アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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これは現代に生きる我々の問題でもある

2008年04月06日 21時16分59秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
 前号エントリーの続きです。
 あれから、大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」(岩波新書)を買って読みました。その前に予め断っておきますが、この本は、単に集団自決についてのみ書かれたものではありません。60年代末から70年代初頭にかけての沖縄復帰直前の時期に、沖縄と日本との関係を、著者の視点で捉え直したルポルタージュです。
 そこには、復帰直前の国政選挙への初参加の日程が与党自民党の党内事情優先で決定された事や、革新勢力の中にも、例えば「本土の沖縄化に反対する」という当時のスローガンの中に、沖縄を異端視し差別する思想が根深く潜んでいる事、命懸けで米軍の銃剣支配と対峙している全軍労のストライキを「基地労働者と基地周辺飲食業者との対立」としか捉える事が出来ない本土マスコミの無理解などが書かれています。その様な、沖縄と(大江や私も含めた)本土との住民の間に横たわる溝の一例として、くだんの集団自決の話が登場するのです。

(引用開始)
 このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいっても米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が肉体の奥深いところを、息もつまるような力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この守備隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい》と語っていたという記事を思い出す時である。(同著208ページ)
(引用終了)http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/697.html

 その守備隊長というのは、差し詰め「海軍よもやま物語」の様な感覚で、かつての戦地を訪れたのではないでしょうか。その表現が言い過ぎであるならば、硫黄島やサイパンの墓参訪問団と言い換えても良いです。いずれにしても、そこにあるのは「自分たちはよく頑張った、住民もよく協力してくれた」という思いが殆どで、実際にそこの住民がどんな思いで死んで(殺されて)いったのかという事は、二の次三の次でしかありません。だから、1970年春に「もうおりがきた=ほとぼりが冷めた」と判断し、のうのうと戦地を訪れようとしたこの守備隊長は、那覇空港で現地の青年たちによる予想外の抗議の声に直面し、埠頭ではフェリーへの乗船を拒否され、星条旗をつけた米国の民間船でこそこそ来訪を済ますしかなかったのでしょう。

 但し、その一方で、渡嘉敷島の集団自決跡に立つ慰霊碑には、下記の記述がある事もまた事実です。この慰霊碑の碑文を書いたのは靖国擁護派の作家・曽野綾子ですが、その記述をも一面の事実として受け入れざるを得なかった島民には、私たちには想像もつかないような内心忸怩たる思いがあるに違いありません。

(引用開始)
 3月27日、豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、恩納河原ほか数ヶ所に集結したが、翌28日、敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった。この日の前後に394人の島民の命が失われた。(渡嘉敷村のHPより)
(引用終了)http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/pdf/jiketsu05.pdf

 実際、明治以来の沖縄においては、本土への同化政策や皇民化教育は熾烈を極めました。例えば、学校内では方言の使用が一切禁じられ、違反した生徒には「方言札」というものを首からぶら下げさせて見せしめにする様な事まで行われました。その結果、沖縄県民は、差別から逃れるためにも、自ら進んで同化政策を受け入れざるを得ない心理状況に追い詰められたという一面があります。それに島の共同体の一員としての同調圧力や戦争による集団パニックが加わって、慰霊碑の碑文にもある様に「自らの手で自決する道を選んだ」のでしょう。

 集団自決を拒否して逃げおおせた島民も少なくなかった一方で、自決してしまった島民も少なくなかったのは、確かに事実でしょう。しかしその上っ面だけを見て、普段は誰憚る事なく方言を使う一方で、公式の場では標準語の使用を強制され自らも積極的に喋れる様になろうと努力した(させられた)島民の、その強いられた部分だけを殊更強調し、また美徳であるかのように言いなすのは、大きな間違いです。少なくとも、実際は靖国派(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会)が喧伝するような、こんな下記の様な奇麗事では一切なかった筈だ。

(引用開始)
 慶良間での集団自決は、「家族での(無理)心中」と受け止めるのが、最も自然にも思われるのであり、そのような言葉で表現したときに、なおいっそう、同胞に起きた「極めて日本人的な悲劇」として我々も了解でき、悲惨ではありながらも強いメッセージを残す民族的史実として、この事件を心と歴史に刻みつけることが可能になると思われるのである。(沖縄集団自決冤罪訴訟最終準備書面より)
(引用終了)http://osj.jugem.jp/?eid=25

 しかし、一体全体、「極めて日本人的な悲劇」とか「悲惨ではありながらも強いメッセージを残す民族的史実」とか、そんな奇麗事で片付けられる事だったのでしょうか。現代の自分たちの周囲に実際にある、より具体的な事例に置き換えてみると、その出鱈目さがはっきりします。
 例えば昨今、サラリーマンの過労死自殺が問題になっていますが、若し自分がその自殺した夫の妻や子供であった場合に、こんな勝手な理屈で片付けられたとしたら、どうでしょう。確かに、経営者が「自殺しろ」と命令した訳ではありません。そういう事を平気で口にする経営者も少なくないですが、そういう経営者もそれを文書に残すようなヘマはしないでしょう。但し、それで追い詰められて亡くなっても、直接の死因はあくまで自殺や心筋梗塞・脳溢血であり、経営者が「死ね」と命令した訳ではない。
 また、実際にはそんな職場など自分の方から見限って辞めるなり、憲法・法律・権利を武器にしぶとく抵抗するという選択肢もあるのに、そうせずに自殺する道を選んだとします。それらの自殺や職業病による死亡が、実際には経営者によるパワー・ハラスメントや長時間労働、グローバル資本の搾取、政府の新自由主義経済政策に因るものである事は、はっきりしています。しかし、これらも靖国派の論理では「会社という閉鎖的な共同体社会の中で同化政策に飼いならされた末の集団パニック」として、「自己責任」の一語で以って片付けられるのでしょう。それどころか「会社に忠誠を尽くした証」にもされかねません。しかしそれでは、自殺した当人や残された遺族や従業員は堪ったものではありません。

 先日の大江氏側勝訴の大阪地裁判決も、そういう至極当然の論理に立ったものに過ぎません。それに異を唱える靖国派の連中は、<過労死を告発する労働者に対して「誰が自殺しろと言った」と居直る経営者>と同じです。これらの人たちは、ニコンやそれと結託した派遣会社によって殺された上段勇二さんや、トヨタによって殺された内田健一さんの遺族に対しても、果たして同じ様な言葉が吐けるのでしょうか。
 誰が好き好んで本心から「死にたい」なぞと言うものか。「愛する家族を守るために」と遺書に書き残して死んでいった特攻隊員も、そう無理やり自分に言い聞かせて死んでいったに過ぎない。本当はみんな少しでも生きたかったのだよ。それは、戦時中の沖縄・広島・長崎・南京・フィリピン・アウシュビッツでも、現代のアフガン・イラク・パレスチナ・北朝鮮でも、また日本の過労死・パワハラ横行職場でも、何処の誰でもみんな同じです。
 そういう人間としての本当の思いを、さも重箱の隅をつつく様な感じで悉く否定した末に、集団自決軍命削除の教科書検定意見に対する全県的な抗議の声も踏みにじって、「君の為にこそ死にに行く」だの「強いメッセージを残す民族的史実」だのと言い募って美化する事の方が、よっぽど死者に対する冒涜です。またそれは今生きている私たちに対する冒涜でもあります。

 この裁判は、単なる過去の戦争責任の所在を巡るだけで終わるものでもなければ、沖縄と本土との関係だけに留まるものでもありません。現代に生きる私たちにも、直接身に降りかかってくる問題でもあると考えます。靖国派の言う「日本人的な悲劇」だの「民族的史実」とかいう美辞麗句の裏に隠された真の狙い(国家・資本の為には死をも厭わぬ人間の育成)を見抜けなければ、今度は現代の私たちが、かつての沖縄県民と同じ悲劇を、また同じ様に味わう事になるのです。

(関連資料)
・15年戦争資料 @wiki 抜粋「沖縄ノート」
 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/694.html
・大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会
 http://okinawasen.web5.jp/
・沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
 http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
・沖縄戦での住民集団死・集団自決と捕虜処刑(鳥飼行博研究室)
 http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html
コメント (3)
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