ここ数日、パソコンのキーボードの調子が良くなく、文字の変換に支障がありました。
体の健康と同じで、普段何も異常が無い時は気づかない「当たり前」のことが、いざ一つでも足りなくなるか、或いは欠けた時には、他の全ての正常なものにまで悪影響を及ぼすことがよく分かります。
また、今回がそうだったように、何かの不都合が生じた場合にも、平素の仕事などが詰まっているときには、これまたなかなか簡単に足りないものを補修したり買いに行ったりする余裕が無く、どうしたって不自由なものを不自由なままでだましだまし使うということになりがちです。
これ、全て子供たちの勉強にも言えることだとは思いませんか?
何かひとつ単元が分からない時に、すぐにその場で参考書を開くなり、塾に通っているならそこで質問するなりすれば、その場で解決できるものなのに、実際にはなかなかそれをしようとしない。
そのうち、そういうことがあちこちの科目で発生してしまうと、もうどうでも良くなってしまって、結局は勉強を理解できない、理解できないから嫌いになる、嫌いになるから益々ものを知らなくなるという悪循環に陥ります。
これを自分自身の力で解決できるだけの分別が、すべての子供に備わっているとは、残念ながら言えません。
ですから、これを防ぎ、これに陥らないようにあの手この手を考えてこれを打っていくのは、これはもう親をはじめ、周囲の大人の義務でもあると思います。
何も知らない、知らないことをなんとも思わないし感じもしない、そんな人間に子供を育てたいというなら話は別ですが。