礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森銑三の笑話集『星取棹』を読む(付・柳田國男と森銑三)

2012-07-29 06:08:26 | 日記

◎森銑三の笑話集『星取棹』を読む
 
 偶然というのはあるものである。数カ月前、神保町の古書展で森銑三〈モリ・センゾウ〉の『古書新説』を入手したが、一昨日の金曜日は、五反田の古書展で森銑三の『星取棹』を見つけた。『古書新説』は、一九四四年(昭和一九)六月、七条書院刊、『星取棹〈ホシトリザオ〉 我が国の笑話〈ショウワ〉』は、一九四六年(昭和二一)一一月、積善館刊。この間、森銑三は本を出していない。すなわち、『古書新説』は、敗戦前、最後に出した本であり、『星取棹』は、敗戦後、初めて世に問うた本である。
 戦中に出た『古書新説』には、ほとんど「戦時色」が感じられない。むしろ、戦後に出た『星取棹』という「笑話集」のほうに、「戦時色」が強くあらわれている。不思議なことだが、これは事実である。というのも、『星取棹』の冒頭には、「昭和十八年秋」という注記を持つ「我が国の笑話」という文章が置かれているからである。
 その一部を抜き出してみよう。

 現代は全世界を挙げて争乱の渦中にある。笑話どころではあるまいといふ人があるかも知れぬ。どの雑誌にも新聞にも、笑話などの閑文学〈カンブンガク〉は、姿を消してしまつてゐるやうである。しかしながらさやうな時代にも、やはり時代を反映す笑話が時に生れたりしてゐる。何か買はれるだらうと、町の行列に加つて動いて行つたら、それは告別式の行列だつたといふやう話が、いつの間にか生れて、それが口から口へ伝へられたりしてゐる。戦時の国民生活が緊張の度を増してゐる裡〈ウチ〉にもその生活に明るさを加へ、緊張の誰にも心のゆとりを与へてくれる健全な笑話が行はれてることが却つて〈カエッテ〉好ましくはあるまいか。スパイの警戒のために、ただ消極的に強ひて国民のも篏口令〈カンコウレイ〉を敷かうとすることには無理がある。却つて笑話に依つて愉快な話題を与へたりすることが、スパイの跳梁〈チョウリョウ〉を防ぐための一〈ヒトツ〉の方便とのなるのではあるまいか。いろはがるたの文句を募つたりした文学報国会あたりで、時局的な健全な笑話を募集して、それを辻々に掲示でもするやうにしたら、どのやうなものだらうか。今日の緊張した生活の中から、却つて見るべき笑話の生れ出づるものがありはせぬかとも考へられる。緊張に緊張を重ねるためには、一方に有意義に息を抜き、息を抜くことに依つて新しい元気を恢復せしめるやうな、工夫が講ぜらるべきであらう。さうした一つの方法として、笑語の利用などいふことが考へられても然るべきではあるまいかと思ふのである。戦時下の諸施設が、国民をして萎縮〈イシュク〉の一路を辿ら〈タドラ〉しめるやうな結果を招くやうでは甚だ以て好ましからぬことといはねばならない。私等はよし交戦国の飛行機の空襲受けて、防空壕の内に身を潜める時代が来ても、壕内で時に笑話でも仕合ふくらゐの心のゆとりを持つてゐたいと思ふのである。

 この文章を読むかぎり、森銑三は、戦中においてもなお、「笑話集」の出版をあきらめていなかった。むしろ、「笑話集」は、戦時にこそ必要と考えていたようである。この本は、森銑三の本とは思えないぐらい誤植が目立つ。上記の引用部分では、「緊張の誰にも」とあるところは、「緊張の裡にも」の誤植ではないかと思う。
 数日前のコラムで、地下の「避難所」についての新聞記事(一九四三年七月)を紹介したが、その記事には「防空壕」という言葉は使われていなかった。ところが、この文章で、森は、防空壕という言葉を使っている。その年の「秋」には、すでに「防空壕」という言葉が一般化したということであろうか。

今日の名言 2012・7・29

◎この書物は明るい健康な笑を読む人々に齎してくれるであらう

 森銑三の言葉。『星取棹』(1946)の序文より(4ページ)。「齎して」は〈モタラシテ〉と読む。なお、今回私は、この本を読んでみて、森銑三という人は、文体や発想の上で、柳田國男の影響を強く受けていることに気づいた。この言葉に見られる発想も柳田的である。

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