◎武田勝蔵の自費出版『宮さん宮さん』(1969)
だいぶ前に、『宮さん宮さん』というタイトルの古本を買い求めた気がして、探してみたが見つからない。国立国会図書館でデータ検索してみると、武田勝蔵著『宮さん宮さん 明治回顧』(茅ケ崎:武田勝蔵、一九六九)〔注記 限定版〕というのがヒットした。
間違いなくこの本だったと思い、さらに探すこと小一時間、ようやく出てきた。函もカバーもない裸本である。新刊時に、函等があったのかどうかは不明。
背表紙を見ると、角書きに「明治回顧」とあって、タイトルは『宮さん宮さん』。奥付には、「昭和四十四年九月一日発行/著者兼発行者 神奈川県茅ケ崎市【中略】武田勝蔵」とあり、さらに「本書は限定自費出版につき、購読の方は実費五五〇円にて頒布/申込先 著者自宅」という注記がある。
奥付には、「著者略歴」もあるが、これはのちに紹介することにし、早速、内容の紹介にはいる。まず、紹介するのは、同書「前編」の「一、菊と葵」の冒頭部分である。
「宮さん、宮さん」の歌声 明治の夜明けを破ったものといえば、あの「錦の御旗」の下で、肩に「錦ぎれ」を着けた官軍が鼓笛隊に合せて高唱した俗にいう「トコトンヤレ節」であろう。これは官軍方の長州の品川弥次郎が作詞して、同じく同僚の村田蔵六、後の大村益次郎が節をつけたともいわれている。或る老人の話では、東征軍の進発にあたり、品川が一夜で作り、直ちに京都の絵草紙屋に頼んで急ぎ一夜で刷らせて、その店の丁稚〈デッチ〉らを連れて洛中を歌い歩いて頒ち、忽ちに市内の老若男女が口にするようになったという。明治以降の出征軍歌の前駈である。
この歌詞は後に段々ふえたようだが、もとうたは御承知の「宮さん、宮さん、お馬の前にヒラヒラするのは、なんじゃいな、あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか」である。
よく新聞の論説などに「錦の御旗を云々」という文句が目に触れるが、その人は実際に錦の御旗とはどんなものか、恐らく知らぬと思う。知らぬがほんとで、老生〔武田勝蔵の一人称〕も始めは史料や錦絵や、当時、行列を見た老人に聞いた程度で、後に、宮内省に編修官として在職中に、宮中の御虫干〈オムシボシ〉の節、それを拝観して、感激のあまり許〈ユルシ〉を乞うて、その御旗に触れた程である。この錦の御旗がどうして翻えるようになったか、前口上として記述する必要がある。【中略】
『宮さん宮さん』というタイトルの本なので、「トコトンヤレ節」についての詳しい解説がありそうに思うが、歌についての解説は、たったこれだけである。話題はすぐ、「錦の御旗」に変わってしまう。
「或る老人の話」として、東征軍の進発にあたって、「トコトンヤレ節」の歌詞を印刷し、洛中を歌い歩いて配ったという話が紹介されている。貴重な話だとは思うが、なはだ心もとない。これが史実だと言うのであれば、宮内省の編修官であった著者は、当然、その印刷物の「現物」を紹介すべきであったと思う。【この話、続く】
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