◎1885年刊『和漢洋諺』に見られる中国の至言・名言
昨日は、里見法爾編輯『和漢洋諺』(喜楽舎、一八八五年)にある西洋の諺を紹介した。本日は、同書にある漢文の諺を紹介してみよう。これらは、諺というよりは、格言・名言という範疇のものが多いような気がする。
いずれにしても、これらの漢諺がまた好いのである。原文は返り点つきの漢文だが、引用者の責任で、書き下し文に改める。この本は、国会図書館のデジタルライブラリーで閲覧できるので、ご不審の点は、原文に当たって確認していただきたい。
・別人の屁は臭く、自己の屁は香はし〈カグワシ〉
・蛇は竹筒に入るも曲性は改め難し
・鳥は則ち木を択ぶ、木あに能く鳥を択ばん
・堂前子を教へ、枕辺妻を教ふ
・飛ぶこと高からずば跌く〈ツマズク〉も傷つかず
・時来りて好友に逢ひ、運去りて佳人に遇ふ
・良禽は木を択びて棲む
・良医は自らを医せず
・龍は龍子を生み、鳳〈オオトリ〉は鳳子を生む
・禍〈ワザワイ〉は口より出で、病〈ヤマイ〉は口より入る
・家鶏を軽んじて野雉〈ヤチ〉を愛す
・善く游ぐ〈オヨグ〉者は溺れ、善く騎する者は墜つ〈オツ〉
・大砲麻雀〈マジャク〉を打つ
・草裡針を失へば草裡に尋ねよ
・魚〈ウオ〉を得て筌〈セン〉を忘る
・怪を見て怪しまざればその怪自ら滅す
・好客三年店を換へず、好店三年客を換へず
・好漢妻を打たず、好狗〈コウク〉鶏〈トリ〉を咬まず
・天資高ければ学力到る
・三不幸は少年父を喪ひ〈ウシナイ〉中年妻を死ひ〈ウシナイ〉老来子無し
・九層の台も累土〔重ねた土〕より起こる
・局に当たる者は迷ひ、傍観する者は清し〈スズシ〉
・水に源頭あり、木に根あり
・百芸は一芸の精しき〈クワシキ〉に如く〈シク〉無し
・人春を知らずして草春を知る
・前人樹を栽へて〈ウエテ〉後人涼を歇む〈ヤスム〉
こんな感じで、至言・佳言・名言が続いている。やはり、中国文明の蓄積は大したものである。また、編者の里見法爾も、なかなか良いセレクションをしていると思う(この人は、浄土真宗のお坊さんのようだ)。
「大砲麻雀を打つ」の麻雀は、「マージャン」ではなく、「すずめ」の意味である。大砲の砲は、原文では本字(石+馬+交)になっていた。
「魚を得て筌を忘る」は、手元のことわざ辞典には、「魚〈ウオ〉を得て筌〈ウエ〉を忘る」という形で載っている。日本のことわざだと思っていたが、中国の故事成語のようである。手元の漢和辞典には、「魚〈ウオ〉を得て筌〈セン〉を忘る」とという形で載っていた。
今日の名言 2012・11・2
◎時来りて好友に逢ひ、運去りて佳人に遇ふ
里見法爾編輯『和漢洋諺』(喜楽舎、1885)の9ページに紹介されている漢諺。時が来て良き友人とめぐりあい、運が去ったとき美人とめぐりあう。原文は「時来逢好友、運去遇佳人」。インターネットで調べると、「時来逢好友、運来遇佳人」という中国の諺があることがわかる。しかし、「運来りて佳人に遇ふ」より、「運去りて佳人に遇ふ」のほうが、ヒネリがあっておもしろい。
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