◎閣下の名声は歴史上永遠に残りますね(安井藤治)
香椎研一編『香椎戒厳司令官 秘録二・二六事件』(永田書房、一九八〇)の「第五 補遺」から、香椎浩平の釈明を紹介している。本日は、「三十八」の後半を紹介する。
午後は、〔匂坂春平〕法務官の態度一変、頗る物腰静かに応待す。
予は之を以て、只だ手を代へて、予の心の油断に乗じ彼の探索に便し且つ引き掛けんとするものか、とも考へた。
其中【そのうち】、彼云ふ。
閣下を前にして失礼ですが「人物を観察するんですな、腹を見るのです。どーも事件の正体がわからないで困つて居ます」などゝ云へり。
而して雑談的に種々のことを問答しつゝ、尚ほも予の罪をでつち上げんとするものゝ如し。
予は依然、収容を覚悟しありしに、夕刻打切りと聞ひて、意外の感を以て引取つた。
一応の聞取りは、予に対しては当然と思ひあるは、余りの辛辣さに、此時以来予は、当局のやり方に不快の感を深くせざるを得ない。
そうして次の様な考が起つて来た。
㈠ 元来、戦は勝つにあり、戦の方法が如何に合理的なればとて、負くれば罪死に値す。
㈡ 勝て而して其の手段方法の巧拙善悪は、戦史として研究するは必要也。然れども、畢竟之れ戦史研究の範囲内に止まるべきものなり。断じて其外に逸脱す可らず。
㈢ 鎮定手段の、統帥事項に関し、其運用に関することを、文官たる法務官が、本科将校の立会も無くして、微細の点に至るまで聞き糺【ただ】すが如きは不都合千寓なり。
㈣ 若し統帥関係を、法文の末に亘て事後論難するが如き悪例を貽【のこ】すならば、将来戦場に立向ふ軍人は、一切六法全書に従ひ行動せざるべからざるに至らん。
其結果、遂には負けても理窟が通れば可なりと云ふことになるやも知れぬ。
欧洲人は、防禦手段に遺憾なければ、要塞を開城しても、所謂力尽き矢折れたる不得已【やむをえざる】事柄として、勇士扱ひさへするなり。
一歩でも如此【かくのごとき】風潮に染まば、皇軍の特色を奈何【いかん】せん。
㈤ 予に対したる如き態度を依然改めずんば、将器将材は将来養成の道を絶たるゝに至る可し。人間味ある指揮統帥は全く顧みられざるに至るであろう。
㈥ 夫【そ】れ戦争は錯誤の連続なり。之れ戦史の一般に認むる処とす。それにも拘はらず、否【いな】初めより之を覚悟して、如何なる錯誤簇出〈ソウシュツ〉にも拘はらず、一意終局の勝利を目指して、不撓不屈【ふとうふくつ】、最後迄努力して好結果を獲得する如く、吾人は養成せられて居る筈だ。予に対する取調べは全く之に反して居る。
㈦ 狡兎【こうと】尽きて良狗【りようく】煮らる。日本も愈【いよいよ】支那式になりつゝあるのか、嗟呼。
法文の末に拘泥して取調べを不当に行ふことを、特定人に丈け〈ダケ〉行ふことは不公平の極なり。前段の観方をするも、不得已【よむをえず】と云ふ可し。
㈧ 陸軍省、参謀本部を一時叛乱軍に占領されたる醜態に関し、何とかして其貴任でも戒厳当時者に転嫁せんとするのか。
㈨ 予の身分の取扱上の不手際を糊【こ】せんとするにはあらざるか。
嫉妬心も亦手伝へるならんとさへ考へざるを得ぬ。
事件鎮定直後、〔安井藤治〕参謀長が、閣下の名声は歴史上永遠に残りますね、と云ひしことは、恐らく安井少将一個人の考のみにありしを、多数の将校が之を思ひ、中には嫉視するに至ることも亦、不得已ことならん乎【か】。