礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

城北の某町の焼け跡で目をみはった(『主婦之友』記者)

2020-12-12 00:36:43 | コラムと名言

◎城北の某町の焼け跡で目をみはった(『主婦之友』記者)

 本日も、『主婦之友』一九四五年六月号を紹介する。本日、紹介するのは、同誌の「灰燼の中に起ち上る人々」という無署名の記事である。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

  灰燼の中に起ち上る人々

   戦災家庭の生活建設
 見渡す限り赤黒く焼け爛【たゞ】れた土、煉瓦、トタン板、黒焦げの立木【たちき】。これこそ敵アメリカのあくなき暴虐の爪跡だ。この焦土には、母の、子の、兄弟の血が沁【し】みついてゐるのだ! この仇【あだ】はきつと討つてみせるぞ! どんなことがあつても戦ひ抜くぞ! こゝを離れるものか。こゝに家を作らう。われらの要塞を。復仇【ふくきう】の闘魂に燃えて焦土に起ち上つた人々は瓦礫【ぐわれき】の原の一隅に黙々と円匙【ゑんぴ】を振ひ、焼け残つた材木を拾ひ集め、工匠の技も心得ぬ素人【しろうと】でありながら、たゞ努力と創意とによつてわが家【や】を再建つゝあるのだ。記者はこの逞しい建設の槌音を探ねて、その人々の底力から萌え上る戦意の太々しさに強く打たれたのであつた。
   街 の 潜 水 艦
 魔の劫火【ごふくわ】が家を街を一夜のうちに舐【な】め尽してから一週間あまりも経過した或る一日、記者は城北の某町【ぼうちやう】の焼跡に、これは思はず目を瞠【みは】つたほど、さつばりと取片附けられた一角を発見した。
 こんもりと盛り上つた低い築山【つきやま】の上に、目に沁みる葱の青さ、菜の花の黄色が春風に揺れ、一羽の蝶さへそのあたりをひらひらと舞つてゐるではないか。近づいてみると、築山と見たのは壕の土盛【つちも】りであつた。
 少し屈めばらくらく入れるほどの小さい入口には、トタン板ですつかりくるんだ頑丈さうな扉がぴちんと締つてゐる。その中央に、『只今お風呂へ行つてゐます。』と白墨で書いたトタン板の札がぶら下つてゐた。上の方には、『田中和雄、田中覚郎【かくろう】』と仲良く並んだこの家の主【あるじ】の新しい表札がかかつてゐる。玄関らしく体裁を整へてゐる入口の上の鬼瓦、両脇にきちんと据ゑられてゐる防火用水槽、小さい納屋からコンクリートの塵芥箱【ごみばこ】。裏へ廻つてみると、十五六坪の焦土は早くも開墾を終つて、畝【うね】が幾条【いくすじ】も作られてゐる。畑の隅【すみ】には、肥料小屋をも兼ねてゐるのであらう便所もできてゐる。【以下、次回】

 文中に、「城北の某町の焼跡」とある。おそらく記者は、「城北大空襲」(一九四五年四月一三日~一四日)の焼け跡を訪ねたのであろう。だとすれば、記者のいう「某町」とは、豊島区、滝野川区、荒川区あたりの町ということになる。

コメント
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