◎映画『ロッキー』とアーウィン・ウィンクラー
先日、DVDで、映画『ロッキー』(一九七六)を鑑賞した。この映画は、一度どこかで観たように思っていたが、実のところ、まったく初めて観る映画だった。
映画のラストは、主人公ロッキー(シルベスター・スタローン)が世界チャンピオンのアポロ(カール・ウェザーズ)と対戦するシーンである。この映画は、このシーンによって評判になったわけだが、映画全体に占める時間的な割合は、意外なほど少ない。むしろ、映画の大半は、ロッキーの日常生活、恋人エイドリアン(タリア・シャイア)との出会い、対戦が決まったあとの激しい特訓など、対戦シーンにいたる前段の話である。そして、この前段が実に味わい深い。
映画そのものも良かったが、DVDに「特典」として収録されていたシルベスター・スタローンの回想談が、また良かった。スタローンによれば、彼は、この映画を作る前、別の映画のオーディションを受けて、残念ながら落選していた。しかし、プロデューサーふたりから落選を告げられあと、「脚本があるんだ」と言うと、「見せてくれ」と返されたという。この脚本こそ、『ロッキー』の脚本だったのである。そして、「見せてくれ」と返したプロデューサーこそ、『ロッキー』をプロデュースしたロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーだったのである(スタローンの回想談では、ロバート・チャートフの名前がよく聞き取れない。また、字幕も、「製作の2人」とあるのみで、ふたりの名前を出していない)。
この「脚本があるんだ」という一言が、その後のスタローンの人生を変えた。同じことは、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのふたりについても言えることだろう。スタローンの「脚本があるんだ」という一言を聞き逃さず、その脚本を読んでその価値を認め、映画化を実現したことは、結果的に、このふたりのプロデューサーの地位と名声を不動のものにすることになったからである。
特に、アーウィン・ウィンクラーは、この映画の予算を集めるために、自分の家を抵当に入れたという(ウィキペディア「ロッキー(映画)」の項)。この英断は、間違っていなかったことになる。私は、スタローンの「脚本があるんだ」という一言に、すぐに反応したのは、アーウィン・ウィンクラーのほうだったのではないかと、勝手に推測している。
のちに、ウィンクラーは、『真実の瞬間』(一九九一)で監督デビューを果たした。この映画は、アメリカ映画の黒歴史を描いたものとして知られているが、こうした映画の製作を可能にさせたのも、ロッキー・シリーズの成功があったからであろう。ちなみに、ウィンクラーの監督第三作は、佳作『ザ・インターネット』(一九九五)である。『真実の瞬間』と『ザ・インターネット』については、以前、このブログで感想などを述べたことがある。