◎創業当時の「古書いとう」と屋号の由来
先日、送られてきた「本の散歩展」通巻46号に、「嗚呼 !! いとうさん」という文章が載っていた。筆者は、「古書りぶろ・りべろ」の川口秀彦氏である。その文章によれば、「古書いとう」の伊藤昭久さんが、本年七月一七日に亡くなられたという。
伊藤昭久さんと面識はなかったが、「古書いとう」の名前は、もちろん知っていた。五反田の古書展には、何度も通っているので、お名前は存じ上げなかったものの、何度もお目にかかっていたはずである。
川口秀彦氏の文章で、伊藤さんに『チリ交列伝』という著書があることを知って、これを入手した。ちくま文庫、二〇〇五年三月発行、サブタイトルは、「古新聞・古雑誌、そして古本」、オビには、「紙クズを金にかえてしまうチリ紙交換の人たち」とある。
本日は同書から、その一部を紹介させていただきたい。
本業をやめて古本屋になろうと決めた。チリ紙交換の元締と古本屋の兼業を始めてから、八年が経過していた。製紙原料商、原料屋をやめた事情は八つの営業所の運営に疲れた、月に集荷した二万トンの古新聞、古雑誌、ダンボールの重圧に負けたにとどめておきたい。詳しい事情すったもんだは考えるのも嫌だから書かない。どうしてもその辺の事情を聞きたいという好奇で暇な御仁がいるのならば、私に酒を奢りなさい。酔えば愚痴のひとつもでようというもの。他人の失敗、凋落ほど人を楽しい気持にさせるものはないと、いうではありませんか。
屋号はジャカルタをやめ、「古書いとう」にした。なに変るはずもないのだが、屋号だけでもかえて、いままでの諸々に区切りをつけたかった。心機一転ということもあった。屋号のデザインはテント、看板ともども和田光正さんが祝儀がわりにしてくれた。
いとうは私の姓の伊藤と、幻の魚といわれるイトウを懸けた。
イトウとは製紙会社への商用の帰路によった、釧路湿原を一望する展望台で出合った。十一月の初旬の午後だった。イトウは円筒のガラス水槽のなかにいた。あたりに人の気配はなく、音といえば水槽の底から間断なくのぼっていく気泡が、小面ではじける音だけだった。冷気のなかで私は水底にいるような錯覚にとらわれていた。全長一メートル、灰青色のイトウはゆったりとしなやかだった。ネズミやカエルをも捕食するという檸猛さを秘めながら、微塵もそれを感じさせなかった。野性的であるが野卑ではない。繊細であり、強靭でもあるその姿態に、私は魅せられた。そして私の姓と同じであることが無上に嬉しかった。
古本屋を業にするにあたって、来し方への反省もこめて、ただ売った買っただけでない、何かがほしかった。その何かを知性、知性をはぐくむ、ゆとりといってもいいのだが、それを得るには、しなやかで、洗練され、強靭さを秘めた繊細さがなければならない、イトウのように。
なお、同書によれば、伊藤さんは、旧屋号「ジャカルタ」を使用していた一九八四年(昭和五九)当時から、「新品同様」のコミックと文庫を「すべて定価の半額」で売るという方針を採用していたという。
ということであれば、こうした営業方針は、ブックオフ(一九九〇年創業)によって参考にされた可能性が高いのではないだろうか。いずれにしても、古書籍業界は、非常にユニークで先見性に富んだ人物を失ったわけである。日ごろから、古本のお世話になっている者のひとりとして、深く哀悼の意を表したい。
【注】一〇月二〇日に書いたこのコラムには、甚だしい勘違いが含まれていましたので、書き直しました。タイトルも変更しました。勘違いしている点については、2014年12月29日のコラムを、御参照ください(2015・1・3)。
*このブログの人気記事 2014・10・20