礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

第一銀行、「韓国貨幣問答」二万部を配布

2019-05-19 07:23:43 | コラムと名言

◎第一銀行、「韓国貨幣問答」二万部を配布

 土屋喬雄著『渋沢栄一伝』(改造社、一九三一)から、別篇の一「朝鮮に於ける渋沢栄一」の(二)「朝鮮に於ける渋沢」を紹介している。本日は、その四回目。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 露国が三十一年〔一八九八〕四月の日露協商(韓国独占承認、内政不干渉)に反して北清事変に乗じ兵を満洲に入れ更に韓国を威圧するに及んで、三十七年〔一九〇四〕二月日露開戦となつたが、日露戦役の勝利は韓国から露国資本を完全に駆逐して、之を日本の独占的支配の下に置いたのである。既に日露戦争起るや、日韓両国は攻守同盟を結び、その十月男爵目賀田種太郎【めがたたねたらう】は韓国政府財政顧問となり、建議して白銅貨の流通を停止し、新貨の鋳造を我が大阪造幣局に委託し、更に第一銀行券を法貨として公認する代償として無償にて第一銀行に国庫金取扱事務並に貨幣整理事務を担任せしめた。新貨幣成るや第一銀行「韓国貨幣問答」と称する小冊子二万部を各地方に配布し、行員を派して旧貨と交換せしめ又は地方に取引を有する商人には無利息にて貸与し、旧貨の返送に運賃を支給する等種々の方法を以て新貨幣――それには日本資本の血が通つてゐる――の流通に努め、貨幣整理の効を挙ぐることを得た。
 国庫金取扱に何等の施設なきこと、国庫金収支の不正確が従来の韓国財政紊乱の主たる原因であつたが、三十八年〔一九〇五〕一月第一銀行が委託を受けて金庫出納役の地位に立つや、京城支店を中央金庫とし其他の支店出張所を支金庫とした。更に支金庫なき地方の郵便局を金庫出張所とし馬山、咸興、鏡城に支金庫を増設し、四十年〔一九〇七〕一月には韓国の農工銀行その他の銀行を以て京城総支店の代理とし、支金庫の事務を扱はしめ、国庫金出納の完備を期した。かくして韓国財政は完全に日本資本の手に落ちたのである。【以下、次回】

 文中、「血が通つてゐる」という表現があり、通に「とほ」というルビがあるが、「かよ」が正しいのではないか。

*このブログの人気記事 2019・5・19

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする