◎理解されぬまま小人に支持された吉本隆明
昨日の続きである。昨日は、片岡啓治の評論集『幻想における生』(イザラ書房、一九七〇)から、「6 『共同幻想論』批判」の冒頭部分を紹介した。ここは、いわば、この評論の「前振り」部分であって、まだ、『共同幻想論』の批判には踏み込んでいない。しかし、それ自体が、ひとつの「吉本隆明論」になっている。
おそらく、片岡が言いたかったのは、「一〇年ぐらいは先に行っているはずだ」と自負するような思想家は、そう自負した途端に、「亡びに足をふみいれた者」になっているということだろう。
そもそも、吉本隆明自身が、丸山眞男、花田清輝といった論壇のチャンピオンに「からむ」形で、注目されるようになった巷間の思想家であった。その吉本にしても、「大家」になった途端に、「からまれる」立場になることは必然とも言えるだろう。
ところが、幸か不幸か、吉本隆明に対しては、彼を偉大な思想家として褒めそやすような論客ばかりがあらわれた。これをアカデミズムの立場から切って捨てる碩学も登場しなかった。その拳を石で叩きつぶすようなチンピラ論客もがあらわれなかった。
吉本隆明にとっては、むしろ、このことが、「亡び」への道だったのではないだろうか。「大家」となった吉本は、その晩年、「反核異論」を唱えた。吉本としては、反原発という「ポピュリズム」の側からの「反発」を予期したのであろうが、原発推進という「ポピュリズム」の側を鼓舞し、そこからの「支持」を集めただけに終わった。
吉本隆明の悲譚は、「英雄は理解されぬまま小人に亡ぼされる」という悲譚ではない。「英雄は理解されぬまま小人に支持される」という、それ以上の悲譚であった。