◎池袋支部の三角寛、牛込支部の佐藤義亮
先日、『ひとのみち』という雑誌のバックナンバーを数冊、入手した。言うまでもなく、「扶桑教ひとのみち教団」が発行していた広報誌である。
手にとって、まず驚いたのは、ウラ表紙が、新潮社の総合雑誌『日の出』の全面広告になっていたことである。戦前における新潮社が、「ひとのみち教団」と深く関わっていたことは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
入手したうちの一冊、第一二年三月号(一九三六年三月一日発行)の一四ページに、次のような記事があった。
第四回奉仕員連盟総会
第四回全国奉仕員連盟総会は一月二十七日午前九時半から仮本殿広間で開催された。嗣祖〈ツギオヤ〉、教長、橋本、龍起〈タツキ〉、石毛各祖〈カクオヤ〉、加藤連盟事務長、永吉事務次長列席、出席者約二百五十名、傍聴の奉仕員教信徒二千名に及ぶ盛会で、納所昇〈ノウソ・ノボル〉氏議長席に就き、永吉徳保〈ナガヨシ・トクヤス〉師事務報告を為し、次に通告順により福岡支部の内部佐武郎〈ウチベ・サブロウ〉氏、下関支部の原新太郎氏、万世橋支部の三好茂生〈シゲオ〉氏、池袋支部の三角寛〈ミスミ・カン〉氏、京郡支部の松浦武雄氏、東京支部の大井静雄氏、熊本支部の藤井熊太郎氏、池袋支部の笠松慎太郎氏、牛込支部の佐藤義亮〈ヨシスケ〉氏、池袋支部の山道襄一〈ヤマジ・ジョウイチ〉氏登壇、各々熱弁を振つて、本教団に対する世の誹謗、浮説の根絶を叫び、全奉仕員蹶起〈ケッキ〉の秋〈トキ〉正に到れるを高唱して、果敢なる認識是正運働を起すことに諸説一致した。この日満場の空気は頗る〈スコブル〉緊張して、意気沖天〈チュウテン〉の慨〈ガイ〉を示したが、その間にも極めて明朗な爆笑が伴なつて、如何にもひとのみち教団の集会の味の独特さを見せた。
終つて左〈サ〉の決議を為し、小林長三郎〈チョウザブロウ〉氏の会計報告があつて、最後に嗣祖の発声で天皇陛下万歳の奉唱、納所議長の発声でひとのみち教団の万歳を三唱して満場拍手裡〈リ〉に閉会した。
《決 議
近時本教の著しき発展に伴ひ本教に対する中傷讒誣〈ザンブ〉の声頻り〈シキリ〉に高まる。これによつて本教を誤解し絶対幸福の道に入るの機会を失ふ人勘なからず、斯くの如きは独り本教の為のみならず国家の深憂と謂はざる可からず、因つて全国奉仕員連盟は全員相結束して適宜の処置を講じ広く世人をして本教を正しく理解せしむるに於て万〈バン〉遺漏なきことを期す。
昭和十一年一月二十七日 扶桑教ひとのみち教団全国奉仕員連盟》
ひとのみち教団に対する弾圧、いわゆる「ひとのみち事件」が起きたのは、この年の九月のことであった。すでに、この段階で、「本教に対する中傷讒誣の声」が高まっていたことがわかる。その意味でこれは、貴重な史料と言える。
また、文中、「池袋支部の三角寛」とあるのは、サンカ小説家として知られる三角寛である。また、「牛込支部の佐藤義亮」とあるのは、新潮社の創業者にして社長の佐藤義亮である(義亮は、〈ギリョウ〉と読むこともある)。やはり、ひとのみちと新潮社の結びつきは深かった。なお、一説によると、三角寛が「ひとのみち」に入信したのは、佐藤義亮にすすめられたからだという。
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