◎壕は爆風に耐へる頑丈なやつをと考へました(田中さん)
『主婦之友』一九四五年六月号から、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【 】によって示した。
やがて田中さんが作業服姿で戻つて来られた。来意を告げると、『おゝ、それはそれは‥‥いやあ、お見せするほどのものでもありませんが‥‥まあお入りなさい。』と、謙遜しながら先に立つて壕の中へ入つてゆかれた。記者もつゞいてその後から入る。とんとんと二段ほど下りると、一坪ほどの部屋がある。周囲の壁面は全部板張りで、白い塗料が刷【は】いてあるから思ひのほか明るい。右側半分の約一畳敷のところは一尺五六寸高さの板張り、左半分は土間。土間につゞいて左手に三尺幅の通路があり、その突当りには小さい窓が開【あ】いてゐて温【あたゝか】い日射しが流れ込んでゐた。窓の下のところはどうやら台所らしい。田中さんは右手の台のところへ腰を下すと、『こゝが、私【わたし】の萬【よろづ】兼用部屋ですよ。かうしてお客様もお迎へすれば食事もする。縫物【ぬひもの】もする。夜はこゝが寝台です。さあ一つお茶を入れませう。』
田中さんが傍【そば】の壁を何か探るやうにしてゐられたかと思ふと、約一尺幅の板が壁面から倒れて来て、台の上に橋を架【か】けた。田中さんは腰を掛けたまゝ上に左と手を伸して、この板の上に茶碗、土瓶などを並べられる。田中さんの手の行【ゆ】くところには、あらゆる空間を利用して棚が吊られ、身の廻り品や日用品らしい品物がきちんと納められてゐる。支柱の横桟【よこざん】の上も勿論ぎつしりと利用されてゐるのである。この橋式代用食卓は、壁の凹味【くぼみ】へ縦にぴつたりと嵌込【はめこ】み式になつてゐて、下方が蝶番【てふつがひ】で取附けてあり、上方は小さい留木【とめぎ】で押【おさ】へてある。留木をくるっと回転させると板は前へ倒れる仕組になつてゐる。
『私は徴用で〇〇の飛行機工場へ通勤してゐるもんですから、どうしてもこゝを離れられない。それで親父の代から住んでゐたこの焼跡で最後まで頑張つてみようと決心したんです。家内と子供は田舎へ行つてゐますからこゝは私一人なんです。やもめ暮しは‥‥なんて言ひますが、かういふ簡易生活もなかなか面白いものですよ‥‥
壕はまづ、できるだけ爆風に耐へる頑丈なやつをと考へました。土盛【つちも】りはなるべくなだらかに、裾を長く引くやうにする方が爆風の当りが少い。壕の中も、こんな風にコの字形にとる方が安全です。時限爆弾が落ちたときにも、こゝはちつとも揺れませんでしたよ。土の湿気を防ぐために、板の外側にはトタン板を張り、一寸ほどの隙間を作つて外側にもう一側【ひとかは】トタンを廻らし、その周囲に四尺幅に砂を詰め、天井も同様に板とトタンを張つた上に砂を一尺盛り、またトタンを並べ、これを石で押へてから更に土を盛つたんです。砂は湿気を吸い取りますし、かうして一尺五六寸も上の方へ寝ますから、湿気の点では全然心配はありません。夜でもとても温【あたゝ】かですよ。』【以下、次回】