礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

香椎司令官は変心せしにあらずや(匂坂春平)

2020-05-16 03:11:04 | コラムと名言

◎香椎司令官は変心せしにあらずや(匂坂春平)

 香椎研一編『香椎戒厳司令官 秘録二・二六事件』(永田書房、一九八〇)の「第五 補遺」から、香椎浩平の釈明を紹介している。本日は、その三回目で、「三十九」の全文を紹介する。
 編者による「編注」は、必要に応じて、本文のあとに紹介した。

    三十九
 取調べは、兎も角一段落ならんと思ひしに、何ぞ図らん、十月廿四日、匂坂〔春平〕復【また】来り、此度は恭【うやうや】しき態度なりしも、予の事件中の手帳借用方を申込む。
 予は此処太つ腹〈フトッパラ〉に出づる時と考へ、言下に快諾したり。彼は証文と引替へに持ち行けり。
 越へて十一月十四日夜、又々出頭を促し来る。予は痛憤の情を抑へ、徐々に心構へを整へて、十五日定刻出頭す。
 匂坂は、聞取書を作製すと称して、事件前に満井中佐【注】に会はざりしやと問ひ、断じて其事なしと答ふれども、中々承服せず、しつこく反問す。
 又、事件を知りしは何時か、何故電話にて指揮命令せざりしや、師団や警視庁に情況を更に確むることをなさざりし理由如何、出勤迄の時間が長過ぎるにあらずや、其間何をして居たか、午前八時頃より午後三時迄は何の命令も出さざりしは何の為乎【か】、第一師団の態勢は不都合と思はぬか、何故命令せぬか、宮中に参内せしは何故か、参内時間長きに失せずや、山下少将【注】と会見し何を語つたか、参内の途中時間を費すこと多きに失せずや、大臣告示の文句が手帳に記入せられある処、其時間等が喰違へる如し、後より書き直したるにあらずや、叛軍を統帥系統に入れたるは不都合ならずや、叛軍将校が司令部に来りしとき、何故無事之を釈放せしや、何故逮捕せざりしや、荒木〔貞夫〕、真崎〔甚三郎〕大将の関係如何、偕行社に真崎大将を訪ふたるは何故か、〔香椎〕司令官は叛軍を初め庇護し、後之へ弾圧を加へる如く変心せしにあらずや、との意味合ひを以てする訊問等、微に入り細を穿ち、 皮肉を極めて剔抉【てきけつ】せんとするに以たり。
 十六日も過ぎ、十七日の午前中を費せり。
 此の間余りのクドクドしさに、予は堪忍袋の緒を切らして叱り付けた。
 「同じことを何で繰返し繰返しく聞くのですか。何の目的かわからぬではないか」。
 すると匂坂はにやりと薄笑ひした如き口元にて「いや、目的はわからぬ方が良しいです」と、あわてた様に云ふ。
 予は不図も〈ハカラズモ〉おかしくなり、微笑した。
 要するに此度の聞取は、
㈠ 予の指揮、怠慢ならざりしか。
㈡ 事件を予知しあらざりしか
㈢ 叛軍に通じあらざりしか、
㈣ 右㈡、㈢の為、作為したることなきか
㈤ 予真崎大将と通牒したるにあらざるや
 が、主要の調査点なりしやの感ありき。

 本文中の「満井中佐」および「山下少将」については、次のような編注がある。満井中佐=満井佐吉(みついさきち)中佐。当時陸大教官、事件に連座して禁固3年。山下少将=山下奉文(やましたともふみ)少将。当時陸軍省軍事調査部長。
 なお、『香椎戒厳司令官 秘録二・二六事件』の一七九ページには、手書きの「借用證」が写真版で紹介されている。匂坂春平から香椎浩平に宛てたもので、「一、手牒 壱冊」などとある。

*このブログの人気記事 2020・5・16(9位になぜか吉野作造)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする