◎「持っていると長生きをする袋」をもらった
西尾町立西尾中学校発行の作文集『イトスギ』第二号(一九五二年三月一〇日)を紹介している。
本日は、その中から、土川典子さんの「かたみ分け」という文章を紹介してみたい。
か た み 分 け
三の十 土川典子
お祖母〈オバア〉が死んでから母が箪笥の中の遺品を一つ一つ丁寧に整理された。遺品の整理は悲しいものだがでも新しいものを何か発見するようでとても胸がはずんだ。箪笥の中からは真新しいじゅゆばんや二度か三度しか手を通さないような着物や羽織などが出て来た。手にどつしりとこたえるろ〔絽〕や、しゆす〔繻子〕の黒つぽい色の無地の帯や帯上げも出て来た。
戸棚の小引き出しからは、白色がつまつて黄味を帯びた縦十五糎位で横十糎位の袋が出て来た。その袋の口は緑の麻の糸のようなものできちんと止めてあつた。
私が一番欲しがつていた小箱もあつた。まだお祖母さんが丈夫な頃私はその小箱が欲しくて欲しくてたまらずもしお祖母さんが死んだら貰うことに一人できめていた。だから前からお祖母さんに、
「お祖母さんが死んだらこの箱は皆んな私に頂戴ね」
と頼んでおいた。小箱は皆んなで三つあつた。うるしぬりであるので、てかてかとつやが良くその上昔の箱であるので今の箱のように弱々しくなかった。一つの箱は黒色で後の二つは赤色であつた。黒色の方の箱は大分大きくて普通の裁縫箱位だつた。後の二つの箱は黒のよりはどちらも小さく一つは渋い赤色ともう一つは赤の無地に金縁であしらつた花の模樣が一つ入つていて何んとも云えない落ちつきがあつた。三つの箱の中でお祖母さんの一番好きらしかつた箱はその渋い色をした小箱であつた。その箱ぎり〔だけ〕は何時も箪笥の着物と着物の間に入れてあつた。
その他お祖母さんの特別なものとしては別に無かつたがお茶の免状だけが大切に引き出しの奥の方に入つていたそうである。
親類の人達へは大体お祖母さんが生きている中にかたみとして衣類など上げたそうだが死なれてからもお茶道具を始め残つた着物やひばち、箪笥などを上げたりした。夜具等は洗濯して家で使つたりしている。八十過ぎのお祖母さんに特別これといつてたいしたものなどあるはずがない。又お母さんがすぐ使えるものなどはなかつた。たいていの品物が前にも書いたように黒つぽい色なので家へ残しておくよりも親類にかたみとしてあげた方のが多かつた。すぐ、母に間に合うものとしては足袋〈タビ〉位であつたろう。又子供達のものとしても着物なのでどうにもならなかつたし母も
「これと云つて別に欲しいものもないねえ。」
といわれた。普通、お祖母さんといえばありふれたものばかり持っていてそう特別のものなぞないそうだが家のお祖母さんもやはりよく似ていた。遺品の整理を眺めていてあれが、お祖母さんでなく若い人であつたならずい分欲しいものがたくさんあるのにと思つたりした。ともかく前から欲しいと思つていた、小箱が貰えたことと中に何が入つているだろうという期待で、胸がどきどきした。
お母さん達は、何時までもじゆばんや着物をいじつてみえたが私は、この袋と三つの小箱をそつと部屋へ持つて来て開けてみた。麻のひもをといて袋の口を開けてみた。のぞいてみたが何も見えない。余りにも意外だつた。お守りの一つ位はと思つていたので逆さまにして振つてみたがやはり本当に何にも出て来なかつた。これは私にとつて、とても期待はずれだつたし、こんなものをあれ程大事にしていたお祖母さんの気持を疑つてみた。何故だろう。何時か、
「お祖母さんそれ何の袋?」
と聞いてみたら、
「これはね。持つていると長生きをする袋だよ。」
といわれたが、ふつと先生から聞いたあの福沢諭吉が村のお宮さんの御神体を盗み出した話を思い出して村の人達は何にお参りしているのか調べたというがこうしたものを大切にする祖母さんの心持も昔の村の人によく似ていると思つた。約束の小箱をそちくりそのままもらつてしまつた。赤い箱の中には,お祖母さんが若い頃頭にさしたのか、かんざしや、ピン、山型のくし〔櫛〕、その外名も知らない色々な頭の飾り物が入つていた。もう一個の箱からは、昔のお金等が出て来た。又歯のぬけたのが三つ、四つつ白い紙にきちんと包まれて入つていた。何んの為に歯などとつておいたのかお母さんに聞いたら、
「さあよくわからないけどね。昔の人はよく歯は骨の一部分だから生きている中に焼いたり投げ捨てたりすると大変縁起が悪いんだつて。だから死んで焼く時に一諸に口の中へ入れたらしいね。お祖母さんもそうして上げよう」
とおつしやつた。もう少し大きな黒い箱には写真が何枚か入つていた。その裏に「元治元年五月十六日生。小栗やち」と書いてあつた。
「くすつ」
と笑ってしまつた。元治元年〔一八六四〕、それからすぐ慶応、明治、大正、昭和と四代に亘つて生きて来たお祖母さん。歴史の力が無いのでこの九十年間の日本の国の移り変りを思い出してみることも出来なかつたがでも日本の国が一人のこのお祖母さんの一生の間に誰れも考えてみなかつた程すつかり変つてしまつたものだ。こういう箱の中のものは、私に欲しいものはなかつたので中味は母に渡してしまつた。そしてその箱だけは、今でも大切に使つている。赤い方には私の写した写真が大事に入れて本箱の奧にしまつてある。もう一つの黒い方ははさみや色紙やボタン糸巻き針などお裁縫道具を入れ、後の一つは色々ごちやごちやした小間物を入れて、これも本箱の引き出しに入れてある。
お祖母さんの生きていた頃の家の中は口やかましかつただけにきれいに整頓されていた。又針仕事は一切お祖母さんがしてくれたので母は大変喜んでいた。でもお祖母さんが死なれてからは家の事はいつさいしなければならないので、母は大変いそがしくなつた。それに余り注意する人もいなくなり、家の中も大分のんびりとして来た。弟たちはお祖母さんのことなどわすれしてしまつたのか一度も口に出した事はない。家においてもお祖母さんの思い出が話題に上ることはほとんどない。
なかなか優れた作文だと思う。ひとつのテーマについて、これだけの文章を書ける中学生は、そうザラにはいない。また、「形見分け」の実際について、記録した文章として、史料的な価値もありそうだ。
ちなみに、この作文集では、土川典子さんの作文は、ごく平均的なレベルのものとして扱われている(高く評価されているものは、二段に組まれているが、土川さんの作文は、三段に組まれている)。当時、この西尾中学校では、よほど優れた指導者がいて、継続的な作文指導がおこなわれていたものと推察できる。
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