◎突如、ヘレン・ケラー女史が僕のアパートに
須磨弥吉郎『外交秘録』(商工財務研究会、一九五六)から、「ケ女史へ秋田犬」の章を紹介している。本日は、その後半。
女史が称える忠実さ
昭和十三年の十月であった。神風号がディステムバー〔distemper〕にでも冒されたのではないか、それともニュー・ヨークの気候の変化が祟っているのではなかろうか。なんぼ呑気な僕でも、こんなことが気になりかけた頃、突如女史がブロードモアの僕のアパートに現われた。
「疾うに、お礼に来るはずなのに、ついかけ違って失礼しました。神風号は全く、世界のどこの犬も及ばない鋭敏な犬です」
「鋭敏ですか? 私は実に鈍感と思っていましたが」
「いや、私はこんな不自由な身体ですから、神風号の耳の動き方と、あの房々した尾の振り方の触感から、実に濃やか〈コマヤカ〉な感触を受けるのです」
「それは驚きましたが、外に何か特質がありますか」
「吠えないで忠実なこと(バークレス・ロイヤルティ)は、世界中の犬の中で特有なものでしょう」
「そうですか。それで想い起しますが、秋田犬は、喧嘩をして吠えた方が負けになります」 「それでは、秋田犬は決して負け犬(アンダー・ドッグ)にはなりません」
「そう、そう」 僕は声高らかに答えながら、自分でもおかしさがこみ上げてきた。というのは、その頃アメリカの方々に演説に出かけて、日華問題について話すと、その後の質問には、必ず一つ二つ、日本は友邦をアンダー・ドッグ扱いにして怪しからん、という表現のあることが、この女史の言葉で急に僕の頭に甦ってきたからであった。
〔※「昭和十三年の十月」とあるが、昭和十二年(一九三七)の十月の誤りであろう。日本から、すでに神風号が到着し、まだ元気だった時点での話と思われる。「ブロードモアの僕のアパート」とあるのは誤記か。ブロードモア(Broadmoor)は、コロラド州にある観光地である。〕
神 風 号 の 急 死
二人で笑い合ってから女史は続けて云った。
「それから、秋田犬は何となく頼もしいですよ」
「けれども僕の印象では、シェパードなどに比べて気が利きませんですね」
「そうでしょうね。けれどもそこが良い点ですね」
「というのは?」
「私の印象では、秋田犬は黙々として忠実であって、仮にシェパードのようにすばしこくは立ち居振舞はしないが、永い一生の間には、何時かは大きなサーヴィスを示すだろうことは明らかに分ります」
「なるほど、そんなことがどこで分りますか」
「私はその耳と尾とそして鼻からそれを感じます」
と自信ありげにいった後で、さらにつけ足した。
「もちろん、それは分りませんよ。一生そんなことがなくて終るかも知れませんが、ともか く、そういう質〈タチ〉の犬ですね」
僕は自分のことを褒められるよりも、一層嬉しかった。
しかし薄倖の神風号は、それから間もなく女史が南の口スアンジェルスに連れて行ってから、気候の急変で死んでしまった。
終戦後、女史が日本を訪れた時には、秋田犬を買っていった。その犬は今どうしていることか。僕のところには総あかの牡、鳥海太郎と、牝の照号のほか、当選祝いに阿仁合〈アニアイ〉の方から頂いたごまの阿仁王号がいる。いずれも元気でピンピンしている。秋田犬保存協会の会長である僕が、その一生一度のサーヴィスを想像してみるのも面白いことである。
「ケ女史へ秋田犬」の章は、ここまで。ヘレン・ケラーと秋田犬との関わりに興味をお持ちの方には、秋田犬新聞「ヘレン・ケラーと秋田犬の深くてうるわしい関係」(https://akitainu-news.com/archives/935)の参照をおすすめする。ヘレン・ケラーが秋田を訪問したときの新聞記事、神風号の死を伝えるヘレン・ケラーの手紙などが引用されている。
須磨弥吉郎の『外交秘録』は、この章に限らず、厳密さに欠ける(信用しかねる)記述が目立つ。しかし、そのことを承知しながら読めば、有益にして興味深い「史料」と言えるだろう。同書の紹介は、明日以降も続ける。