礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

映画『ニュールンベルグ裁判』のテーマは「忖度」

2017-10-26 03:13:59 | コラムと名言

◎映画『ニュールンベルグ裁判』のテーマは「忖度」

 映画『ニュールンベルグ裁判』については、言いたいことがいろいろあるが、最も言いたかったことを、ここで述べておきたい。なお、「ネタバレ」が含まれているので、あらかじめ、ご承知おきいただきたい。
 映画のラストシーンは、裁判を終えたダン・ヘイウッド判事(スペンサー・トレーシー)が、刑務所を訪ねる場面である。受刑中のヤニング元判事(バート・ランカスター)が、会いたいと言っていると聞き、帰国まぎわの多忙な中を、ヘイウッドは刑務所に赴いたのである。刑務所の独房の中で、ふたりは短い会話を交わす。
 最後に、ヤニングが、「殺された何百万の人たちのことは知らなかった、これだけは信じてください」と言う。意外なセリフである。なぜなら彼は、法廷において、「われわれが強制収容所の存在を知らなかったと言うのか。私たちはどこにいたと言うのか。私たちに目も耳も口もなかったと言うか。たしかに詳細は知らなかった。しかし、それは知りたくなかったからだ」と陳述していたのである。
 このヤニングの陳述は、間違いなく、裁判の流れを変えた。しかし、ヤニングは、今になって、強制収容所のことは知らなかったと言うのである。
 これに対し、判事は、まったく表情を変えることなく、こう言う。
「ヤニングさん、あなたが無実と知りながら死刑にしたのが始まりです。」
 この意味深長なラストシーンを、私は次のように解釈した。法廷におけるヤニングは、裁判の流れがナチ是認の方向に傾くのを恐れると同時に、ダン・ヘイウッド判事の意向を忖度して、そうした陳述をおこなった。自分が服役することを覚悟の上で、ナチ政権の罪、自分の罪を認め、かつ、ヘイウッドに協力しようとしたのである。しかし、帰国間際のヘイウッドに、「強制収容所のことは知らなかった」と言ったことで、ヘイウッドに、その「忖度」を見抜かれた。
 ヘイウッドの言葉「あなたが無実と知りながら死刑にしたのが始まりです」の意味するところは、私見では、こうなる。
「かつて、あなたは、ナチ政権に忖度しながら、あるいはナチを支持する民衆に忖度しながら、無実の人間を死刑にしました。それが、何百万の人たちの犠牲の始まりだったのです。」
 この解釈が見当はずれでないとすると、この映画のテーマのひとつに、「忖度」がある。無実の人間を死刑にしたのも忖度、強制収容所の実態を知らなかったのに知っていたかのように証言したのも忖度なのである。それにしても、ドイツ語や英語に、「忖度」に相当する言葉があるのだろうか。

*このブログの人気記事 2017・10・26(5位にやや珍しいものが入っています)

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リチャード・ウィドマークの代表作は?

2017-10-25 05:19:42 | コラムと名言

◎リチャード・ウィドマークの代表作は?

 リチャード・ウィドマークが出ている映画というのを、あまり観ていないような気がする。リチャード・ウィドマークという俳優は昔から知っているし、彼が出ている映画を、かなり観てきたはずだ。にもかかわらず、リチャード・ウィドマークという俳優を意識しながら観た映画というのが、ほとんどなかったということだ。
 数年前に、ジュールス・ダッシン監督の『街の野獣』(20世紀フォックス、一九五〇)という映画を見た。このとき、改めてリチャード・ウィドマークという役者に注目した。この映画では、リチャード・ウィドマークが主役、その役どころは、ロンドンの酒場「シルバー・フォックス」で、客引きをやっている、ハリー・ファビアン。ハリーは、しがない客引きだが、なかなかの野心家で、グレゴリウスというプロレスラーと親しくなったのを機に、プロレスの興行で一旗挙げようと考える。しかしこれが、そう簡単にはいかない。ちなみに、タイトルの「街の野獣」とは、すなわち、プロレスラーたちのことを指している。
 リチャード・ウィドマークは、狡猾で強引で、しかも小心者というクセのある役柄を、いかにもそれらしく演じている。しかし、どことなく影が薄い。おそらくこれは、共演者たちの存在感が、リチャード・ウィドマークのそれを、大きく上回っていたからではないのか。たとえば、「シルバー・フォックス」の経営者フィルを演じたフランシス・L・サリヴァン。にくらしいほどの存在感である。あるいは、グレゴリウスを演じたスタニスラウス・ズビスコ。この人の存在感は圧倒的である。なんと彼は、ホンモノのプロレスラー、しかも伝説的ともいえる著名なプロレスラーだったのである。
 さて、映画『ニュールンベルグ裁判』では(一昨日、昨日のコラム参照)、リチャード・ウィドマークは、タッド・ローソン検察官(合衆国陸軍法務大佐)を演じている。冷静にして沈着、つねに眼光鋭く、ときに語気鋭く、被告に迫る。このローソン検察官は、リチャード・ウィドマークのハマリ役とも言える。
 法廷内で、絶滅収容所の模様を記録した実写フィルムを流す場面がある。コメントするのは、ローソン検察官。この際の、短く抑制したコメントがよい。
 また、これは法廷外の話だが、ローソン検察官に対して、軍の上官が、冷戦を理由に、政治的な「圧力」を加えようとする場面がある。今のアメリカとしては、ドイツ国民を敵に回すわけにはいかないというのが、上官の論理である。この時のローソン検察官の苦しげな表情もよい。
 インターネット情報によれば、『ニュールンベルグ裁判』は、リチャード・ウィドマークにとって、「自他ともに認める代表作」だったという。さもありなん、と思う。リチャード・ウィドマークは、二〇〇八年に九三歳で亡くなったという。

*このブログの人気記事 2017・10・25(8位に珍しいものが入っています)

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スペンサー・トレーシーとバート・ランカスター

2017-10-24 05:54:41 | コラムと名言

◎スペンサー・トレーシーとバート・ランカスター

 昨日の続きである。映画『ニュールンベルグ裁判』(一九六一)については、いろいろ述べたいことがあるが、本日は、そのキャストについて述べてみたいと思う。
 まず、主役であるダン・ヘイウッド判事を演じたスペンサー・トレーシー。この人が出た映画は、これまで、ずいぶん観てきたが、最近、観たものとしては『東京上空三十秒』(MGM、一九四四)がある。この映画で、スペンサー・トレーシーは、いわゆる「ドーリットル空襲」を立案し、指揮したドーリットル陸軍中佐を演じている。出番は多くないが、短く印象的な演説をおこなう場面などで、存在感を示している。
『東京上空三十秒』でドーリットル中佐を演じたときのスペンサー・トレーシーは、四四歳。『ニュールンベルグ裁判』でヘイウッド判事を演じたときの彼は、六一歳である。後者について言えば、役作りということもあるのだろうが、実年齢よりもかなり老けて見える。なお、彼は、一九六七年に六七歳で死んでいる。死因は心臓発作である。
 次に、被告で元判事のエルンスト・ヤニングを演じたバート・ランカスター。この人が出た映画も、これまで、数えきれないほど観た。最も印象に残っているのは、ジョン・フランケンハイマー監督の『終身犯』(ユナイテッド・アーティスツ、一九六二)である。ここで、バート・ランカスターは、主役の終身犯ロバート・ストラウドを演じている。さらに、彼は、フィル・アルデン・ロビンソン監督の『フィールド・オブ・ドリーム』(ユニバーサル・ピクチャーズ、一九八九)にも、老医師の役で登場していた。一九九四年に、八〇歳で死亡。死因は心臓麻痺。
 映画『ニュールンベルグ裁判』は、スペンサー・トレーシーとバート・ランカスターのふたりが主役である。そして、このふたりが、片やヘイウッド判事、片やヤニング被告として、法廷で対峙する。判事は、この被告に敬意を払い、一方、被告は、自己の罪を認めることによって、裁判の流れを変える。
 ストーリーの上では、必ずしも、判事と被告とが「対決」するわけではない。しかし、演技の上では、明らかに、にスペンサー・トレーシーとバート・ランカスターという両名優が、「対決」している。その対決を存分に味わえるのが、この『ニュールンベルグ裁判』という映画である。なお、映画のラストは、このふたりが短い会話を交わす場面である。【この話、さらに続く】

*このブログの人気記事 2017・10・24(9位に珍しいものが入っています)

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映画『ニュールンベルグ裁判』(1961)を観た

2017-10-23 03:41:45 | コラムと名言

◎映画『ニュールンベルグ裁判』(1961)を観た

 スタンリー・クレーマー監督の映画『ニュールンベルグ裁判』(MGM、一九六一)を観た。よかった、考えさせられた。傑作だと思った。
 この映画のことは、ずっと以前から知っていたし、ぜひ観たいとも思っていたが、なかなか観る機会がなく、今日にいたってしまった。結局、アマゾンでDVDを購入して鑑賞した。
 まだ、この映画を観ておられない方のために、いくつか情報を提供しておきたい。
 この映画は、ゲーリング、ヘス、リッベントロップなど、第三帝国の首脳が、ニュールンベルグで裁かれた「ニュールンベルグ国際裁判」を描いたものではない。その国際裁判のあとに、同じくニュールンベルグで、アメリカがおこなった「ニュールンベルグ継続裁判」を描いたものである。
 この映画で描かれるのは、その「ニュールンベルグ継続裁判」の一部、ナチ政権下、エルンスト・ヤニングら四人の法律家が関わった「ふたつの裁判」についての裁判である。この「ふたつの裁判」の是非が、あるいは、この「ふたつの裁判」に関わった裁判官の責任が、争われた裁判である。
 この映画は、実写の記録映画ではなく、また、実際の裁判を再現したものでもない。事件・人物等は、あくまでもフィクションである。ただし、全くのフィクションというわけではなく、事件あるいは人物には、モデルとなった事件、モデルとなった人物が存在していたと思われる。
 この映画は、非常に長い。編集の仕方にも依るのだろうが、私が入手したDVD(20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン株式会社)は、本編179分とあった。たしかに長いが、観ていて長さを感じさせない。これは、脚本(アビー・マンAbby Mann)が優れているからであろう。
 俳優陣がまたすばらしい。いずれ劣らぬ名優たちが、適切な役柄に配され、実に達者な演技を見せている。ダン・ヘイウッド判事にスペンサー・トレーシー、エルンスト・ヤニング元判事にバート・ランカスター、検事にリチャード・ウィドマーク、弁護人にマキシミリアン・シェル、断種法に関わる裁判の証人にモンゴメリー・クリフト、「ドイツの血とドイツの名誉の保護のための法律」に関わる裁判の証人にジュディー・ガーランド、夫がニュールンベルグ国際裁判で、すでに死刑になっているベルホルト夫人にマレーネ・ディートリッヒ、こんな感じである。
 この映画が封切られたのは、一九六一年(昭和三六)一二月一九日だという。これは偶然なのか、同年の四月一一日に、イスラエルでアドルフ・アイヒマンの裁判が始まり、同年一二月一五日、死刑という判決が下されている。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2017・10・23(10位にかなり珍しいものが入っています)

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文体模写(その4)、内田百閒「煙突事件」

2017-10-22 07:25:13 | コラムと名言

◎文体模写(その4)、内田百閒「煙突事件」

 あいかわらず本日も、アサヒグラフ編『玉石集』(朝日新聞社、一九四八)にあった「文体模写」の紹介。本日は「模・内田百閒〈ヒャッケン〉」。改行は原文のまま。

=== 文 体 模 写 ===
  煙 突 事 件    模・内 田 百 閒
 お隣の奥さんが物々しい顔付で駆けこんで来て、宅の煙突にサンタクロ
ースがつかへてゐるらしいから来て下さい」といつた。
 直には、どういふ話か見当がつかなくて愚図々々してゐるといきなり手
首をつかんで引張られたので、はだしで駆けけつけた。多勢がやがや居て長
い竹の竿で煙突を下から突き上げてゐる。本常に、つかへたのがサンタク
ロースなら随分お尻が痛いぢやないかと心配につたので念を押すと「早
く手伝へ」と指揮者らしい若者に剣突を喰はされた。一緒に竿の端を握つ
て突き上げて見ると、その度にぐにやくとしたものに当る手応へがあつ
て確かにサンタクロースのお尻らしい。「エイサエイサとやつてる中にだ
んだん落ちつかない気持になつて来たので便所へ行つて来ますといつて家に
帰つて来てしまつた。

*このブログの人気記事 2017・10・22(3・4位に珍しいものが入っています)

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