◎葛巻から先は歩かねばならなかった
中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その六回目で、第二部「農地改革」の1「第一回村長公選」の続きを紹介する。同章の紹介としては二回目。
赴任の日が来た。沼宮内〈ヌマクナイ〉駅から国鉄バスで葛巻に着いたが、そこから先は歩かねばならなかった。葛巻と岩泉町の間を民営バスは二回往復していたが、二回だけではものの役に立たなかった。ここから村役場まで県道を行けば五キロ余であるが、旧い山路を通れば幾らか近いとされていた。ゆるい傾斜の山路を上ってゆくとき、雪解の水は路面を縫っていそいそと流れていた。早春の陽はあたたかかったが、周囲の山にはまだ残雪が斑らに残っていた。峠の上に出た。私の生れ育った部落も見える。村はいま山焼の季節にはいっていた。諸方の山腹には、火が枯草を這い、煙は谷にたなびいていた。村全体は静けさに被われて、眠ってでもいるかのようであった。久しく見なかったという故郷ではないが、いま村長としてここに立てば、一種無量の感慨が湧いて来るのであった。私はこのとき若い女性を道連れにしていた。黒くつぶらな目の女性であった。私たちは別々の気持でこの平和な村里を眺めて立っていた。芝草の上で昼食を食い、煙草を吸った。林間には落葉がたまり、陽がさしていた。のちに私が、「人は一つの思い出のために何度吐息をつくのでしょう」と書いたのは、この時の風景とこの娘のイメージに対してであり、
酔眼ひらけば月あり、月に雲あり
人生意ならず
古城老杉この月にいたみ
その瞳、この光に悲しみてよりふたとせ
相見しは三たび、人生意ならず
遠き空君を偲びて
夜深き野路ひとりゆく。
嗚呼、酔眼ひらけども君なし
蕎麦の花いたずらに皎し〈シロシ〉
人生意ならず
酔眼ひらけども
あゝ君なし、君遠し
とうたったのも、遠く去って再び私の前には姿を現わさなかったこの人への思慕からであった。――
役場に着いた。小学校時代の同級生竹泉儀信が、村長欠員のあいだ代理助役をしていて、この人から事務引継をうけることになった。職印、預金帳、各種証書、契約書等、その他尨大な備付〈ソナエツケ〉書類の目録であった。これを一々見るわけにもいかないので、引継はかんたんに終えた。このとき不思議に思ったのは、役場に執務中の職員たちの態度であった。私がはいって行ったときには、みな謹厳な顔をして自席に立って一せいに敬礼をした。しかし、それっきり一言も発せず、各自黙々として事務をとっている様子である。中にはよく知ってるのも数人いるのだが、私の机に来て挨拶したのは、栗村という書記と収入役だけだった。他に何か悪いことをしたあとで、何とか言われはしないかと恐れているような空気であった。【以下、次回】
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