◎三浦寅吉の「反乱軍本拠突入記」(1957年2月)
『サンデー毎日』臨時増刊「書かれざる特種」(一九五七年二月)には、二・二六事件関係の記事が、ふたつ載っている。そのうちのひとつは、石橋恒喜執筆の「二・二六事件秘話」で、これはすでに紹介を終えた。
同誌同号には、二・二六事件関係の記事として、もうひとつ、三浦寅吉執筆の「反乱軍本拠突入記」というものが載っている。
本日以降は、この「反乱軍本拠突入記」を、何回かに分けて紹介してみたい。
反 乱 軍 本 拠 突 入 記 三 浦 寅 吉
払暁・重大事件突発の電話
昭和十一年〔一九三六〕二月二十六日の、まだ夜の明け切らない午前五時頃であった。
けたたましい電話のベルに驚かされた私は飛び起きて受話器を手にすると、松沢君(内田信也〈ノブヤ〉氏の秘書だった友人)の声がはげしく耳朶〈ジダ〉に響いて来た。
「内閣に重大事件が突発したらしい。くわしいことはわからないが、取りあえず報告しておきます。」
電話はそのまま切れた。
当時東京日日の写真部副部長をしていた私は、その電話にただならぬものを感じて、直ちに本社写真部の宿直室へ電話して、白井君を呼び出した。
「今、松沢氏から連絡があったんだが、中村君といっしょに総理大臣官邸へ直行してくれ。僕もすぐに行く。」
「承知しました。」
返事よりも速く受話器をかける音がした。もはや一刻も猶予してはおられない。私は、大井町の自宅から本社へ円タクを飛ばした。
一昨日〔二月二四日〕から降り続いた雪は、どうやら今朝は止んだものの、まだ降り足りないと見えて空はどんよりと暗く、ほの明りの中に銀一色に塗り潰された町々が静かに眠っていた。
本社へ到着した時、編集部はまだ何事も知らないのであろう。寂〈セキ〉として人影もない。自動車部へ電話すると、白井、中村両君はすでに出かけたという。
「よし。」心に頷いた私は、回された自動車に乗って、積雪の中を全速力で走らせたが、間もなく桜田門へ差しかかった途端、雪を蹴散らせて前方へ立ち塞ったのは銃剣を構えた歩哨であった。
「止れ、誰か。」
「新聞社の者だ。首相官邸へ。」
「通行は許さん。交通遮断だ。」
叱咤する声と、その後にいるものものしい兵士たちの姿を見て、今は交渉の余地もなく、左へ曲って霞ケ関の外務省へ向った。
が、ここも歩哨の人垣が作られて、通過し得る見込は全くない。
「一体、何が始まったんです?」
歩哨の一人にきいてみたが、じろりと睨んで、はげしい一言を投げつけたばかりだった。
「命令によって配置されてるんだ。」
愚図々々していると、銃剣を突きつけられそうな気配に、私は意を決して自動車を外相官邸の横へ(現外務省入口)へ乗り入れた。
この警戒線は、やや寛大だったので反乱軍を鎮圧に来た兵士と思い私はホッとした。知らぬは仏とはこのことか。名刺を出して、首相官邸へ赴きたい旨を述べたところ、見張っていた下士官の一人が、じっと名刺を見詰めたが、やがて傍〈ソバ〉の伍長に案内を命じた。
実戦さながらに身を固めた下士官は、忙しそうに駆け寄って来たので、社旗を立てた自動車に乗せて総理大臣官邸へ向った。【以下、次回】
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