◎戦時宣伝罪をめぐって議会で激しい論争(1943)
昨日に続いて、深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三)から、「戦時刑事特別法」について解説している部分を紹介する。
同書の二一ノ二ページから二一ノ九ページまでは、「新訂増修」にあたって付け加えられたページである。ここには、第七条ノ二から第七条の五までの条文とその解説がある。これらをすべて紹介したいところだが、都合により、今回は、第七条ノ四「戦時宣伝罪」とその解説のところ(二一ノ五~二一ノ九ページ)のみを紹介する。
第七条ノ四 戦時ニ際シ国政ヲ変乱シ其ノ他安寧取秩序ヲ紊乱スルコトヲ目的トシテ著シク治安ヲ害スベキ事項ヲ宣伝シタル者ノ罰則亦前条ニ同ジ
(註解) 本条は所謂「戦時宣伝罪」である。本条も前三条と同様目的罪であるが、「国政ヲ変乱」の目的の外、「安寧秩序の紊乱」を目的とする点に於て其の罪質を異にし、二者何れかの目的を以て「著しく治安を害すべき事項の宣伝を為す」に因りて本罪成立する。
「宣伝」とは一定事項を不特定人又は多数人に説明し且〈カツ〉愬へ〈ウッタエ〉て理解共嗚を求めんとする所為である、一人の対手者に対しても其者が更に他に伝播〈デンパ〉せしむべきことそ知りて為す場合は仍ほ〈ナオ〉宣伝と解する。
本条は第八十二回帝国議会(昭和十八年)貴衆両院に於ける原案の審議に方りて〈アタリテ〉論難尽くる所なかりし法文なるが故に、次の用語の意義につき再び解説を加へる。
「国政」とは、国家の基本的政治の意味であつて、即ち「国家の基木的政治制度(憲法に定むる統治組織、朝憲)」のみを指すのではなく、其の機能的の面をも包含するものと解さる、従て「現実の基本的政治機構(政府・議会の如き)」及び国家の基本的政策(国策)をも包括して国政と称するのである。
「国政変乱」とは国家の基本的政治に不法の変更を加へ或は混乱を生ぜしむることを意味するのである。従て合法の手段に依る政治運動、思想運動、国民運動の如きを本罪の対象とするのではない。
又政府は「安寧秩序の紊乱」なる語には「私有財産制度の否認の宣伝行為」をも包含する、即ち私有財産制度は今日の社会生活の最根本的なる秩序たる制度であるが故に之が否認は暴力其他の不法手段に依ると否とを問はず当然安寧秩序をするものであり、斯かる否認事項の宣伝は本条に「著しく治安を害すべき事項の宣伝」に該当すると説明したのであるが、此説明は従来の安寧秩序紊乱の伝統的観念に本法上の拡充変更を加へたものである。
「著しく治安を害すべき事項の宣伝」とは、戦時下、国家、社会、公共の安全を著しく防害〔ママ〕すべき虞〈オソレ〉ある事項の宣伝行為を云ふのである。其の宣伝の結果如何は本罪の問ふ所ではない。然らば何が著しく治安を害すべき事項なるかは専ら個々の行為に就き社会通念に従ひ客観的に判断すべきものである、之を主観的抽象的に観察し予め断定することはできない。
又本条に於て治安維持法の所謂「目的たる事項」の用例に従はなかつた所以は余りに其適用の範囲広きに過ぐるに至ることを避け、著しく治安を害すべき事項の宣伝に限り適用せしめんが為の法意である。
尚、帝国議会の原案審議に方りて「国政の意義に於ける基本的政策とは何か」、「単に個々の政策の批判、論講、談話等の如きも取締りの対象となるのではないか」、「本条は国民の法律生活の安定を阻む〈ハバム〉に至るべき法文ではないか」等に就いても亦烈しき論争が展開されたのであるが、結局次のやうた趣旨に落ち着いのであつた。
「基本的政策」とは、肇国〈チョウコク〉以来悠久渝ら〈カワラ〉ざる不動の国是〈コクゼ〉遂行の為めの内政及び外政に関する諸政策の中〈ウチ〉其の根幹的の政策を意味するのであつて、大東亜戦争の完遂、枢軸諸国との同盟、枢軸諸国との防共協定、満支両国との結盟、国防目的達成の為めの経済統制の如きが共の適例である。
又此の「基本的政策の表現」は、御詔勅、法律、勅令、条約に依て為され、「表現の次期」は御詔勅は渙発の時、法律勅令条約は共の効力発生の時である。
「個々の政策」と云ふは、基本的政策を遂行する手段方法として運用せられる下位の政策とも称すべきものであつて、所謂基本的政策ではないから、個々の政策の批判の如きは本条取締りの対象とはしない、今之を「経済統制」に就き観察すれば例へば公定価格、切符制、登録制,米価統制、木材統制、府県ブロツク等の如きが夫れ〈ソレ〉である。
(本条原案が帝国議会審議に際して、如上三ケ頁〔二一ノ六~二一ノ八ページ〕に要説したる点、其他種々論議の末無修正通過成立するに先ち、政府よりは実際運用に関する次の如き言明が為されたのであつた。)
「本条の実施運用に関する政府の言明」(岩村〔通世〕司法大臣説明)
本法の解釈及び適用上濫用に陥ることなきやう種々論議されたことは具さ〈ツブサ〉に拝聴したのであつて、事は相当重大な問題であるが故に、内務当局其他の関係各庁とも緊密な連絡をとり最善の努力を傾注して御懸念の点に就き充分の注意を加へ、立法の趣旨の徹底に万全を期し其の運用に些〈イササカ〉の遺憾なきやう之に臨む所存である。
現下一億一心必勝の為めに邁進すべき折柄、国内の思想の分裂攪乱〈コウラン〉を来すが如きことは、強く之を警しむべく夫れ等〈ソレラ〉の所為にして法規に触れるものは厳に之を禁遏すべきは勿論であるが、第七条の趣旨は決して適法なる政策の批判等を処罰するのではないのである。此点明白に述べて置きたい。
「検事の陣頭指揮」、本罪の捜査に当りては、司法警察官は自己の単独判断に於てせず、必ず先づ検事に相談し、検事の指揮命令を仰いで捜査検挙を為すことゝする。
「禀議制」、本罪搜査の結果、検事が起訴不起訴の処分を為すには検事は検事正に、検事正は検事長に具申し、検事長は更に検事総長に具申し、検事総長は本罪に限り必ず司法大臣に禀議〈リンギ〉して其の命令を俟ち起訴不起訴の処分を決定すべきこととする。
この「註解」によれば、第七条ノ四「戦時宣伝罪」をめぐって、「第八二回帝国議会」(下線)において、「烈しき論争が展開された」という。あるいは、その案文に対し、論難が尽きることがなかったという。議論の内容は確認していないが、戦時下、しかも東条英機政権の下において、帝国議会のチェック機能は、健在であったと見るべきであろう。
なお、「第八十二回帝国議会」は、臨時会で、会期は一九四三年(昭和一八)六月一六日から一八日である。第七条ノ二から第七条の五までが付加された第一次改正は、同年の三月なので、ここは、「第八十一回帝国議会」(通常会、会期は一九四二年一二月二六日から一九四三年三月二五日)と訂正されなくてはならない。