけられたことは一度もない。 真実は知らないよ。もしかしたら相手に“次の女”や“好きな女”がいた事例もあったのかもしれない。 だが、少なくとも私はその事実を知らずして相手と別れている。
 もし仮に相手に“次の女”や“好きな女”がいたにもかかわらず、相手からその話題が出なかったのにはいろいろな理由が考えられる。 相手の私に対する配慮だったのかもしれない。 あるいは“次の女”が出来たことよりも私と別れたい気持ちの方が決定的だったため、別れる理由として“次の女”の話を持ち出す必要性がなかったということもあり得るだろう。 そうだとすれば、その“別れ”は辛くとも納得できる話である。
 逆の立場を思い浮かべてみても、私から「次の男が出来たから別れる」などと切り出したこともない。 それに近い状況はなくはなかったかな?? ただ、恋愛相手との別れとは、“次の男”が出来たせいでは決してない。 元の恋愛相手との関係にひびが入りギクシャクしている隙間に“次の男”が徐々に顔を出してくることはあったかもしれない。 だが、恋愛相手との別れが早かれ遅かれ訪れる必然性は“次の男”の出現の有無にかかわらず、元より存在していたものと思われる。


 もしも、今の若い世代の人々の間で「次の女(男)が出来た」「好きな人が出来た」ことが“別れ”の理由として一般化していて、この言葉が相手に公然と告げられているとするならば、これもやはり“人間関係の希薄化”の一現象であると捉えられるのではなかろうか。

 恋愛とは、1対1の深い人間関係である。 そのような至って親密であるはずの人間関係の終焉時の言葉が、これほどまでに軽薄化した時代と社会を寂しく感じる私でもある

 (以上、本エッセイ集2008年12月バックナンバーより再掲載したもの。)

 

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 恋愛相手との“別れ方”も多種多様であろうが。

 前回公開したような、別れの最後の言葉が「傘を返して欲しい…」だったのは実に特異的と言えるのではなかろうか? だからこそ、今尚忘れがたい想い出でもある。

 私が一番嫌な別れ方は、“自然消滅”だ。

 そんなのあり得ない、と思う方も多いかもしれないが、この私は幾度となく経験している。 何故かと言えば、決して「深追い」をしない主義の私故だ。

 その裏側にある我が“女心”として、必ずや相手男性が“追いかけて来てくれる!”ものと信じている故でもある。 それが大きな勘違いで、私が深追いをしないことを“これ幸い”として“逃げ切った!男が何とも多かった事か!

 ただこの種の事例の場合、私側も大して未練がないものだ。 所詮、その程度の付き合いしか出来ていなかった相手だったと振り返る。

 それにしても、実に長き恋愛時代を謳歌した我が独身期間だったものだ。 これが功を奏していると言うべきか(十二分に恋愛を堪能してきたと表現するべきか??)、晩婚後、不倫に走ろうかとの“過ち感覚”が希薄な私でもある。

 そういえば、ここのところ “素敵だな~~” と感じ入る男性に出会えていない気もする。

 「内心の自由」は法的にも保障されている故に、少しは“一線を越えて”我が心が躍る男性に巡り逢いたいものでもあるなあ。 


再掲載 「傘を返して欲しい…」

2019年10月05日 | 恋愛・男女関係

 今回紹介する「原左都子エッセイ集」バックナンバーは、結構リアルな恋愛ものです。

 我がブログの主柱は開設当初より「時事問題や学問・研究、教育、医学問題等々に関するオピニオン公開」にある。

 それ故に、私があまりにもリアルな恋愛ものエッセイを公開すると、時には「がっかりした」だとか「不謹慎だ」とマイナス感情を抱く読者の方々もいらっしゃったようだ。 (それらの方々は、当の昔に我がブログから去り行かれたようだが…)

 そんな中、この恋愛ものエッセイには大変貴重なコメントを頂戴した! 下に紹介した「たぬち庵」さんよりのコメントがそれに当たるが、これを本文に先立ち公開させていただこう。 

  < 山陰の田舎に住む爺さんのたぬち庵と言います。 どこからか辿ってきて以来、愛読者になりました。 たまにこう言うのも入れて頂くと、ずいぶん身近な方に感じ、さらに奥深く愛すべきブログになりそうです。これからも愉しみにしています。>

 このコメントを読ませて頂き、私はどれ程感激したことか! (たぬち庵さん、その後お元気でいらっしゃいますか?) 

 下のコメント欄内ガイアさん宛の私からの返答内にも書かせて頂いたが、「すべての経験が私を成長させ私の人格を創り上げてくれています。 ひとつひとつのドラマを大切に心の中で暖めていたいものです。 そして私もいつまでも青臭い青春を引きずっていたいと思います。」

 まさに今でもその通りだと感じる。 人間が生を営む上で「恋愛」とはなくてはならない尊い業である。 それを軽視したり軽蔑したりする人種とは、あまりお近づきになりたくない感覚が今尚ある。

 

 さてそれでは、2008.05.25公開の「傘を返して欲しい…」とそれに頂戴したコメント群を、以下に再掲載させていただこう。 

 出逢いにはいつも別れが付きまとう。
 どうせ別れるのならきれいに後腐れなく別れたいものであるが、なかなかそうはいかないのが別れというものの特質でもある。

 こんな雨が降り続く週末の日曜日には、私の脳裏にひとつの風変わりな“別れ”の記憶がよみがえる。
 今日は、そんな若気の至りの別れを少し綴ってみよう。

 彼との出逢いは六本木のディスコだった。 未成年者お断りの、入り口で身分証明書を提示して入場する少しアダルト系の比較的落ち着いたディスコだ。
 混雑度もそこそこで全体が見回せる。 ロン毛で鼻の下にヒゲを生やした少しニヒルな独特の雰囲気の彼は目立っていて、私も既にその存在を把握していた。
 ディスコで声をかけられる(当時は大抵男性が女性に声をかけたものだが。)のは、自分の座席かダンスホールで踊っている最中というのが多いパターンだ。が、今回は違った。 何がしかの用で私が通路をひとりで歩いている時、そのニヒルな彼に引き止められたのだ。 存在を把握していた男性に声をかけられるとは、意外とラッキーな展開である。 と言うのも、当時はこういう場では女性はまだまだ受身の立場なため(少なくとも私は。)、意に沿わない男性に声をかけられた場合の対応が面倒なのだ。 そういう場合もちろんお断りするのだが、しつこく付きまとわれる場合もあって迷惑する場合もあるからだ。
 しばらく通路で二人で立ち話をしたのだが、この場では通行人の邪魔だし、一緒に飲もうということになり彼のグループが私のテーブルまで移動してきた。 こちらは女性2人、あちらは男性が3人程だったと思う。
 私の友人も含め他のメンバーのことは記憶がないのだが、とにかく私とそのニヒルな彼はすっかり意気投合し、飲みながらあれやこれやと語り合った。 そして、また会う約束をした。

 彼は美容師だった。 フリーのカリスマ美容師を目指し当時原宿の美容院で修行中の身だった。 片や当時の私は医学関係の専門職サラリーマン。 そんな異文化コミュニケーションが若くて無邪気な私には何とも新鮮で刺激的だった。
 彼にはエスニックの趣味があり、メキシコ料理を好んで食べていた。 それで、デートの時にはいつも彼の行きつけのメキシコ料理店へ行く。 それまで辛口の食べ物を好まなかった私も、テキーラやマルガリータを飲みながら彼と一緒に唐辛子等の香辛料の効いたトルティーヤやタコスをヒーヒー言いながら食べたものである。
 エスニック調の皮革品を好む彼の鞄を二人で選ぶために、原宿の彼の職場の近くのショップを探索したりもした。
 そして、デートの締めくくりはいつも私鉄沿線にある彼の部屋で飲むのだが、オリエンタルなムードが漂う独特な雰囲気の彼の部屋が私はとてもお気に入りだった。 バリ島が好きな彼の部屋はバリ島の民芸品であるバティックやシルバー製品などで装飾され、私が訪ねるといつもインドのお香をたいてくれた。 そしていつも二人のお気に入りの音楽を聴いた。
 ただ、私の頭の片隅には彼との関係は長くは続かないであろうとの不安定感がいつも蔓延っていた。 互いに自立心旺盛で互いに自分の夢を描いていて、互いに自己主張が強過ぎるのだ。   いつかは別れが来る、その別れは意外と早いかもしれないという不安定感が、返って二人の関係を加速させていたのかもしれない。

 そして何ヶ月か経過し、表向きの付き合いの楽しさと脳裏をかすめる不安定感とのギャップはさらに深まっていた。
 ある日、もう潮時かと悟った私の方から別れ話を持ち出す決意をした。 彼の脳裏にも同様の考えはあったはずだ。 だが、唐突に私の方から具体的な別れ話を持ち出された彼は動揺した。 負けん気の強い彼は別れを認める。 それも私は計算済みだった。 そして二人は別れることになり私は彼の部屋を出ようとした。
 その時、彼が言う。 「傘を返して欲しい…」 と。
 
 雨の日に彼の部屋から帰る時に借りていた安ビニール傘をまだ返していなかったのだ。「わかった。今度届けに来る。」そう言って私は去った。
 後日、私は彼の留守中を狙って彼の部屋を訪れ、鍵のかかった玄関先のドア付近にビニール傘を届けた。傘には再度お別れの手紙を綴って巻き込んでおいた…。
 
Unknown (たぬち庵)
2008-05-25 13:06:30
山陰の田舎に住む爺さんのたぬち庵と言います。
どこからか辿ってきて以来、愛読者になりました。
たまにこう言うのも入れて頂くと、ずいぶん身近な方に感じ、さらに奥深く愛すべきブログになりそうです。これからも愉しみにしています。
来ていませんでしたっけ (カズ)
2008-05-25 14:46:29
よく分からないけど、荒木師匠と呼ばれた人もそこに
来ていませんでしたっけ? 
たぬち庵さん、どうか今後共ごひいきに。 (原左都子)
2008-05-25 15:50:00
たぬち庵さん、当ブログへの初コメントを誠にありがとうございます。
私どものこんな拙いブログの愛読者になって下さり、感謝感激の思いです。
私のブログの場合、自己のオピニオンの公開を趣旨としておりますが、たまに自分自身の息抜きの意味合いもありまして、こういった雑記カテゴリー記事や、音楽、お酒関連の記事も綴っております。それを肯定的に捉えて下さる方がいらっしゃることをとてもうれしく存じます。
これからもこのような息抜き記事も交えて綴って行く予定でおりますので、どうか今後共当ブログをお訪ね下さいますように。
  
カズさん、荒木師匠とは? (原左都子)
2008-05-25 15:57:10
カズさん、いつも謎めいたコメントをありがとうございます。 この謎が分らない程、私自身は面白くて受けてます!
で、荒木師匠ってどなた???
バックナンバーでも公表していますが、私は70年代後半頃に東京のディスコへ通いつめました。
その頃の東京の名立たるディスコに関しては大抵の事はわかるのですが、時代が少しでもずれると未知の世界となります。 是非、今度教えて下さいね。 
Unknown (katsuko)
2008-05-26 09:55:19
何時も拝見しています 楽しいブログでお気に入りの一つです今回は傘が面白くてコメントいたしました。
おかしいおちですね!!!ハハハ・・・
私なら家中のビニール傘を集めて置いてきます
原さんはきっとどこかで私と会ってますね?年代が同じです。身長も体重も!!ちなみに荒木師匠とは80年代後半からです。 
katsukoさん、いつもご訪問ありがとうございます。 (原左都子)
2008-05-26 10:20:01
katsukoさん、再コメントありがとうございます。
私もkatsukoさんのブログはよく訪問させていただいております。
そうですか、年代もkatsukoさんと私は同じですか。
70年代後半頃に夜の六本木、新宿あたりをうろうろしていましたので、お会いしているかもしれませんね!
荒木師匠情報は他からもいただきましたが、ジュリアナの頃でしょうか?その頃はもう私はすっかり“うろうろ”を卒業しておりまして、未知の世界です。
この傘の話、私自身も彼が伝えようとした意味が捉えきれず悩みました。願わくば自分本位に解釈して「もう一度来て欲しい…」という意味合いがあって欲しいとも思いました。 でも、別れました。若かりし日の切ない別れの一ページです。
エッセイのメッセージ性の大きさと重さ (ガイア)
2008-05-26 23:20:17
出会いがあれば別れがある。特に男女間のそれはドラマチィックなもの(当事者にとってはそれどころではないが)です。別れ際には、お互いに気の利いた洒落た台詞が欲しいもの。それとも無言のままか・・・。
「傘を返して欲しい・・・」。このエッセイを戯曲化し、演劇や映画、テレビドラマに演出するとどうなるのか、私個人の別れの体験とも重ね合わせ、イマージネーションが膨らんでしまいます。失礼かと思いますが、ついその様なことを考えてしまうのです。
若かりし頃の切ない別れは誰もが体験すること。青臭い青春を未だに引きずっている私には、このエッセイの放つメッセージ性は大きくて重いです。 
ガイアさん、過ぎ去ればすべてが美しい… (原左都子)
2008-05-27 08:02:57
まさに別れとは、当事者にとっては一時生きる意味を失うくらいの打撃を受けるものです。
そんな別れも時が過ぎ去ればすべてが美しい思い出として、まるで映画やテレビドラマのようにドラマチックによみがえります。
今回記事でとりあげた少し風変わりな意味不明の「傘を返して欲しい…」別れも、私にとっては心の中の宝物です。
すべての経験が私を成長させ私の人格を創り上げてくれています。
ひとつひとつのドラマをいつまでも大切に心の中で暖めていたいものです。
そして私もいつまでも青臭い青春を引きずっていたいと思います。
久しぶりにコメント (右の脳だけの館長)
2008-05-27 08:55:27
だって!僕にも同じ様な経験が何度か......
どうして? 何度かと言うと、懲りたのに
また同じ様なことを繰り返した、若気の至りで懐かしい思い出♪  
今は立場上怖くなってます~ 
館長さんは、今でも青春じゃないですか。 (原左都子)
2008-05-27 10:14:40
館長さんの場合、今でも大手を振って青春できる身でいらっしゃるのですから、怖くならずに次々と別れを楽しんで下さい。
なんて、無責任な事を言うと顰蹙ですね。
独身の長い人は、形は違えど数多くの同様の経験を積んでいますよね。その都度、今度こそは別れは来ないぞ、と最初のうちは思うのですけどね…
  
Unknown (サンセット・ボーイ)
2008-05-27 14:09:40
うん~若かりし頃の思い出ですね。何となく情景が浮かんで来ます。
熱が下がったと思ったら、今は日焼け中です♪これが、元気の源なんですよね~ヾ(^▽^)ノ
手術傷は、塞がったのですが、ドレンチューブの入っていた4カ所の内一つは、まだパックリ&グジュグジュしてます。
この太陽光で回復してくれると良いけど…(^^;) 
サンセット・ボーイさんのエネルギーには脱帽です! (原左都子)
2008-05-27 14:38:07
サンセット・ボーイさんにも心に浮かぶ青春時代の情景が沢山あることと思います。
ところで、サンセット・ボーイさんはすごい人ですね!
傷がまだ塞がらずグジュグジュなのに、もう日焼けしたいと思うエネルギーが内から湧き出てくるのですね。
そのパワーさえあれば、きっとすぐに回復するでしょう。
私など、ここのところの暑さで頭の働きがダウンしてしまい、ブログの記事を書く気も失せて困っています。自分でねじを巻きなおしているのですが、どうも今ひとつ作動しません…
 
(以上、「原左都子エッセイ集」2008.05バックナンバーより再掲載したもの。 いつものことながら、どういう訳かコピー部分の行間が編集画面内でコントロール不能のため、乱れている事をお詫びします。)
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 参考だが、我がバックナンバーコメント欄に時折登場する“サンセット・ボーイさん”とは、当時肺癌を患われていて、医学関係者である私が時々体調相談に乗らせて頂いていた方である。 お元気だと良いのだが…  既に音信不通になって以降長年が経過している…
 まさにいろんな人生がある事を、時に嬉しく、時に辛く・悲しく伝えてくれるのもブログという媒体の性(さが)でもあろう……