「学習する」或いは「学習しない」という言葉があります。
これは、文字通り、教科の勉強という意味での学習の場合もありますが、それとは別に「経験から何かを得る」或いは「得られない」という意味で用いる場合もあります。
小学生でも中学生でも、少し気の利いた子であれば、早いうちから後者の意味で「学習する」ことを知っています。
たとえば、何かをしたことによって良い結果を得た場合には、次回も同じか、または更に良い結果を得られるように、今回の経験を検証してすぐに準備に入る。
或いは反対に、何かで躓いたり失敗した時に、やはり同じく今回の経験のなかからその原因を探り、次回では同じことの無いように準備する。
こういうことは、多分に生活習慣の範疇のことであると思います。
そういう習慣がまだない場合には、親をはじめ、周囲の大人たちが言葉や態度でこれを教えていくことも必要でしょう。
そして、習慣ということであれば、これが身についていくにつれて、「教科学習という意味での学習」も自ずと向上していくのではないかと思います。