礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

潮谷総一郎、アリバイ証人を北九州市に探しだす

2020-12-10 00:49:02 | コラムと名言

◎潮谷総一郎、アリバイ証人を北九州市に探しだす

 本日は、免田栄著『免田栄 獄中記』(社会思想社、一九八四)の「まえがき」を紹介してみたい。
 同書の「まえがき」は、免田栄さんの再審に尽力した慈愛園園長・免田栄救援会会長の潮谷総一郎(しおたに・そういちろう)さんが書いている。かなり長いので、前半の約半分を紹介する。なお、慈愛園は、ルーテル教会が運営する福祉団体。また、潮谷さんは、すでに故人である(一九一四~二〇〇一)。

  ま え が き ――免田さんと私――       潮谷 総一郎

 強盗殺人――この世のなかに、これほど憎むべき凶悪犯罪は他にない。その犯人は、当然のことながら厳罰によって報いられなければならない。
 しかし、もし、ここにまったく身に覚えのない強盗殺人事件を押しつけられ、死刑の宣告をうけたものがあるとしたらどうであろうか。
 無実――あまつさえ、そこには尊い一個の人命がかけられている。看過できない重大事というべきであろう。
 死刑囚・免田栄さんは昭和二十四年〔一九四九〕第一審の第二回公判以来、終始一貫して冤罪【えんざい】を主張している。そして三十四年と六ヶ月の長い年月を経て、昭和五十八年〔一九八三〕七月十五日、完全無罪の判決で雪辱【せつじよく】を果たした。
どうしてそういうことになったのか、その過程をたどることは現代社会を生き抜くために不可欠の重要事である。他人【ひと】ごとではない。
 いつ、そのような災いが私たちにふりかかってこないとも限らない。身近な問題として受けとめるべきことである。
 さて、私と免田栄さんの出会いは昭和二十六〔一九五一〕年三月、福岡拘置所の死刑囚内田〔英雄〕という人に面会に行ったときにはじまる。拘置所では十人くらいの死刑囚が教誨室に集まってくれた。私にはその人びとに精神講話をする機会が与えられた。三十分話して、あとは個別の面接相談となった。
 そのころ、私は慈愛園総主事として乳児院、養護施設、保育所、母子寮、老人ホーム等十二施設を経営して千人くらいの人たちをお世話していたので、福祉と人権を阻害された状態への理解と、解決への経験をもっていた。従って、死刑囚のカウンセラーの役目も果たせたわけである。ここで内田から免田さんを紹介してもらった。
 免田さんは色白の丸顔、黒い眉、眼の澄んだ中肉中背の青年であった。特別に話すこともなく黙って別れた。しかし、三ヶ月たつと最初のハガキがとどいた。このころ私には毎月七、八通のハガキや手紙が拘置所から定期的に送られてきて、キリスト教の信仰を通して靖神指導をしていた。そして、敗戦直後の物資欠乏で、日用品にも困窮していた時代なので、折りをみてはタオル、歯磨粉【はみがきこ】、歯ブラシ、石鹸、文具類を小包で差し入れした。拘置所ではそれらの物資にも大変不便していたので、心から喜んでもらえた。
 私にたびたび連絡をとるのは内田で、死刑囚のなかではキリスト教信者の先輩格で、十数人に信仰を勧【すす】めては、その求道状況を私に報告してくれた。一家七人殺し事件の花田松造の改心を詳細に知らせ、また、免田さんのこともちらほら報告されるようになった。
 やがて、免田さんから私信をもらったが、免田さんのハガキは読みづらかったが、二、三回くりかえして判読した。日用品の差し入れをして欲しいとの申し込みであった。
【一行アキ】
「私は学問の程度のひくい者ですが、キリスト様の教えに、『心の清き者は幸福なり。その人は神を見ることを得べければなり』とあります。私はそれを思いだし、影日向なくザックバランに書きました。どうかお恵み下さい。」(原文のまま、以下同じ)
【一行アキ】
 私は日用品を小包で送った。大変喜んだ礼状がとどき、それ以来月二、三通の割合でとどけられ、 今日では一千通をこえている。その年の十二月には死刑確定、再審申請と心労の多い裁判が続き、花田松造や顔見知りの人びとが死刑を執行された。
 懊悩【おうのう】の日々に免田さんは、決心してルーテル教会の内海季秋牧師から洗礼をうけた。昭和二十七年〔一九五二〕四月のことだった。その後のハガキには自分の生命も今年一杯だろうと予測していた。
【一行アキ】
「もう私もこの社会にいる期間が後わずかのように思われます。再審の手続はとりますが、長くとも今年中には天国に召されると思います。しかし、今少し聖書の意味をわかりたいと思います。」
【一行アキ】
と、引照付旧新約聖書を急送してくれと書いてあった。死生【ししよう】の極限に立って、もうどうにもならない気持ちであったようだ。ひたすら神への信仰に進んでいった。もっとも苦しいときにキリスト教に入信して、精神のやすらぎを求めたのである。
一方では、拘置所によくきていた宣教師におそわって、再審申請も提出した。免田さんが再審申請をしたからでもあろうか、六月ごろ、私が拘置所に面会に行ったとき、内田は、
「先生、免田は第二回公判以来無実を主張して犯行を否認し続けています。バカの一つ覚えのように冤罪だとばかり言っていますが、いいかげんに自分の犯行を懺悔【ざんげ】するように先生から勧めて下さい」
と、相談をもちかけてきた。私は承知して別れたが、時機をみて長い手紙を書いて送った。そして、自分のやった事実については神の前に、人の前に素直に認めて悔【く】い改【あらた】めなければ神の救いをうけることはできない。神の助けは、改心して自分の真心を全開するときにこそ実現するのである、と勧めた。
 ところが、そのことについての免田さんの返信は、はっきりと無実を訴えていた。
【一行アキ】
「この事件に関しましては、私は全然覚えがないのです。刑事らの謀略でつくりあげたと申してよいのです。事件のあった日は、昭和二十三年〔一九四八〕十二月二十九日であります。私の二十九日のアリバイは人吉市の丸駒屋にあるのです。三十日もアリバイがあるのです。
 しかし、刑事らは二十九日のアリバイである丸駒屋の女に、なにか裏の手をとり、三十日と申させているのです。それがために三十日のアリバイが三ヶ所にあるのです。現在、私は再審の手続きで父の方にお願いしてアリバイの証人を探してもらっていますが、いまだにわかりません。田舎者ですからなにもかもわからず、依頼してもあとさきになる(すれ違いになる 潮谷・注)ことばかりです。」
【一行アキ】
 今までは精神的な信仰のことばかり書いていて「自分の事件には一言もふれなかっただけに、私は少なからぬショックを受けた。
免田さんの苦悩は一日違いのアリバイにあった。二十九日事件当夜のアリバイ証人がいるにもかかわらず、検事や裁判長が採用してくれず、それは三十日のことだと認定して、免田は犯行現場にいたと断言した。免田さんはこれを冤罪だといっていた。
私は単純には免田さんの訴えを認めなかった。警察、検察、裁判所の正しさを常識として信じていた。だからそのまま放っておいた。ところが、免田さんの手紙は必ず誤判を訴えてくる。
【一行アキ】
「私がなんと申しましても、現在一審より三審まで審理が済んで、そのうえで死刑という刑をうけているのですから、社会の人は信じてくれる者はいないと思いますが、今の体で最後の審判をうけることは神に対して申し訳ありません。
この世で、己れの弱きがために殺人罪という名を残すことはたえきれません。何とか正しいことを通して頂きたいのです。」
【一行アキ】
 免田さんの真実性はだんだん私の思考を変化させた。――免田さんの言っていることは本当かもしれない。
手紙の脈絡に無実の罪の雪辱を訴え、自分が死を免【まぬが】れるだけではなく、神の正しさを明確にしなければすまぬと主張して止まない。私は一審の本田弁護士に会った。弁護 士は開口一番、
「免田さんは真犯人ではありませんよ。裁判には敗【やぶ】れましたが私は信じています。判決の証拠は免田さんの自供書だけです」
 私は裁判調書に目を通し、アリバイ証人を北九州市に探しだして、昭和二十八年〔一九五三〕にその証明書を追加して再審の陣容をととのえた。その結果、三十一年〔一九五六〕八月十日再審決定となった。私は鬼の首をとったように喜んだ。裁判はこれで終結したと思った。その喜びもつかの間、検事の即時抗告。三十四年〔一九五九〕四月再審開始決定の取り消しとなった。私は日本弁護士連合会(日弁連)に救援を訴え、最高裁長官田中耕太郎、法務大臣瀬戸山三男、衆議院法務委員長大久保武雄の諸氏に陳情、北海道から鹿児島までの知人友人の五千人署名捺印【なついん】集め等、免田さんと私の共闘がつづいた。
あるとき、免田さんに面会すると、
「先生、しばらくキリスト教信仰を中絶します。闘いに専心します」
と言う。真意がわからぬまま、
「それはいけない。信仰心が本源になっていて、はじめて勝利があるのだから」
とたしなめた。すると彼は、
「信仰をやめてしまうのではないのです。一時停止しますが再び信仰に進みます」
と言う。思うに、敵を愛せよとか、右の頰を打たれたら左の頬をもということでは闘えない。心底から司法制度、そのからくりを憎んでかからないと闘争にならないと考えていたのだろう。そのときは死刑確定と再審決定の両判決をうけ、第六回目の再審申請が進行していた。【以下、略】

 明日は、話題を変える。

*このブログの人気記事 2020・12・10(8・9位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする