礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

文体模写(その3)、芥川龍之介「いんふれの」

2017-10-21 02:53:49 | コラムと名言

◎文体模写(その3)、芥川龍之介「いんふれの」

 本日も、アサヒグラフ編『玉石集』(朝日新聞社、一九四八)にある「文体模写」を紹介してみたい。本日は「模・芥川龍之介」。改行は原文のまま。

=== 文 体 模 写 ===
  い ん ふ れ の    模・芥川龍之介
 或る日のことでございます。基督様は「はらいそ」から下界の容子を御
覧になつていらつしやいました。此の下界は「いんふれの」と申して戒を
破つた人々が住む家もなく着る衣物もなく食べるものもなく責苦に満ちた
闇の中に蠢いてゐるのでございます。「さんたん・るちや」を力なく歌つて
ゐる「ひきあ・げしや」や泥沼でもがいてる「さらりまん」、通行止の立札
のやうなものを担いでぞろぞろとあてどもなく行列して歩く一隊などの中
に、傍目もふらす一生懸命にお札を作つてゐる人がございました。勘定す
るだけでも大変なほど沢山のお札でござい走すが「いんふれの」の人々は
此のお札を受取るとすぐそれを食べて了ふから幾ら作つても足らないので
ございます。基督様は悲しさうなお顔で「えんじゆる」をお呼びになり小
麦粉と罐詰を下界に下し給うたのでございます。

*このブログの人気記事 2017・10・21(10位にやや珍しいものが入っています)

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文体模写(その2)、森鴎外「かどはかし」

2017-10-20 00:25:37 | コラムと名言

◎文体模写(その2)、森鴎外「かどはかし」

 昨日の続きである。本日も、アサヒグラフ編『玉石集』(朝日新聞社、一九四八)にある「文体模写」を紹介してみたい。本日は「模・森鴎外」。改行は原文のまま。

=== 文 体 模 写 ===
  か ど は か し    模・森 鴎 外
 少女の笑ひさざめく声きこゆる折、校門を出で来る二人三人あり。先き
に立ちたる一人に歩みよりたる色黒き小男「おん身は住友邦子の君にあら
ずや」少女はいぶかしげに首を傾けつ。「我はその筋の者なり。おん身の
父君に一大事起りたり。今よりともに警察署に参るべし、いざいざ」とう
ながす男の何とはあらず気ぜはし気なるは、いかなることはりにや。みれ
ば、髪もけずらず、服も整はぬ世にいふ復員くづれの姿なれば少女は怪し
とや思ひけむ「いかなれば警察吏のいでたちし給はぬにぞ」と問ふ。男は
「そのお疑ひは尤もなり。されど、これこそ人目を忍ぶ姿、おん身を悪人
の手より護らんが為なり」と面を柔らげ言の葉もやさしく言なしければ、
ついには従ひゆくをうベなひぬ。

 この文章は、一九四六年(昭和二一)九月一七日に起きた「住友財閥令嬢誘拐事件」をモデルにしていると思われる。誘拐事件つながりで、『山椒大夫』の著者、森鴎外の文体を借りたということだろう。それにしても、たいへんな才芸である。

*このブログの人気記事 2017・10・20(5位に珍しいものが入っています)

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文体模写、夏目漱石「茶椀の中」

2017-10-19 08:48:13 | コラムと名言

◎文体模写、夏目漱石「茶椀の中」

 数か月前に、文豪や著名人の文体を模して、「カップ焼きそば」の作り方を書いた本が話題になった。神田桂一さん、菊池良さんの『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社、二〇一七年六月)である。
 こうした「文体模写」の試みは、昔からあったなあ、と思った。先日、たまたま、アサヒグラフ編『玉石集』(朝日新聞社、一九四八)を手にとったところ、そこに、いくつか「文体模写」のコーナーがあった。しかし、この本を入手して一読したのは、たかだか五、六年前のことだ。それよりもはるか以前から、少年雑誌、受験雑誌、あるいは週刊誌などで、「文体模写」に接してきたことは間違いない。
 本日は、『玉石集』から、「文体模写」の一例を紹介してみよう。改行は原文のまま。

=== 文 体 模 写 ===
  茶 椀 の 中    模・夏 目 漱 石
 新聞を見ると腹が立つ。腹が立つからいらいらする。いらいらするから
眠れない。眠れないから朝寝坊だ。いつそへンりー・ライクロフトのいふ
やうに新聞や手紙の一切来ぬ国に住むことができるならさぞのんきだろ。
尻尾のない猿どもが猫額の島国にひしめきあつて、いがみあひだましあつ
てゐるのが今の世の中だ。西諺にいふ Tempest in a tea-cup と観ずれ
ばたとへ得てだ。
 茶椀の中では遠慮なく地震がゆる、津波が来る、買出しの列車が転覆す
る、金がない、家がない、食べものがない、揚句に猩紅熱のやうにゼネ・
スト熱がはやる。子供ばかりがやられるのかと思うたら大の男が束になつ
て熱を出す、そのたびにボロボロと皮が剝げ落ちる。
 お陀仏も土左衛門も浮ばれぬがそんなことばかり書かねばならぬ新聞記
者もせつなかろ、それを面白いと読めば非人情となり、運命と諦めれば風
流となる。とかく敗戦は残酷だ。

 おそらく、この文体模写をおこなったのは、『アサヒグラフ』編集長時代の飯沢匡〈イイザワ・タダス〉であろう。ただし、『玉石集』のどこを見ても、飯沢匡の名前は出てこない。

*このブログの人気記事 2017・10・19(6位にやや珍しいものが入っています)

 

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慶応三年には芝浦はありません(高木康太)

2017-10-18 08:27:51 | コラムと名言

◎慶応三年には芝浦はありません(高木康太)

 芳賀利輔著『暴力団』(飯高書房、一九五六)の「やくざの世界」(インタビュウ)から、「やくざ者」について語っているところを紹介している。本日は、その五回目(最後)。
 前回、紹介した部分のあと、改行せず、以下のように続く。

その法律とかしきたりとか、規定とかは別として、お前たちが汗と血によつて築き上げた場所なんだから、これを侵害するということは不道徳だ。だからお互いに人のものを侵害しないで守つていこうじやないかということになつた。たとえば銀座は篠原さん芝浦は阿部さんというふうにきめた。その当時の親分の名前は記憶はありませんが、現在の名前を借りていえばそういうことなんです。ところがたまたま武部というえらい人がいて、その人の子分になつたのが高木康太という人で、この人は横浜の人足から出たと聞いていますが偉い人です。頭が良いし、度胸もあつた。いまは賢気〈カタギ〉になって立派な紳士ですが、その人が芝浦をおさえてしまつて、あそこで派振り〈ハブリ〉をきかして居た。そうすると小金井の小次郎以来親代々保つてきた住吉一家というのがある。それで今でも芝浦を住吉一家というんです。昔は住吉という人が持つていたんでしようナ。その跡目に系統を引いた倉持直吉という人があの土地の親分なわけです。ところが武部というえらい人の子分になつた高木という人があそこの場所を取つてしまつて、堂々と子分を置いて治まつて居るのはけしからんという声がだれいうとなくヤクザ社会に起つた。私たちが子供のころには船の着くところは芝浦じやなくて深川の洲崎だつた。それが今は芝浦へ東京港湾というものができたので、あそこへ船が着くようになつた。そこへ船の人足が集まる。船が着くまで一時間なり三十分なり暇があるから、皆その暇間〈ヒマ〉に博奕をしている。そのテラを子分共が取つたわけだ、そうしたらいくら武部さんでもひどいじやないか、あれは慶応三年に、小金井の小次郎がきめたおれ達の縄張りだ。いくら武部さんでも高木という人にテラを取らせるということはけしからぬ。
 小金井小次郎が慶応三年の正月に上野の山下の伊与紋という料理屋でやつた。
 私なんか若い時分にはまだその伊与紋があつたで親分を集めてきめた縄張りをけしからぬといつて、柬京中の博徒の親分から武部さんのところへ文句があつた。そうか、それは気の毒だ、おれは知らなかつた申しわけないと言つて、それでは今高木を呼ぶから待つてくれというので、すぐ高木を呼んだ、武部という人は親分ではあるがテラは取つたことはなかつた。高木は早速とんで来た。冗談言つちやいけませんよ。慶応三年には芝浦はありません。あれは最近東京市で埋立てたんです。これは実際だね。あの芝浦というのは、大正から昭和にかけて埋立てたんですから、その埋立てたところへ私〔高木〕が艱難辛苦をして築き上げた場所です。往吉の場所じやありません。親方〔武部〕そういうことは断つておいて下さい、とこういうことになつたんだ。ところがうちの武部という人は、けんかの嫌いな人で、腕力もあるし、柔道も四段くらいやりまして、また学問もあり、インテリだつたから、まあまあお前そう言うな、というわけで、それから倉持直吉さんを呼んだ。そして実は高木はこう言うんだ。あそこは慶応三年にはなかつた。最近埋立てたもんだ。だからあれは君〔倉持〕の縄張りじやないよ。しかし君もまあ相当の親分だから、君の顔も立てよう。どうか〔高木を〕客分として扱つてくれというので、そのままになつた。ところが高木という人は子供を慶応大学へ出してから教育上良くないというので、自分は賢気になつて今の阿部重作君に芝浦の場所を譲つたというわけなんです。すると阿部さんは倉持直吉の盃〈サカズキ〉を改めてもらつて(自分の親分が賢気になつてしまつたから)現在芝浦の親分になつているわけですよ。

 この「やくざの世界」というインタビュウで、芳賀利輔は、本日、紹介した箇所以外においても、やくざ者の「論理」というものを、明快に、また具体的に語っている。興味を持たれた方は、ぜひ、インタビュウの全篇を通読していただきたい。なお、礫川著『アウトローの近代史』(平凡社新書)も、できれば、ご参照いただきたい。

*このブログの人気記事 2017・10・18(2位に珍しいものが入っています)

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そのとき原敬が一蓮托生という言葉を使った

2017-10-17 06:07:47 | コラムと名言

◎そのとき原敬が一蓮托生という言葉を使った

 芳賀利輔著『暴力団』(飯高書房、一九五六)の「やくざの世界」(インタビュウ)から、「やくざ者」について語っているところを紹介している。本日は、その四回目。

ききて そうすると今のお話のように義理の固かつた時代と現在の対照的ないい例はございませんか。
芳 賀 つまりこれはやくざ者ばかりを言つてもなんですけれどもたとえばこういうことなんです。昔、中橋徳五郎という文部大臣があつた。
ききて それはいつごろですか。
芳 賀 大正の末期か昭和の初めですか、その当時、原敬〈ハラ・タカシ〉という人が総理大臣であつた。ところが中橋さんという人が何か失敗をしたわけなんです。そして議会で盛んに攻撃を食つて、内閣はある程度認めるけれども中橋はけしからぬというので辞職を勧告したんです。そのとき原総理大臣は一蓮托生という言葉を使つた有名な話です。大臣はみな、一蓮托生である。各員が失敗したことは、総理大臣みずからが失敗したことである。だからやめるときには彼一人はやめないのだ。全部がやめるんだからどうかさよう御承知願いたい、といつて議会で答弁した。ところが最近重光〔葵〕外務大臣が日ソ交渉でソ連へ行つて失敗して帰てきた。そうすると人情総理の異名のある鳩山〔一郎〕さんでも河野〔一郎〕農相でもこれに対して外務大臣の首のすげかえをしようとする。これを見ても決してやくざ者ばかりが義理人情を忘れたんでなくして、政治家あるいは国を司る〈ツカサドル〉先生共がそういうふうに変つてきているんですよ。
ききて 上から変つてしまつているわけですね。
芳 賀 だから決してやくざ者ばかりが変つてきたんじやない。それをひとつ頭に入れておいていたたきたいと思うんです。
ききて それはわかります。
芳 賀 ということは、重光さんがソ連へ行くときには鳩山さんと相談をしている。鳩山さんは御承知の通り早期妥結派なんです。重光さんは御承知の通り慎重派だつたんです。それは鳩山さんと反対なんだ。ところがようやく鳩山さんに説きつけられて締結するために行つて、その締結のために失敗して帰つてきたものを首にして、今度は自分が訪ソして、おれがやつてくるというのでは、義理も人情もない。ただ政権がほしいということだけであるということがはつきりと言えると思います。これはぜひひとつ考えてもらいたいと思います。だからやくざ者だけが義理人情を失つたんじやない。あるいは社会がそういう状態であるということが言いうると思うんです。
 まだ生存している人たちの名前を書くのは気の毒だけれども、ここでは言います。今東京では阿部重作という芝浦の一流の親分ですが、この人の親分さんは高木康太という方でして、その子分なんだ。その人は私の親分の武部さんの子分なんです。だから私とは直接の兄弟分ではないけれども、兄弟関係にあるわけなんだ。その人が芝浦というところに勢力を持つたわけなんですが、その前にまず縄張りというものをお話しますが、博奕打ちには縄張りというのがある。テキ屋にも縄張りというのがある。博徒の縄張りというのは慶応三年〔一八六七〕に小金井の小次郎という親分があつた。これが関東八州、つまり神奈川、千葉、埼玉、栃木等の八州あるそうですが、関東八州の慶応時代の親分だつた。昭和の親分は武部申策と言いうるが、この小金井の小次郎という人は、関東の親分をみんな集めてお互いにけんかをしちやいかぬ、おれがきめる縄張りをお互いに守つてくれ、そして人の場所を侵害するな。しかし実際は縄張りというものはないんだ。それは徳川家康の縄張りで、言いかえれば京都の、天皇陛下の縄張りだ。けれどもお前たちが血を流し、汗を絞つて築き上げた場所だから、それを侵害するというのは、歴史のいかんを問わず道徳を侵害するということなのだ。つまり不道徳じやないかという。これはいい言葉なんですよ。今の人にはちよつと言えない言葉なんです。【以下、次回】

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