礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

こういうとき小作人たちの弱いのには驚いた

2022-05-11 02:22:54 | コラムと名言

◎こういうとき小作人たちの弱いのには驚いた

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十七回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては六回目(最後)。

 この日は地主側の敗北であった。それまでは地主と相会した〈アイカイシタ〉場合、ただの一度もこちらの気勢の上ったことはなかった。この再調査の日から一ヵ月ばかり前に、やはりこの日の遠藤が、同じ開拓課の成沢という係長をつれて、村にやって来たことがある。地主と小作者を集めて和解させようというのであった。その日私は葛巻町で酒を呑まされ、少しおくれて会場についた。中学校であった。赤い顔をして出て行ったらまた非難があろうと思って、宿直室で寝て酔をさましていた。会場から洩れて来る声をきいていると、気勢をあげているのはみな地主たちで、味方の声はとんと聞こえて来ない。そのうちに、地主たちは勢いに乗じ、誰も答えられぬなら村長を出せという。助役〔川戸与四郎〕が呼びに来たから、もう少し待ってくれといわせた。すぐ引っぱって来いという声がするので、迎い〈ムカイ〉を待たず出て行った。壇に立って、何の用かと質したら、今度は向う側がたじろいだ。行きがかり上、二、三人で何か言って来たが、前の小学校の時よりも弱かった。
 こういうとき、小作人たちの弱いのには驚いた。川原〔徳一郎〕や山村〔繁蔵〕なども地主たちと単独で渡り合おうとはしなかった。弁舌に自信がないのであろうか。頭のよさでは、やはり地主側に歩〈ブ〉がある。この夜成沢係長は遠藤の家に泊った。地主側の有志たちは葛巻まで押しかけて深更まで呑んだという。私はその翌日盛岡へ出る途中、この男と一緒になった。互に昨日までは知らぬ仲であったが、私は彼が敵に味方するものと思い、彼が私を地主たちのいう通りの人間だと考えているに違いないと思った。一夜の宿はそんな意味をもつのであった。彼は地主たちの言っていることを話してくれた。それによれば、村長はロシヤ人を村に連れて来て、江刈村を赤化する計画だ、それだからわれわれは開拓に反対するのだ、ということだった。驚いた話ではあるが、私には思い当るふしがあった。かつて役場で、北満の白系露人の生活が北国の生活として合理的だと語り、あんなのを二、三戸入れたらよくなるだろうと話したことがある。それを当時の〔下屋敷〕収入役あたりが、向うへ伝えたのであろう。無知のために聞きまちがえたのか、故意にひんまげたのかは未だに知る由もない。
 その夜、山村の家では、味方の気勢がいよいよ挙がり、遠藤が寝てしまってからも、川原などは彼をやっつけるといって意気まいた。

*このブログの人気記事 2022・5・11(9位に極めて珍しいものが入っています)

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「事と次第では私も相手になろう」中野清見

2022-05-10 04:42:58 | コラムと名言

◎「事と次第では私も相手になろう」中野清見

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十六回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては五回目。

 その前に彼は、昨日役場で吏員から公務を妨害されたばかりでなく、自分の親を侮辱されたといっていた。それは前日のことであったが、例の大川原〔正吉〕という書記が、日中酔って役場に来た。遠藤がいるのを見て、「お前は葛巻の遠藤病院の息子ではないか。江刈を在郷(田舎)だと思って、あまり威張るなよ。お前のおやじは、江刈の人間のおかげで食ってるではないか」といったものである。それをこの席で言われ、さすがの大川原もしょげて黙っている。私もこれには困ったが、やむを得ないから、「あなたは葛巻の人なのに、この有名な呑んべえを知らんのか。こいつは酔ったときは誰にでもあんな口をきくが、醒めてしまえば、こんな猫みたいな奴だよ」といってごまかした。
 ところが酒が出ても彼はあまり呑まない。私は彼の気持をほぐそうと思い、冗談をいった。「心配しないで飲んで下さい。今日は大川原もごろつきませんから。」しかし私の意図に反し、彼の返事は意外であった。「私はごろつきは怖くない。腕力なら自信があります」というので、「そんなことを言うもんじゃない。自信があるのはあなただけではないのだ。この席にも大分いるし、かくいう私でも事と次第では相手にもなろう」といい終るや、山村〔繁蔵〕組合長が「俺も自信がある。やるなら相手になってやるぞ」とどなる。それにつづいて木下重助や、その他二、三人がどなりつけたので、酒席は再び妙な空気につつまれた。その後、彼は黙々としていたが、中途で酔って正体ないふりをして寝てしまった。一行のうち、彼だけが孤立し、他の三人は愉快に呑んだ。気の毒になったがやむをえなかった。実のところ、私の父が、死ぬ前に彼の病院に入院し彼の親たちには大分世話にもなっていることを知っていた、しかし今は私事ではない。【以下、次回】

 農地改革をめぐって厳しい対立があった当時の雰囲気がよく描かれている。それにしても、中野清見村長が「ケンカ好き」なのには驚く。

*このブログの人気記事 2022・5・10(9位になぜか「近衛上奏文」)

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「すみませんぐらいで済む問題か」中野清見

2022-05-09 02:47:19 | コラムと名言

◎「すみませんぐらいで済む問題か」中野清見

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十五回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては四回目。

 今度はこの夜の宿のことで、一もめした。遠藤は村木家に頼んであるからといって、三人をひっぱる。われわれはこちらで用意してあるからという。宍戸氏は黙って私と一緒に歩き出した。ふりむいて見たら、もう一人の男も来る。ともあれ二人をつれて農民姐合畏の山村〔繁蔵〕の家にはいった。そうしたらまた一人あとからやって来たので、これでよいと思った。この宿をどちらにするかは重大な問題であることを、私たちは知っていた。それには前例もあったし、地主の家に泊り、夜地主たちにかこまれて御馳走になれば、そっちへ心の傾くのは人情だと思ったのだ。
 しばらくしたら、遠藤がやって来た。思いがけないことだったが、まあおはいり下さいということになった。彼は戸口に立ったまま、いま葛巻まで帰りますという。そんなことをいわないで休むだけでもといったら、はいって来た、まあ堅いことをいわないで、泊ったらどうだと私がいったら、彼は、「そうでなくても散々ひどいことを言われるから、どうしても帰る」といってきかない。そこで、「先刻からあなたは、ひどいことを言われるとくり返しているが、農地改革にたずさわる者は人に悪口いわれるのは当然のことで、気にすることはないではないか。自分など腐るものならとっくに腐るほど悪口いわれているのだ」と慰めるようにいった。ところが彼は、それにしても、あまりにひどいことを言われるとがまん出来ないという。私もそのしつこさにあきれて、少し声を高くし、「一体何をいわれたというのか」とききただした。県の小役人どもに何が出来るか」とまでいわれたとの返事である。「一体誰がいったのだ」「村長さんが言ったそうではないか」ここで私も声も荒らくせざるを得なくなった。「俺が言ったと告げたのは誰だ。それだけのことをいうなら、君も確たる証人をもってのことだろう。そいつを出せ」とつめよった。彼は窮した、早くいえとたたみかけた。彼はすみませんといって膝を立てた。すみませんぐらいで済む問題だと思うのかといったら、また頭を下げたので、それ以上追求するのは止めて、また飲もうということになった。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2022・5・9(8位になぜか瀧川政次郎)

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「ぼやぼやすると承知しないぞ」木下重助

2022-05-08 03:24:23 | コラムと名言

◎「ぼやぼやすると承知しないぞ」木下重助

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十四回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては三回目。

 こんなふうにして、五キロばかり進んで行ったら雨が降り出して来た。それで私たちは、今日はこれで中止し、明日にしないかというと、三名はそうしようという。しかし遠藤はもっとやるという。おかしな奴だと思ったが、それには訳があった。彼は自分の親類である村木家に一行を泊める手筈をしていたのに、われわれは栗山部落にある農民組合長の家に宿泊の準備をしていた。そして今立ち止まっているところは、栗山部落の真後ろであり、村木家はもう一つ先の五日市部落なのだ。彼は、もう一つ先の部落まで行って、五日市小学校に集まり、今日の結果を検討し、皆で相談し合おうという。そうすることに決めて、また歩き出した。途中で、他の二人について歩いた連中に、どんなふうかときいてみた。どっちも大変よさそうだという。
 五日市小学校に着いて、教室に皆集まった。私がついていた男が代表で意見を述べることになった。岩手紫波〈シワ〉地方事務者の宍戸〈シシド〉という者だと自己紹介したのち、「今日見て来た場所はすべて開拓適地である。きけばこの村では農家の平均耕作面積は一町歩の由であるが、こんな寒冷地で、一町や二町ではどうにもなるものではない。貧困の原因はそこにある。自分の考えでは、少なくも五町の耕地は皆もたねばならない」と力強くやり出した。私は自分の代弁をしてもらっているような気がした。味方の連中は互いに顔を見合わせて、会心の笑を浮かべているが、地主の人々は不快の表情で黙している。宍戸の話しが終ったら、遠藤が立った。彼は今こそ地主たちの期待に応えねばならぬのだ。彼は自分が今日の調査団の主任だと前置きして、ここに自分のもっている試案を今読むから、それによって問題を決めようといい、数枚綴じた書類を高くかかげた。そこで私が、「一体それは誰が作った案なのか」ときいた。地主側の或る人だという。そんなものは何の役に立つかというものもあり、それは公文書なのかと聞くものもいた。しまいには木下重助という大男が、「何をおかしなものを振り回して。ぼやぼやすると承知しないぞ」とどなりつけ、一同が、「そうだっ」という。地主たちはみな沈黙していた。遠藤ももはや施こすすべがなくなって、うやむやに解散となった。【以下、次回】

*このブログの人気記事(8位の「変体仮名」は久しぶり)

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「それを見せてくれんか」中野清見

2022-05-07 01:17:59 | コラムと名言

◎「それを見せてくれんか」中野清見

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十三回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては二回目。

 それを見せてくれんかと私が言うと、皆集まってから、その前で発表するといって相手にしない。私はむっとした。この案というのが、前日から前野たちと相談して決めた地主側のものであることは想像ついた。一行は彼のほかに三名で、いずれも私たちには面識のない人々であった。敵なのか味方なのか、全く見当がつかない。私が恐れたことは、地主たちが彼らの側に寄り添って、彼らの意見を吹き込むことだった。そこで味方の連中に五、六名ずつ組んでこの四人の一人一人を囲んで歩き、地主が来て何をいうか監視せよ、と指令した。そして私だけが一人先に進んで行った。皆で相談して決めようと遠藤がいっても、他の三人はどんどん先に進んで行くし、誰も相手になるものがなく、結局彼は一番最後に残り地主たちと一緒について来た。谷を横ぎり、木立をくぐり、藪をわけて、百数十人の人間が村の上手に向って進んで行った。何か異様な経験の真っ只中にあるような感じだった。
 途中から、調査官の一人ずつを囲んで、四つのグループに分かれた形になった。私について歩いた男は、むっつりとして、土壤検定器で土の深さを計ったり、薬品を出して酸度をしらべたりしていた。そして土壌も深いし、酸土も低く、適地に間違いないと言葉少なに語った。この男だけは大丈夫らしいと思った。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2022・5・7(10位に極めて珍しいものが入っています)

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