礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山田孝雄氏の『日本文法論』は注目すべき大著(三浦つとむ)

2020-12-27 05:59:19 | コラムと名言

◎山田孝雄氏の『日本文法論』は注目すべき大著(三浦つとむ)

 ミリオン・ブックス版『日本語はどういう言語か』から、第二部第一章「日本語はどう研究されてきたか」を引用している。本日は、その二回目。
 
   2 明治以後の日本語の研究
 江戸時代までは古典の解釈や和歌の創作に使うという特殊な用途しか持たなかった日本語の研究も、明治維新後においては一般国民の教育のために使われるようになり、学校の教科書として多くの書物がつくられるようになりました。けれどもこれは教科書の著者に対して日本語についての体系的な説明を要求します。それまでの日本語の研究はまだ一定の原理に立った体系化された文法論を自主的に生みだすまでに完成していませんでした。そこである書物は古い研究をそのままうけつぎ、またある書物はヨーロッパのものを模範としてそれを日本語にあてはめて解釈を下し、更には両者を折衷したものをつくりあげる、というような方法をとってこの要求に答えなければなりませんでした。明治三十年、大槻文彦氏は折衷理論の一つの典型である「広日本文典」を世におくり、これが昭和まで教育界の主流としての地位を占めました。昭和に入ってからは、橋本進吉氏の教科書「新文典」が出、またその後に文部省から出た国定の文法教科書はこの流れをくんだものであって、その結果現在の主流は橋本学説になっています。
明治の学界は、新進気鋭の日本語学者を次々と育てました。「広日本文典」とはちがった独自な理論体系がいくつも出されました。それらの中でもっとも注目すべきものは、明治四十一年に山田孝雄氏が公けにした大著「日本文法論」です。この発展として昭和十一年に出た「日本文法学概論」は、日本語を研究する者にとって一度は目を通さなければならない書物の一つでしょう。山田氏は、具体的な日本語のありかたに即してそれを深くほりさげることに努力し、また言語に表現される思想を重く見て、これを心理学、論理学の力を借りて検討しながら体系を組みあげて行っています。江戸時代の日本語の研究を正しくうけつぐ努力は、富士谷成章や本居宣長の考えかたを新しい観点から評価しているところにもうかがわれます。山田氏の全体系を承認することはためらいながらも部分的にはこれを採用する学者が多いことは、この学説の持つ性格を端的に物語るものといえます。
 山田氏がどちらかといえば内容の面を重視したのに対して、橋本氏の学説は外形を重んじこれを基準として規定を行う形式主義的なところに特徴があります。たとえば独立・非独立という外形で詞と辞との分類を行ったり、息の切れ目で文節を分けたりするような方法がとられています。橋本氏の門下である時枝誠記氏は、これらの学説とは異なった独自の言語本質観に立って、これらの偏向を克服しその成果をとりいれるべく努力しました。時枝学説については後にくわしく述べることにします。
心理学者佐久間鼎氏の日本語研究は、現在ひろく読まれている書物の一つに入れることができましょう。佐久間氏は、江戸時代から現在に至る口語の表現をたくさんあつめ、これを表現の行われる具体的な場において検討し、整理し、そこから体系を組立てようとしています。この実証的な態度は大きな強味であり、いくつかの重要な問題をとりあげていると同時に、その方法論の弱さはその整理のしかたを制約しているばかりでなく、これまでの体系と自分のつくりあげた体系とを統一する場合にまちがった方向へすべりこんでしまう結果をも生んでいるようです。
【一行アキ】
 外国の言語学がはじめて翻訳されたのは明治十九年のことでした。昭和に入ってからはその数も多くなり、ヨーロッパ、アメリカ、ソヴエトなど各国のいろいろな学説が紹介されました。それらの中でも、特に昭和三年に出版されたソシュール(Ferdinand de Saussure)の「言語学言論」およびその学派の理論は、日本語の研究に大きな影響を与えています。多くの国語学者が、この理論と同じような説をとなえ、またこの理論に賛意を表しています。しかしこの事実は、国語学者が外国の言語学を無批判的に指導理論として採用したもの、とばかり解釈すべきではありません。たとえソシュールを読まない人でも、認識論的なあやまりがソシユール的な考えかたにみちびき、これがソシュールの学説をうけいれる基盤になることを考えてみなければならないのです。大正年間に神保格氏が論じた「言語観念」や、近くはスターリンが「言語の材料」とよんだものが、ソシュールの「言語」と同じ性格のものであり、言語理論として共通点を持っていたことは、このような理由によるものです。ソシュール理論に対してはすでにイェスペルセン、オグデン≂リチャーズなどの批判があり、日本でも時枝氏が破壊的な批判を加え、佐藤喜代治氏ほか国語学者からの批判にも見るべきものがありますが、その完全な克服とまでは行っていませんでした。一方ソシュール理論を支持する人たちの中にも、国語学者は外 国語について無知であるから言語の本質を理解できないのだときめてかかる傾向もないではないようです。
ソヴエトの言語学は、戦前にマル(N. J. Marr)の理論が紹介され、大島義夫氏、タカクラ・テル氏などがこれを支持しましたが、昭和二十五年スターリンの言語論が出るに及んでこの人たちは支持を棄てスターリン理論の支持者に変りました。マルの理論は言語の本質を論じた部分でも、構造を論じた部分でも、いろいろな独断があって、決して充分なものとはいえませんでしたが、ヨーロッパの言語学を批判しその弱点を指摘した点で多くの聞くべきものを持っていたことも否定できません。スターリンはその論文でマルを批判しましたが、正当な批判ばかりでなくマルの批判を裏がえしした部分などもあって、それを克服したとはいえないものであり、またちがった意味で多くのあやまった主張を提起して、ソ連の学界に大きな泯乱をひきおこしたのでした。
 明治の日本語研究は、ヨーロッバ言語学の刺戟を受けて、江戸時代に扱っていなかったさまざまの分野に研究の手をのばすようになりました。比較言語学としては、日本に近接している諸民族の言語(朝鮮語、アイヌ語、琉球語その他)との比較研究が盛んになり、次に日本語の歴史について多くの資料に基づいた実証的な研究がすすめられて、古代の日本語の語源、語法、音韻、仮名づかいなどがしだいに明らかになってきました。最近安田徳太郎氏が「万葉集の謎」で提出した、日本語の起源をレプチャ語に求める説は、これまでつみかさねられた古代の日本語についての研究の成果を無視していること、言語の表現構造についての無理解を示していることが国語学者から指摘され、学問的な方法からはずれた独断の産物として、きびしい批判を受けています。【以下、次回】

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