礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

われわれの死は昭和維新の人柱として……(安藤輝三)

2020-05-03 02:56:39 | コラムと名言

◎われわれの死は昭和維新の人柱として……(安藤輝三)

 中野五郎『朝日新聞記者の見た昭和史』(光人社、一九八一年一一月)から、第六章「日本軍、東京を占領す――二・二六事件――」を紹介している。本日は、その五回目。「二十二」の全文を紹介する。

      二十二
 私は二・二六事件に決起した青年将校たちの殺人行為を憎み、かつ悲しむけれども、しかし、彼らの純情と義憤と反逆の気持には深く同情を禁じ得ない。
 その一方、血気さかんな青年将校の行動力を利用して、軍部独裁の権勢を張り、あるいは厖大な軍事予算の獲得に成功して戦争準備に踊った将軍と幕僚連中の利己的な野心には烈しい怒りを感じた。
 そして、「尊皇絶対」の殉教的信念に燃えた青年将校たちを、いたずらに犬死にさせた不運な天皇とその側近の無為、無策に、ただもどかしさと失望を深く覚えるばかりである。
 それは要するに、真善美の理想をめぐる天皇国家の、夢と現実の間の永遠の矛盾を物語るなまなましい姿ではなかろうか?
 私の手許には、国家革新の理想と情熱に挺身した青年将校たちの残した、いろいろな記録資料がある。それを今日の時点より読みなおしてみると、左翼と右翼、学生と軍人のちがいはあっても、正義感の強い青年大衆の現状打破の反逆精神には、不思議に一脈相通ずる熱気があるように思われてならない。
 反乱軍首魁の安藤輝三〈テルゾウ〉大尉の街頭演説の要旨(昭和十一年二月二十八日午後十時半赤坂の料亭「幸楽」門前にて)
【一行アキ】
 我々が諸君の前に発表せんとすることは、わずか一言にして尽くし得る。すなわち、我々も諸君も同じく日本臣民であるということである。我々の心情は一切を挙げて、陛下の下へということでなければならぬ。
 そもそも日本帝国には天皇は唯一人であらせられるはずである。しかるに何ぞ! 腐敗せる軍閥、堕落せる財閥、重臣らは、その地位を利用して、畏【おそれ】多くも上【かみ】天皇の大権干犯を為し来っているではないか! なお言うならば、わが同胞が貴き血を流し骨を曝らして〈サラシテ〉手に入れた満州は全土を挙げてこれら分子の喰む〈ハム〉ところとなり終っているではないか!
 我々はこれを知る。しかして諸君においても、同じくこれを知っているはずである。いまや我々は長きにわたる熟慮の結果、諸君らには為し得なかったところの腐敗分子の一斉除去を敢えてしとげたのである。
 我々はこれを喜ぶとともに、これにより諸君が為すべき仕事として幾重にもお願いすることは、我々同志が恐らくは為し得ずに残してゆくであろうところの新日本の建設である。
 しかして、やがて生まれ生ずる新しき日本の姿が、従来のそれと大差ないものであるならば、此度【このたび】の挙【きよ】は単なる暴動として漸次、世人の記憶から薄らいでゆくであろう。だが諸君らの力により、立派な日本が生まれ出るならば、われわれの死は昭和維新の人柱【ひとばしら】として価値あるものたり得るのである。
 我々は諸君を信じ、我々に課せられたる任務とともに喜んで死んで行くものである。
 諸君! 我々は諸君が我々の死を踏み越えて、新日本の建設に進まれんことを希望するとともに、日本国民が一切を挙げて共同し、陛下の下に帰せられる日の一日も早きを祈って止まない次第である。
   天皇陛下万歳三唱

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