敢えて身内の恥を晒します。また、一気に思いのたけをぶちまけたので、不穏当な文章表現になった事についても十分承知しています。それを踏まえた上で、どうか意見・助言等があれば聞かせて下さい。
前にもこのブログで書いた事があるが、私には小泉・橋下信者の兄貴がおり、私とは悉く政治的意見が対立する。既に結婚・独立開業して同じ屋根の下にはいないので、普段は会話を交わす事もないが、今でも何かの折に会うたびに、議論をふっかけて来られるので辟易している。
昔は反自民で辻元清美を支持し、私ともそんなに意見が対立する事もなかったのだが、小泉政権が登場した頃から次第におかしくなっていった。郵政民営化や構造改革を熱烈支持するようになると同時に、当時のネトウヨ(ネット右翼)台頭や北朝鮮・拉致問題の影響もあって、ブッシュの「テロとの戦い」も支持するようになっていた。とはいえ必ずしも右翼という訳ではなく、今でも日の丸・君が代には否定的である。しかし、銀行員から脱サラして自営業(ビデオ屋)に転身した経歴もあってか、それ以上に新自由主義的な市場原理主義、弱肉強食肯定・競争至上主義的な立場からの意見を吐く事が多くなった。
その傾向は、当初は好調だったビデオ屋経営がインターネット普及のあおりで次第に行き詰まり閉店し無職となって以降、更に酷くなった。部分的にはブッシュからオバマ支持、小泉自民党から民主党支持へと政治的立場を変転させながらも、根幹にある新自由主義的な価値観・発想は、豪も変わらなかった。しかも態度が自己中心的で、いつも自分から議論をふっかけておきながら、自分とは異なる意見は一切受け付けない。「こういう意見もある」「こういう本もある」と説明しても「興味がない」「読む暇がない」と聞く耳を持たず、果ては「そんな些末な議論を今頃していてもしょうがない」と一方的に決めつけ、自分の意見だけを一方的にゴリ押しして来る。もうここまで来たらネトウヨそのものだ。
普通は、そんな場合は適当にその場の空気を読んで、兄弟なら猶更互いに気まずい思いをしないように遠慮するものだ。ところが兄の場合はそういう配慮も一切ない。これでは議論にならないので私は無視したいのに、常に兄のほうから挑発してくる。そこまでされたら、こちらも心ならずも応戦せざるを得ない。
そんな中で、先日親戚からの米のおすそ分けを兄貴宅に持って行った折に、大阪ダブル選挙の事もあったので、いつも挑発されてばかりなのも癪なので、私から「橋下の日の丸・君が代強制について一体どう思っているのか」カマをかけてみた。すると「それについては俺も賛成できない」と言いながら、案の定すぐに他の争点に切り替えて橋下の事を熱烈に弁護しだした。
最初は大阪都構想の話題から入り、やがて「二重行政」の弊害として「公務員や議員の数が多過ぎる」事を問題にし始めた。それに対して「やみくもに議員を減らしても住民の声が届かなくなり金権選挙や世襲議員がはびこるだけだ」と反論すると、また色々言ってきた。
まず言ってきたのが「今頃そんな事を言っていてもしょうがない」。「今の議員は私利私欲の徒ばかり、こいつらをまず何とかしなければならない」「その為には選挙制度をいじくるよりも議員定数を減らすほうが早い」と。
しかし、「しょうがない」どころか、それが一番大事な話だろう。問題は議員の数ではなく質にあるのだから。幾ら議員の数を減らしても私利私欲の徒ばかりでは、かえって密室での談合政治を強めるだけだ。庶民の為に動いてくれるなら、寧ろ数は多いほうが良い。そのためにこそ、有権者の意見が反映されるような選挙制度にしなければならない筈だ。
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/07/02132208/
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1651
その挙句に、「議会もなくして有権者が全部パソコンや携帯でネット投票できるようにすれば良い」とまで言い出す始末。しかし、今でもマンションでのビラ配布で逮捕されたり、企業ぐるみ選挙や「やらせタウンミーティング」「やらせメール」が横行する中で、幾ら投票用紙を電子投票に変えても、票の数え直しができなくなって不正の立証が難しくなるだけじゃないか。
そして公務員や議員と並ぶ既得権益受益者の例として、生活保護受給者を貶める発言を始めた。「庶民が安い給料や年金で苦労しているのに、働かずに税金で食っている奴らがいるからだ」と。実際には受給資格者の2割しか受給できていない生活保護制度の不備や、そもそも戦後最大の200万人超まで受給者が膨れ上がる原因となった、構造改革やリーマン・ショックなどの経済失政や投機に走った経営者の責任こそまず問題にすべきなのに。それを私が指摘し、生活保護激増の背景には財界のリストラ経営がある事は兄貴も認識しておきながら、グローバリゼーションや産業空洞化は時代の趨勢で抗う事が出来ない運命だと、政治が引き起こした人災をまるで天災みたいに言う始末。
その根本的な原因を不問にしたまま、やれ「生活保護をくれてやってもパチンコでスッてしまったり、貧困ビジネスのカモにされるだけだから、現金ではなく食糧などの現物支給に切り替えろ」とまで言い出す始末。
しかし、生活保護受給者も人の子なのだから、たまにはパチンコしたい事もあるだろう。私がたまには競馬をする事があるのと同様に。兄貴自身もパチンコ屋によく行くくせに、生活保護受給者だけ我慢しろというのもどうか。それでは煙草すら吸えなくなる。食糧などの現物支給の話にしても、まるでエサさえ与えておけばそれで良いみたいにしか聞こえない。
勿論、受給者がアルコール・ニコチン・ギャンブル依存症になり、貧困ビジネスの餌食にされるような事は避けねばならない。しかし、その為には、生活保護の仕組みそのものから見直さなければならない筈だ。震災義捐金すら収入に認定され受給額を減らされるような「飼い殺し」の現状では、酒に走りギャンブルで収入補填したくもなるだろう。ある程度貯金も出来るようにしてこそ、初めて経済的自立も可能となる。
また、リストラされても直ぐには生活保護に至らないような、中間のセーフティネットが不十分で機能していない問題もある。例えば、自治体による家賃補助施策の適用・充実や、安価な公営住宅や雇用促進住宅の建設促進だけでも、大分様相が違ってくる筈だ。
それ以前の問題として、この兄の議論には、そもそも「福祉はお恵みではなく人権だ」という観点が全然ない。受給者を人間扱いしていない。だから、動物にエサを与えるような捉え方しか出来ないのだ。
これは何も兄貴だけの問題ではない。大阪ダブル選挙の争点の一つにもなった生活保護有期化の問題にしても、リストラや賃金下落に歯止めをかけずに、まともに食っていける仕事も用意せずに、受給者に就労訓練だけ強制して、期限が来れば問答無用に保護打ち切りでは、何の問題の解決にもならない。数字上の受給者数だけ減らしても、実際はホームレスの数を増やすだけにしかならないのは、米国の例からも明らかだ。
ところが、そういうように理詰めで説明しても、兄貴は全然受け付けない。一方的に「そんなどうでもよい議論を今頃言っても無駄だ」と決めつけるだけで、何故それが「どうでも良くて無駄なのか」という説明が全然ない。そして自分の思い込みによる持論というかマスコミ報道の受け売りでしかないものを、一方的に押し付けてくるだけで、異なる意見には耳を貸そうともしない。
また、何故そんな現象が生まれてきたのか、その背景なり根本原因を探ろうともせず、その議員の質の低下や生活保護受給者増加を嘆くばかりで、兎に角「表面上無くしてしまえばそれで好し」とする発想に憑りつかれている。実際には生活保護受給者がホームレスに姿を変えただけで、自分もいつ何時そうなるかも分からないのに。議員の数だけ減らしても質が変わらなければ、金権政治や政治の私物化が更に酷くなるだけなのに。自分を安心させる為に「見てくれ」だけを追い求める。正に「ジコチュー」の極みであり、単なる「臭いものに蓋」の発想でしかない。
そして、有権者の一人としてその不正を糺そうとはせず、小泉なり橋下なり、ひたすら有力者の力に縋ろうとする。自分はその有力者の陰に隠れて、有力者の威光を盾に、傍観者・観客(ギャラリー)として叩きやすい敵を叩いて溜飲を下げたいだけ。決して財界・大資本の搾取や超大国アメリカの横暴は批判しない。何故なら、それは時流に逆らう事になり、自分の主体性や意志、本気度が試される事になるからだ。自分も観客では済まなくなるからだ。だから、時流に乗っかり、より叩きやすい公務員や中国・北朝鮮、誰でも叩ける社会的弱者だけを叩いて、自分の鬱憤を晴らそうとするのだ。朝日新聞や左翼、在日朝鮮人の批判はしても、産経新聞や「2ちゃんねる」「嫌韓流」の批判は一切しないのだ。中国や北朝鮮の人権侵害を口にしながら、日本国内の人権問題には甚く冷淡でいられるのだ。実際には、親米・構造改革推進の御用マスコミという点では朝日も産経も変わらず、単に営業戦略で多少の差別化をはかる為に、個別の靖国・原発・外国人参政権問題などで表向きの違いを強調しているだけなのに。
兄の「自民党・民主党批判」についても、今は誰でも叩けるから世論に調子を合わせているだけで、本気で自民党・民主党を批判する気なぞ更々ないと思っている。本気で批判する気なら、政党だけでなく、その根本政策たる新自由主義の格差拡大、競争・利益至上主義、人権無視こそ批判する筈なのに、逆にそれらの政策を擁護している。これでは、批判は単なるポーズだけで、実際は「だらしない=もっと上手くやれ」と言う叱咤激励でしかない。実際、私が「そんな議員を選んだのは一体誰か、有権者にも責任があるのではないか」と、その時々の気分でブッシュや小泉・橋下を支持し、大量破壊兵器の嘘で始めテロを逆に拡散させてしまったイラク戦争や、リストラ・派遣切りで大企業を焼け太りさせただけに終わった構造改革に手を貸した事を反省もしない兄を揶揄すると、「俺も騙されて民主党を支持してしまったんや、だから今度こそ橋下に期待しているんや」と。そうやって兄貴は他力本願で何度でも騙されていたら良いかもしれないが、支持もしてないのにそのとばっちりを受ける私こそよい迷惑だ。
そのくせ、自分は如何にも物知り顔に、ネットユーザーを自認しているから余計に始末が悪い。先の電子投票盲信発言からも明らかなように、ネットを過信しているのだ。幾らネットと言えども、実際に情報を把握・操作しているのはマイクロソフトなどの多国籍企業や電通などの広告代理店なのに、その事には頭が行かない。少なくともアラブの民衆は、情報を支配しているのは支配階級である事は充分認識した上で、その検閲の網を掻い潜る武器としてフェイスブックを活用した。ネットの限界もわきまえた上で、それをジャスミン革命の有効な武器にうまく活用したのだ。政府・共産党・御用組合の統制をはねのけストライキに決起している中国の労働者もそうだ。ところが兄貴ときたら、そのネットの効能と限界にも無頓着で、自分の都合の良い情報しか知ろうとしない。だから、一頃とは違って橋下批判本も多く出てきたのに、それを読もうともしない。橋下がサラ金の顧問弁護士として企業側の代弁者として報酬を得てきた事にも無頓着で、「弁護士だから弱者の味方だ」と能天気に思い込んでいる。正に「あばたもえくぼ」とはこの事だ。
故に、もう兄貴とはこれ以上、政治的な議論をするつもりはない。しても無駄だからだ。しかし、親族である以上、会話もしなければならないし、そのたびにまた議論を仕掛けられるとも限らない。政治的な話以外なら幾らでもしても良いが、こと政治的な話題については一切したくない。いざとなれば、一層この記事をそのままコピーして兄貴に読ませてやろうかと思っているが、他にもっと穏便な形で、兄貴を黙らせて政治的な議論などしなくても良い方法が何かないものか。
※兄貴のビデオ屋が営業していた頃の店内を写したもので、ブログにアップ可能な唯一の現存写真を追記。写真の雌猫は、開店当初に迷い込んできてそのまま約10年間居着き、閉店後暫くして亡くなった「店猫」のチョンマ。交通事故の影響からか顎の骨が一部欠けてはいるが、左右確認してから道路を渡る賢い猫だった。
前にもこのブログで書いた事があるが、私には小泉・橋下信者の兄貴がおり、私とは悉く政治的意見が対立する。既に結婚・独立開業して同じ屋根の下にはいないので、普段は会話を交わす事もないが、今でも何かの折に会うたびに、議論をふっかけて来られるので辟易している。
昔は反自民で辻元清美を支持し、私ともそんなに意見が対立する事もなかったのだが、小泉政権が登場した頃から次第におかしくなっていった。郵政民営化や構造改革を熱烈支持するようになると同時に、当時のネトウヨ(ネット右翼)台頭や北朝鮮・拉致問題の影響もあって、ブッシュの「テロとの戦い」も支持するようになっていた。とはいえ必ずしも右翼という訳ではなく、今でも日の丸・君が代には否定的である。しかし、銀行員から脱サラして自営業(ビデオ屋)に転身した経歴もあってか、それ以上に新自由主義的な市場原理主義、弱肉強食肯定・競争至上主義的な立場からの意見を吐く事が多くなった。
その傾向は、当初は好調だったビデオ屋経営がインターネット普及のあおりで次第に行き詰まり閉店し無職となって以降、更に酷くなった。部分的にはブッシュからオバマ支持、小泉自民党から民主党支持へと政治的立場を変転させながらも、根幹にある新自由主義的な価値観・発想は、豪も変わらなかった。しかも態度が自己中心的で、いつも自分から議論をふっかけておきながら、自分とは異なる意見は一切受け付けない。「こういう意見もある」「こういう本もある」と説明しても「興味がない」「読む暇がない」と聞く耳を持たず、果ては「そんな些末な議論を今頃していてもしょうがない」と一方的に決めつけ、自分の意見だけを一方的にゴリ押しして来る。もうここまで来たらネトウヨそのものだ。
普通は、そんな場合は適当にその場の空気を読んで、兄弟なら猶更互いに気まずい思いをしないように遠慮するものだ。ところが兄の場合はそういう配慮も一切ない。これでは議論にならないので私は無視したいのに、常に兄のほうから挑発してくる。そこまでされたら、こちらも心ならずも応戦せざるを得ない。
そんな中で、先日親戚からの米のおすそ分けを兄貴宅に持って行った折に、大阪ダブル選挙の事もあったので、いつも挑発されてばかりなのも癪なので、私から「橋下の日の丸・君が代強制について一体どう思っているのか」カマをかけてみた。すると「それについては俺も賛成できない」と言いながら、案の定すぐに他の争点に切り替えて橋下の事を熱烈に弁護しだした。
最初は大阪都構想の話題から入り、やがて「二重行政」の弊害として「公務員や議員の数が多過ぎる」事を問題にし始めた。それに対して「やみくもに議員を減らしても住民の声が届かなくなり金権選挙や世襲議員がはびこるだけだ」と反論すると、また色々言ってきた。
まず言ってきたのが「今頃そんな事を言っていてもしょうがない」。「今の議員は私利私欲の徒ばかり、こいつらをまず何とかしなければならない」「その為には選挙制度をいじくるよりも議員定数を減らすほうが早い」と。
しかし、「しょうがない」どころか、それが一番大事な話だろう。問題は議員の数ではなく質にあるのだから。幾ら議員の数を減らしても私利私欲の徒ばかりでは、かえって密室での談合政治を強めるだけだ。庶民の為に動いてくれるなら、寧ろ数は多いほうが良い。そのためにこそ、有権者の意見が反映されるような選挙制度にしなければならない筈だ。
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/07/02132208/
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1651
その挙句に、「議会もなくして有権者が全部パソコンや携帯でネット投票できるようにすれば良い」とまで言い出す始末。しかし、今でもマンションでのビラ配布で逮捕されたり、企業ぐるみ選挙や「やらせタウンミーティング」「やらせメール」が横行する中で、幾ら投票用紙を電子投票に変えても、票の数え直しができなくなって不正の立証が難しくなるだけじゃないか。
そして公務員や議員と並ぶ既得権益受益者の例として、生活保護受給者を貶める発言を始めた。「庶民が安い給料や年金で苦労しているのに、働かずに税金で食っている奴らがいるからだ」と。実際には受給資格者の2割しか受給できていない生活保護制度の不備や、そもそも戦後最大の200万人超まで受給者が膨れ上がる原因となった、構造改革やリーマン・ショックなどの経済失政や投機に走った経営者の責任こそまず問題にすべきなのに。それを私が指摘し、生活保護激増の背景には財界のリストラ経営がある事は兄貴も認識しておきながら、グローバリゼーションや産業空洞化は時代の趨勢で抗う事が出来ない運命だと、政治が引き起こした人災をまるで天災みたいに言う始末。
その根本的な原因を不問にしたまま、やれ「生活保護をくれてやってもパチンコでスッてしまったり、貧困ビジネスのカモにされるだけだから、現金ではなく食糧などの現物支給に切り替えろ」とまで言い出す始末。
しかし、生活保護受給者も人の子なのだから、たまにはパチンコしたい事もあるだろう。私がたまには競馬をする事があるのと同様に。兄貴自身もパチンコ屋によく行くくせに、生活保護受給者だけ我慢しろというのもどうか。それでは煙草すら吸えなくなる。食糧などの現物支給の話にしても、まるでエサさえ与えておけばそれで良いみたいにしか聞こえない。
勿論、受給者がアルコール・ニコチン・ギャンブル依存症になり、貧困ビジネスの餌食にされるような事は避けねばならない。しかし、その為には、生活保護の仕組みそのものから見直さなければならない筈だ。震災義捐金すら収入に認定され受給額を減らされるような「飼い殺し」の現状では、酒に走りギャンブルで収入補填したくもなるだろう。ある程度貯金も出来るようにしてこそ、初めて経済的自立も可能となる。
また、リストラされても直ぐには生活保護に至らないような、中間のセーフティネットが不十分で機能していない問題もある。例えば、自治体による家賃補助施策の適用・充実や、安価な公営住宅や雇用促進住宅の建設促進だけでも、大分様相が違ってくる筈だ。
それ以前の問題として、この兄の議論には、そもそも「福祉はお恵みではなく人権だ」という観点が全然ない。受給者を人間扱いしていない。だから、動物にエサを与えるような捉え方しか出来ないのだ。
これは何も兄貴だけの問題ではない。大阪ダブル選挙の争点の一つにもなった生活保護有期化の問題にしても、リストラや賃金下落に歯止めをかけずに、まともに食っていける仕事も用意せずに、受給者に就労訓練だけ強制して、期限が来れば問答無用に保護打ち切りでは、何の問題の解決にもならない。数字上の受給者数だけ減らしても、実際はホームレスの数を増やすだけにしかならないのは、米国の例からも明らかだ。
ところが、そういうように理詰めで説明しても、兄貴は全然受け付けない。一方的に「そんなどうでもよい議論を今頃言っても無駄だ」と決めつけるだけで、何故それが「どうでも良くて無駄なのか」という説明が全然ない。そして自分の思い込みによる持論というかマスコミ報道の受け売りでしかないものを、一方的に押し付けてくるだけで、異なる意見には耳を貸そうともしない。
また、何故そんな現象が生まれてきたのか、その背景なり根本原因を探ろうともせず、その議員の質の低下や生活保護受給者増加を嘆くばかりで、兎に角「表面上無くしてしまえばそれで好し」とする発想に憑りつかれている。実際には生活保護受給者がホームレスに姿を変えただけで、自分もいつ何時そうなるかも分からないのに。議員の数だけ減らしても質が変わらなければ、金権政治や政治の私物化が更に酷くなるだけなのに。自分を安心させる為に「見てくれ」だけを追い求める。正に「ジコチュー」の極みであり、単なる「臭いものに蓋」の発想でしかない。
そして、有権者の一人としてその不正を糺そうとはせず、小泉なり橋下なり、ひたすら有力者の力に縋ろうとする。自分はその有力者の陰に隠れて、有力者の威光を盾に、傍観者・観客(ギャラリー)として叩きやすい敵を叩いて溜飲を下げたいだけ。決して財界・大資本の搾取や超大国アメリカの横暴は批判しない。何故なら、それは時流に逆らう事になり、自分の主体性や意志、本気度が試される事になるからだ。自分も観客では済まなくなるからだ。だから、時流に乗っかり、より叩きやすい公務員や中国・北朝鮮、誰でも叩ける社会的弱者だけを叩いて、自分の鬱憤を晴らそうとするのだ。朝日新聞や左翼、在日朝鮮人の批判はしても、産経新聞や「2ちゃんねる」「嫌韓流」の批判は一切しないのだ。中国や北朝鮮の人権侵害を口にしながら、日本国内の人権問題には甚く冷淡でいられるのだ。実際には、親米・構造改革推進の御用マスコミという点では朝日も産経も変わらず、単に営業戦略で多少の差別化をはかる為に、個別の靖国・原発・外国人参政権問題などで表向きの違いを強調しているだけなのに。
兄の「自民党・民主党批判」についても、今は誰でも叩けるから世論に調子を合わせているだけで、本気で自民党・民主党を批判する気なぞ更々ないと思っている。本気で批判する気なら、政党だけでなく、その根本政策たる新自由主義の格差拡大、競争・利益至上主義、人権無視こそ批判する筈なのに、逆にそれらの政策を擁護している。これでは、批判は単なるポーズだけで、実際は「だらしない=もっと上手くやれ」と言う叱咤激励でしかない。実際、私が「そんな議員を選んだのは一体誰か、有権者にも責任があるのではないか」と、その時々の気分でブッシュや小泉・橋下を支持し、大量破壊兵器の嘘で始めテロを逆に拡散させてしまったイラク戦争や、リストラ・派遣切りで大企業を焼け太りさせただけに終わった構造改革に手を貸した事を反省もしない兄を揶揄すると、「俺も騙されて民主党を支持してしまったんや、だから今度こそ橋下に期待しているんや」と。そうやって兄貴は他力本願で何度でも騙されていたら良いかもしれないが、支持もしてないのにそのとばっちりを受ける私こそよい迷惑だ。
そのくせ、自分は如何にも物知り顔に、ネットユーザーを自認しているから余計に始末が悪い。先の電子投票盲信発言からも明らかなように、ネットを過信しているのだ。幾らネットと言えども、実際に情報を把握・操作しているのはマイクロソフトなどの多国籍企業や電通などの広告代理店なのに、その事には頭が行かない。少なくともアラブの民衆は、情報を支配しているのは支配階級である事は充分認識した上で、その検閲の網を掻い潜る武器としてフェイスブックを活用した。ネットの限界もわきまえた上で、それをジャスミン革命の有効な武器にうまく活用したのだ。政府・共産党・御用組合の統制をはねのけストライキに決起している中国の労働者もそうだ。ところが兄貴ときたら、そのネットの効能と限界にも無頓着で、自分の都合の良い情報しか知ろうとしない。だから、一頃とは違って橋下批判本も多く出てきたのに、それを読もうともしない。橋下がサラ金の顧問弁護士として企業側の代弁者として報酬を得てきた事にも無頓着で、「弁護士だから弱者の味方だ」と能天気に思い込んでいる。正に「あばたもえくぼ」とはこの事だ。
故に、もう兄貴とはこれ以上、政治的な議論をするつもりはない。しても無駄だからだ。しかし、親族である以上、会話もしなければならないし、そのたびにまた議論を仕掛けられるとも限らない。政治的な話以外なら幾らでもしても良いが、こと政治的な話題については一切したくない。いざとなれば、一層この記事をそのままコピーして兄貴に読ませてやろうかと思っているが、他にもっと穏便な形で、兄貴を黙らせて政治的な議論などしなくても良い方法が何かないものか。
※兄貴のビデオ屋が営業していた頃の店内を写したもので、ブログにアップ可能な唯一の現存写真を追記。写真の雌猫は、開店当初に迷い込んできてそのまま約10年間居着き、閉店後暫くして亡くなった「店猫」のチョンマ。交通事故の影響からか顎の骨が一部欠けてはいるが、左右確認してから道路を渡る賢い猫だった。