先日、近隣の学習塾経営者の集まりに顔を出しました。
通常、こういう集まりでは主に学習塾が向き合う経済的環境と、それへの対処などが話題になるのですが、この日は、他にも雑談形式でいくつかの話題で盛り上がりました。
その中のひとつに、「甘やかし」がありました。子どもの甘やかしが、学習効果にどういう影響を及ぼすかという話ですが、当然の事ながら、これが「良い影響」であるなどという塾長はいません。
むしろ、目に見える甘やかしだけではなく、いわば裏甘やかしとでもいえるような、なかなか目に見向上を阻害しているかが報告されていました。
では、「裏甘やかし」には、どのようなものがあるでしょうか。
1つには、「子どもの意見を尊重する」という、一見ごもっとも、と思われる言葉があります。
本来なら大人が考え、決定し、子どもに指示すればよい類の話を、「子どもの意見を尊重する」という美名の下に、歪んだ方向性をそこに持たせてしまうこと。
これが如何に多いかの事例が報告されていたのですが、それらを発表する塾長の言葉に、他の塾長が「ああ、やっぱりおたくでも」という表情で聞き入っていたのが印象的でした。
勉強(のし方、させ方)に関しては、子どもはこれの当事者ですから、当然彼ら・彼女らの嗜好が入ってきます。
早い話、厳しいところへは行きたくないし、辛い勉強なんか出来ればしたくないというのが本音なのです。そういう考えを根底に潜ませる当事者(中には、これすらオブラートに包んでみせる狡猾な子どももいますが)の意見を尊重することが、果たして正しいやりかたなのかどうかという問題です。
適当にやって、適当なところで満足するならそれでも良いのかもしれませんが、ベストを尽くして臨み、可能な限りの好結果をゲットすることを目指す勉強をするなら、やはり分別ある大人が決定権者であるべき。それが各塾長たちの一致した見解でした。
※横浜市内の各塾長の皆さん。
貴重なお話を聞かせていただき、有難うございました。
●ACSアカデミーはこちら●
通常、こういう集まりでは主に学習塾が向き合う経済的環境と、それへの対処などが話題になるのですが、この日は、他にも雑談形式でいくつかの話題で盛り上がりました。
その中のひとつに、「甘やかし」がありました。子どもの甘やかしが、学習効果にどういう影響を及ぼすかという話ですが、当然の事ながら、これが「良い影響」であるなどという塾長はいません。
むしろ、目に見える甘やかしだけではなく、いわば裏甘やかしとでもいえるような、なかなか目に見向上を阻害しているかが報告されていました。
では、「裏甘やかし」には、どのようなものがあるでしょうか。
1つには、「子どもの意見を尊重する」という、一見ごもっとも、と思われる言葉があります。
本来なら大人が考え、決定し、子どもに指示すればよい類の話を、「子どもの意見を尊重する」という美名の下に、歪んだ方向性をそこに持たせてしまうこと。
これが如何に多いかの事例が報告されていたのですが、それらを発表する塾長の言葉に、他の塾長が「ああ、やっぱりおたくでも」という表情で聞き入っていたのが印象的でした。
勉強(のし方、させ方)に関しては、子どもはこれの当事者ですから、当然彼ら・彼女らの嗜好が入ってきます。
早い話、厳しいところへは行きたくないし、辛い勉強なんか出来ればしたくないというのが本音なのです。そういう考えを根底に潜ませる当事者(中には、これすらオブラートに包んでみせる狡猾な子どももいますが)の意見を尊重することが、果たして正しいやりかたなのかどうかという問題です。
適当にやって、適当なところで満足するならそれでも良いのかもしれませんが、ベストを尽くして臨み、可能な限りの好結果をゲットすることを目指す勉強をするなら、やはり分別ある大人が決定権者であるべき。それが各塾長たちの一致した見解でした。
※横浜市内の各塾長の皆さん。
貴重なお話を聞かせていただき、有難うございました。
●ACSアカデミーはこちら●