ここ数年、近隣の公立中学校の定期テストの出題範囲提示が益々丁寧というか、過剰サービスに近いのでは?と思うような中身になっているように思えます。
何年か前までは、確実にもっと「不親切」でした。
ここまで親切であって、「だから良い点を取ってね」とでも言っているかのような範囲提示なのですから、さぞかしみんなもやりやすかろうと思うと、これがそうではない。
このことを思うと、私はいつもある生命保険会社の営業部署の話を思い出します。
その生保の幹部と話の際、彼が言ったのですが、4月から翌年3月までを1年度とし、各営業拠点が一斉に契約獲得合戦をスタートさせるのだそうです。
その場合、年度目標があって、各拠点は一日も早くそれを突破することが求められるのですが、面白いのは、ある年、ぎりぎり3月になって年度目標を達成したとします。
すると、その会社の本社は、その営業拠点に対して、10パーセントくらい上乗せした数字を次の年度目標として指示するのだそうです。
営業拠点とすれば、今年も苦労してやっと目標を達成したのに、今度は更に10パーセント増しの目標を命じられて「やれやれ、またか」と思うのですが、それでも毎年毎年頑張って、やはり年度内にはしっかり目標を達成するのだそうです。
こうしたことが毎年続くので、当の本人たちも「だったら、初めから50パーセント増しの目標を命じられてもどうにかなっていたのかもしれないな」と思うのだそうです。
このことから、私は、人間が持つモチベーションと、それによって発揮される力には計り知れないものが潜んでいるのではないかと思います。
別の言い方をすれば、人間は、他人から与えられた仕事の量を超えてはなかなかそれを出来ない。
そこには、仕事を与えられた人間がいつの間にか自分で自分をはめ込む枠のようなものがあって、それがこれから取り組む仕事の量を規定してしまうのではないでしょうか。
テストの前に親切なまでに与えられる範囲提示は、一歩間違えると、生徒の勉強の枠組みを狭く囲い込んでしまうことにもなるのではないかと思います。