◎村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」を読んだ
土屋喬雄の「朝鮮に於ける渋沢栄一」という文章を紹介している途中だが、今月一〇日に『文藝春秋』の六月号を買い求め、そこに載っていた村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」を興味深く読んだ。そこで本日は、その感想を書いてみたい。
このエッセイは、同号の二四〇ページから始まり、二六七ページで終わる。二四〇ページでは、その全ページを使って一枚の写真が紹介されている。広場のようなところで、バットを持って投球を待っている半ズボンの少年、その後ろにグローブをはめてキャッチャーのように構えている中年の男性。この少年が、若き日の村上春樹氏であり、中年の男性が、その父親である。村上少年は、素足に木のサンダルをを履いており、父親は下駄を履いている(父親は素足ではなく、白っぽい靴下を履いているように見える)。
ページ右上に「特別寄稿 自らのルーツを初めて綴った」とあり、右下に「村上春樹」とある。さらにその下に、村上春樹氏の近影。
ページ左上に、三行に分けて、「猫を捨てる――/父親について語るときに/僕の語ること」とある。
私は、村上春樹文学の愛読者ではなく、よき理解者でもない。しかし、この文章を読んで、これは村上文学について考える上で、あるいは、これからあとの村上文学の方向性を占う意味で、非常に重要な一文ではないかと直感した。
村上春樹氏は、欧米文学の影響の下に創作活動を始め、その作品には、欧米文学の雰囲気が濃厚であった。ところが、この「猫を棄てる」というエッセイで村上氏は、自分の父親について語っている。村上氏の父親は、京都にある浄土宗「安養寺」の次男に生まれたという。「少僧都(しょうそうず)」という僧侶としての位も持っていたという。そのほか、村上氏は、父親の戦争体験についても語っている。これを読んで、村上春樹という作家に対し抱いてきたイメージが、少し変わった。
村上氏は、なぜ今回、こうしたエッセイを発表し、自分の父親のことを語ろうと考えたのだろうか。ことによると氏は、このエッセイを発表することによって、みずからの「根」(ルーツ)を見つめ直し、そうした「根」を踏まえた、新しい文学を目指そうとされているのではないのか。そうした意思を、このエッセイを通して、読者に表明したのではないのか。
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以下は雑感である。村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」は、少年時代の村上氏が、父親とふたりで、飼っていた猫を捨てにゆくエピソードから始まる。このエピソードを読んで、以前、聴いた大江健三郎氏の講演を思い出した。その講演の冒頭で、大江氏は、少年時代に飼っていた愛犬の話をされていた。大江少年は、その愛犬を徴発されてしまったという。軍需皮革を確保するために、戦中におこなわれた「畜犬献納運動」の話だと思って聞いていたが、そうではなかった。大江少年は、その直後に、近所の河原に、大量の犬の毛皮が放棄されているのを目撃する。おそらく、何者かが、「畜犬献納運動」などの名目を騙って、犬の肉を集めたのではないだろうか。「畜犬献納運動」自体が恐ろしい話だが、それ以上に恐ろしい話だった。大江氏の講演のテーマなどは、スッカリ忘れてしまったが、この犬の話だけは、今でも鮮明に覚えている。たしか講演会場は、市ヶ谷の法政大学で、柄谷行人氏の講演と二本立てだったと記憶する。
※上記記事のうち、〝何者かが、「畜犬献納運動」などの名目を騙って、犬の肉を集めたのではないだろうか。〟の部分は、訂正の必要があることに気づいた。当ブログの記事〝実際は「犬死」だった(蓄犬献納運動の実態)〟(2020・6・20)を参照のこと。2020・6・20追記。