私は、職場ではどうも、「アンチ根性論者」と見られているようです。まあ私も最近は、「下見て暮らせ傘の下」の「B層反動オヤジ・ネットウヨクもどき」や、上には言いなりで矛盾を下にツケ回ししながらそれを根性論・精神論で誤魔化そうとする職制層への反発から、職場では意識的に小泉・安倍政治の悪口を散々言ってきたので、バイト仲間からは「多少アカがかった奴」と見られ始めているのかも知れませんw。
少し前に、休憩時間にバイトの同僚と、TV映画「フラガール」を見た感想から始まって、シズちゃんが出る缶コーヒー・ジョージアのCM評に話が及んだ時の事です。渡哲也と一緒に取引先に謝りにいったシズちゃんが、ひたすら謝り倒す渡哲也を腐して、「そないにペコペコする事あらへんやないですか」「さっきも言ってたやないですか、悪いのはコイツやって」と突っ込みを入れる、あのCMです。そのCMに対して「あの場面は痛快だ」と評した私に対して、「そういう仕事の捉え方をする人ばかりではありません、こういう仕事の捉え方をする人もいます」といって私に紹介したのが、その日のすぐ後から放送が始まったTVドラマ「働きマン」でした。
一体どんなドラマなんだろうと思って初回のドラマを見て、逆に笑ってしまいました。「あははははは、ワーカーホリックも何のその、ここまで”純粋に”仕事にのめり込む事が出来たら、ある意味ではサラリーマンとして本望なのではないか」と。
このドラマは、安野モヨコ原作の連載漫画をドラマ化したものです。菅野美穂が扮する女性雑誌編集者・松方弘子が、寝食を忘れて仕事に没頭する話なのですが、その様子が余りにも漫画チックなのです。松方が「仕事モードオン、男スイッチ入ります」と言って記事冒頭の写真の様なポーズをとった途端に、テレビ画面一杯に後光が指して、一挙に仕事モードに切り替わるという、男尊女卑の非難も全く意に介さない、余りにも突拍子もない展開には、「何だコイツはまるでサイボーグか」と、思わず笑ってしまった。
そして番組第一作のストーリーはというと、何とそのサイボーグ編集者が、外務大臣の機密費流用疑惑をスクープしちゃうんです。大臣の元愛人でもある第二秘書からの内部告発を受けて、例の仕事モードで記事をアップ。その間は食事も編集部で仕事の合間に海苔巻きかじりながら、で。しかし、その後にどんでん返しがあって、第一作は終了。
私は、こういう仕事の在り方については、別に否定はしません。単に自分や自分の家族や会社の為なんかではなく、社会の不正を暴くという、非常に意義のある事に邁進しているのだから。人を騙したり搾取したり、誰かの不幸と引き換えに自分たちの利益を享受する(そうせざるを得ない)仕事スタイルが跋扈する中で、むしろ幸福なケースだと言えなくもない。それに対して、「仕事より自分の人生が大事」という、速水もこみち扮する新人編集部員・田中の「アンチ根性論」的な考え方も、それはそれで理にかなっているとは思いますが、それだけでは割り切れない場合も、世の中には確かにあります。
しかし、この考え方には一つの落とし穴があるのです。如何に社会の不正義に怒り民主社会を夢見て始まった事業や運動にしても、そこから生まれるのは決してガンジー・ネール・ホーチミンやチェ・ゲバラばかりではないという事です。金正日やポルポトもそこから同じ様に生まれてきたのです。そう言えば、かつて私が在籍していた某生協でも、この手の精神主義が堂々とまかり通っていました。やり手の部長が、「仕事は愛である」なんて、まるで大昔のこうもり傘のテレビCMみたいな事を盛んに言い始めて、それが一世を風靡した事がありました。「仕事が出来なかったりミスをするのは、愛情が足りないからである」という訳です。今から考えれば何の事は無い、戦前日本の神風・特攻思想や北朝鮮のチュチェ思想そのものじゃないか。
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」という言葉がありますが、これは両方が機能して初めて成り立つのです。「一人は皆の為に」ばかりが強調され、「皆は一人の為」の「一人」も個人一人一人ではなく特定の指導者を意味するようになっては、後に出来るのはナチス・ドイツや戦前日本や今の北朝鮮の様な世の中になってしまいます。そうではなくて、「個人一人一人」の尊重が先にあって初めて、「一人は皆の為に」という公徳心や団結や連帯の感情も生まれるのです。つまり、「どんなに意義のあるように見える仕事でも、それが個人の幸福をもたらさないものであるならば、それはニセモノでしかない」もっと平たく言えば「死んでもしなければならない仕事などは無い」という事です。その事に気付くかどうかが、その後に来るのが「ホーチミン」社会か「ポルポト」社会かの、分かれ道なのです。
実際、こんな松方弘子みたいな働き方は、若い時の一時期だからこそ出来るのです。いつまでもこんな働き方をしていたら、やがて身も心もズタズタになって、うつ病かガンか過労死で死んでしまいます。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」もあくまで「個人の尊重と幸福が大前提」、「死んでもしなければならない仕事などは無い」。
だから私はあくまで「アンチ根性論」。但しそれは、社会貢献や社会変革・革命の意義は大いに認めた上で、あくまでもその変質・暴走に警鐘を鳴らす、というものです。従って、自民党政治や格差社会の容認・肯定の上に立った「長いものには巻かれろ」式の「ネットウヨクのニヒリズム」とは全く違いますので、その点はくれぐれも誤解無き様に。
・「働きマン」公式サイト
「仕事モードオン、男スイッチ入ります」。記事冒頭の写真は、このドラマが「週刊朝日」で取り上げられた時に、菅野美穂が取ったポーズ。そうして頑張った先が「消費税17%の世の中」では、もう笑うに笑えませんて。
http://www.ntv.co.jp/hatarakiman/
・澤田サンダーと過労死(増山麗奈の革命鍋!)
ここで増山も私と同じ様な事を言っています。「”働きマン”や”ハケンの品格”の中に秘められた”勤労の過剰評価”には気をつけろ」「正義とか常識とかに変に煽られてボロボロになるまで働かされる事のないように」と。
http://renaart.exblog.jp/7230378/
■■追記■■
ほらほら、もう書いている尻から早速、「消費税17%」への地均しの世論操作が。
・社会保障給付87.9兆円=05年度、過去最高を更新-厚労省(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071026-00000249-jij-pol
・望むのは北欧型の「高福祉、高負担」(ヤフー・クリックリサーチ)
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=1236&wv=1&typeFlag=1
予算全体に占める社会保障給付の割合は、独仏が3割台、英米が2割台、日本は僅か1割台。そして欧州の消費税は贅沢品課税が中心で必要生活費は非課税。そもそも、国の財政破綻を招いた国債大量増発・大型公共事業乱発・軍事費増・大企業減税を繰り返してきたのは、一体どこの党の政権か。そんな事などオクビにも出さずに、伸び率抑制にも関わらずに高齢者の自然増で社会保障給付割合が少し上昇したのをこれ幸いと、もう早速。
この”働きマン”や”ハケンの品格”のTVドラマにも、番組スポンサーでもある財界筋や、その意を受けた政府筋からのメッセージが、其処かしこに見え隠れ。「人生をエンジョイしたければ馬車馬の様に働け」「速水もこみちの様に、それを拒否するなら別にそれでも良いけれど、その代わりにワーキングプアやネカフェ難民の境遇にも甘んじる事になっても知らないよ」と。これは多分ホワイトカラー・エグゼンプションへの地均しでしょう。どちらもゴメンです。「我々には誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と、憲法25条にちゃんと書いてあるのですから。
少し前に、休憩時間にバイトの同僚と、TV映画「フラガール」を見た感想から始まって、シズちゃんが出る缶コーヒー・ジョージアのCM評に話が及んだ時の事です。渡哲也と一緒に取引先に謝りにいったシズちゃんが、ひたすら謝り倒す渡哲也を腐して、「そないにペコペコする事あらへんやないですか」「さっきも言ってたやないですか、悪いのはコイツやって」と突っ込みを入れる、あのCMです。そのCMに対して「あの場面は痛快だ」と評した私に対して、「そういう仕事の捉え方をする人ばかりではありません、こういう仕事の捉え方をする人もいます」といって私に紹介したのが、その日のすぐ後から放送が始まったTVドラマ「働きマン」でした。
一体どんなドラマなんだろうと思って初回のドラマを見て、逆に笑ってしまいました。「あははははは、ワーカーホリックも何のその、ここまで”純粋に”仕事にのめり込む事が出来たら、ある意味ではサラリーマンとして本望なのではないか」と。
このドラマは、安野モヨコ原作の連載漫画をドラマ化したものです。菅野美穂が扮する女性雑誌編集者・松方弘子が、寝食を忘れて仕事に没頭する話なのですが、その様子が余りにも漫画チックなのです。松方が「仕事モードオン、男スイッチ入ります」と言って記事冒頭の写真の様なポーズをとった途端に、テレビ画面一杯に後光が指して、一挙に仕事モードに切り替わるという、男尊女卑の非難も全く意に介さない、余りにも突拍子もない展開には、「何だコイツはまるでサイボーグか」と、思わず笑ってしまった。
そして番組第一作のストーリーはというと、何とそのサイボーグ編集者が、外務大臣の機密費流用疑惑をスクープしちゃうんです。大臣の元愛人でもある第二秘書からの内部告発を受けて、例の仕事モードで記事をアップ。その間は食事も編集部で仕事の合間に海苔巻きかじりながら、で。しかし、その後にどんでん返しがあって、第一作は終了。
私は、こういう仕事の在り方については、別に否定はしません。単に自分や自分の家族や会社の為なんかではなく、社会の不正を暴くという、非常に意義のある事に邁進しているのだから。人を騙したり搾取したり、誰かの不幸と引き換えに自分たちの利益を享受する(そうせざるを得ない)仕事スタイルが跋扈する中で、むしろ幸福なケースだと言えなくもない。それに対して、「仕事より自分の人生が大事」という、速水もこみち扮する新人編集部員・田中の「アンチ根性論」的な考え方も、それはそれで理にかなっているとは思いますが、それだけでは割り切れない場合も、世の中には確かにあります。
しかし、この考え方には一つの落とし穴があるのです。如何に社会の不正義に怒り民主社会を夢見て始まった事業や運動にしても、そこから生まれるのは決してガンジー・ネール・ホーチミンやチェ・ゲバラばかりではないという事です。金正日やポルポトもそこから同じ様に生まれてきたのです。そう言えば、かつて私が在籍していた某生協でも、この手の精神主義が堂々とまかり通っていました。やり手の部長が、「仕事は愛である」なんて、まるで大昔のこうもり傘のテレビCMみたいな事を盛んに言い始めて、それが一世を風靡した事がありました。「仕事が出来なかったりミスをするのは、愛情が足りないからである」という訳です。今から考えれば何の事は無い、戦前日本の神風・特攻思想や北朝鮮のチュチェ思想そのものじゃないか。
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」という言葉がありますが、これは両方が機能して初めて成り立つのです。「一人は皆の為に」ばかりが強調され、「皆は一人の為」の「一人」も個人一人一人ではなく特定の指導者を意味するようになっては、後に出来るのはナチス・ドイツや戦前日本や今の北朝鮮の様な世の中になってしまいます。そうではなくて、「個人一人一人」の尊重が先にあって初めて、「一人は皆の為に」という公徳心や団結や連帯の感情も生まれるのです。つまり、「どんなに意義のあるように見える仕事でも、それが個人の幸福をもたらさないものであるならば、それはニセモノでしかない」もっと平たく言えば「死んでもしなければならない仕事などは無い」という事です。その事に気付くかどうかが、その後に来るのが「ホーチミン」社会か「ポルポト」社会かの、分かれ道なのです。
実際、こんな松方弘子みたいな働き方は、若い時の一時期だからこそ出来るのです。いつまでもこんな働き方をしていたら、やがて身も心もズタズタになって、うつ病かガンか過労死で死んでしまいます。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」もあくまで「個人の尊重と幸福が大前提」、「死んでもしなければならない仕事などは無い」。
だから私はあくまで「アンチ根性論」。但しそれは、社会貢献や社会変革・革命の意義は大いに認めた上で、あくまでもその変質・暴走に警鐘を鳴らす、というものです。従って、自民党政治や格差社会の容認・肯定の上に立った「長いものには巻かれろ」式の「ネットウヨクのニヒリズム」とは全く違いますので、その点はくれぐれも誤解無き様に。
・「働きマン」公式サイト
「仕事モードオン、男スイッチ入ります」。記事冒頭の写真は、このドラマが「週刊朝日」で取り上げられた時に、菅野美穂が取ったポーズ。そうして頑張った先が「消費税17%の世の中」では、もう笑うに笑えませんて。
http://www.ntv.co.jp/hatarakiman/
・澤田サンダーと過労死(増山麗奈の革命鍋!)
ここで増山も私と同じ様な事を言っています。「”働きマン”や”ハケンの品格”の中に秘められた”勤労の過剰評価”には気をつけろ」「正義とか常識とかに変に煽られてボロボロになるまで働かされる事のないように」と。
http://renaart.exblog.jp/7230378/
■■追記■■
ほらほら、もう書いている尻から早速、「消費税17%」への地均しの世論操作が。
・社会保障給付87.9兆円=05年度、過去最高を更新-厚労省(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071026-00000249-jij-pol
・望むのは北欧型の「高福祉、高負担」(ヤフー・クリックリサーチ)
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=1236&wv=1&typeFlag=1
予算全体に占める社会保障給付の割合は、独仏が3割台、英米が2割台、日本は僅か1割台。そして欧州の消費税は贅沢品課税が中心で必要生活費は非課税。そもそも、国の財政破綻を招いた国債大量増発・大型公共事業乱発・軍事費増・大企業減税を繰り返してきたのは、一体どこの党の政権か。そんな事などオクビにも出さずに、伸び率抑制にも関わらずに高齢者の自然増で社会保障給付割合が少し上昇したのをこれ幸いと、もう早速。
この”働きマン”や”ハケンの品格”のTVドラマにも、番組スポンサーでもある財界筋や、その意を受けた政府筋からのメッセージが、其処かしこに見え隠れ。「人生をエンジョイしたければ馬車馬の様に働け」「速水もこみちの様に、それを拒否するなら別にそれでも良いけれど、その代わりにワーキングプアやネカフェ難民の境遇にも甘んじる事になっても知らないよ」と。これは多分ホワイトカラー・エグゼンプションへの地均しでしょう。どちらもゴメンです。「我々には誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と、憲法25条にちゃんと書いてあるのですから。