生活習慣と勉強の関係とは

2010-09-09 19:07:18 | 日記
子供たちの勉強姿勢を見ていると、そこには普段の生活態度や習慣が色濃く投影されていると感じることがよくあります。

以前も書いたことがありますが、過度に甘やかされてここまで来た生徒は、おしなべて我慢したり努力したりすることが苦手で、しかも目上の者だけでなく、周囲の人全般との良好な人間関係を築くことが出来ません。それが勉強(の不出来)にもストレートに関係してきます。

これの反対を行かれる子であれば、逆もまた真なりで、すなわち効率の良い勉強をすることができます。べつに、勉強が出来るから良い、出来ないから良くないなどという議論をここでするつもりはありません。でも、屁理屈抜きで「勉強は出来ないよりは出来た方が良い」という素直な考え方が出来るのであれば、正論は正論として受け止めるほうが建設的であると思います。

もう少し「習慣と勉強」について書きます。

集中が出来ないからそうなるのでしょうが、出来ない子、出来にくい子は、よく腕をだらんと机の上に伸ばして、そこに頭をおいた状態で斜めに本を読んだり文字を書いたりします。正しい姿勢から程遠い、こうした姿勢をする子は、勉強に向かうという習慣がないか、極端にその能力が低いことを暗示しています。

たかだか1時間くらいの同じ姿勢を保てず、小刻みに席を立ってトイレにいく子も同じです。
すぐわかるつまらない嘘や言い訳をしがちな子も、出された課題を完遂できないか、少なくとも完遂しようという努力の姿勢を持つという点において欠陥があるかもしれません。

メモを取らない、ノートを書かないで、耳で聞いただけの情報で全てを分かろうとする姿勢もよくありません。それで全てが分かるはずがないという事を理解できないのは、きわめて危険な姿です。

こうしたことの全ては、学校の中だけ、学習塾の中だけでどうこう出来る話ではなく、多くは家庭の中で考えていくべき問題ではないかと思います。

いずれにしても、これらの反対の行動を取っていかれるのであれば、それが即ち勉強の仕方を改善することを意味するのだと思います。




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なぜ勉強するの?

2010-09-09 16:30:39 | 日記
以前、ある保護者の方が、どうしても自分から勉強しない子供に窮して、「先生から、なぜ勉強しなくてはいけないかを話してやってください」と言ってこられました。

こういうとき、尤もらしいことを言うのは容易いですし、それでその場をうまく処理するのは何のこともありません。

しかし、ここでそういう締めで済ませることが果たして正しいやり方なのか。
もっと言えば、学習塾の講師や責任者の口からそれを言わせて一件落着(たとえ、その場だけのことであっても)と考えることが正しいといえるのかどうか。

学習塾であれば、勉強の仕方、点数の取り方などを指導するのは当たり前ですが、「なぜ子供は勉強しなくてはいけないの」という、いつの時代にも、どの家庭でもありがちな場面においては、これを短い言葉、或いは大人が考えたもっともらしい理屈でその場を収めることは、最良の方法であるとは思えません。

なぜなら、大げさかもしれませんが、これは子供から大人まで、みんながそれぞれ考えなければならない課題でもあるからで、答えはこれを考える人の数だけあると思うからです。

そして、私はといえば、いぜんはこういう質問や要請を受けたときには、私なりに懸命に考えたそのときそのときに最良の考え方で答えましたが、今はそういうことはせず、言い方は様々ですが、それぞれがそれぞれに答えを見出すような方向に話を持っていくようにしています。

そういうやり方のほうが、長い目で見ても、子供たちの精神への影響という意味では良かったと思えます。




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