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黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

オーガニックカフェ de バルト三国展

2009年03月05日 23時59分22秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
   

 私の自宅の近所に、とあるオーガニックカフェがあります。その喫茶店は雰囲気が良いので、私も仕事帰りに、偶に立ち寄ったりします。反グローバル資本主義者でフェアトレードにも大賛成の私としては、本当はもっと立ち寄りたいのですが、オーガニックカフェという事もあって、コーヒー代もそんなに安くはありません。だから、「背に腹は変えられない」という事で、普段は1杯180円の安売りコーヒーの店で我慢して、オーガニックカフェには、偶にしか行けません。
 そのオーガニックカフェで、先日、「バルト三国展」が開かれていました。何でも、そこのお店のママさんが、店に置いてある「旅のコラージュ」というバルト三国旅行記に感化されて、自らも休みを取ってご当地に行って来られ、現地の写真を店内に展示していたのです。上記の写真は、その時の店頭の様子と、当該旅行記の表紙です。

 その写真の一部を、下記に紹介しておきます。それぞれ、エストニア・タリン旧市街の赤屋根の家々(左上)、ラトビア・夕陽に染まる聖ペテロ教会(右上)、リトアニア・ヴィリニュス市内で撮った軒下の花々(左下)、同じくヴィリニュス市内の露店で売っていたキノコ(右下)です。

   

   

 私も、もう少し金と暇があれば、海外旅行にも行けるのに。如何にプレカリアートとは言えども、一生の間で一度や二度くらい海外に出ても、罰は当たらないだろう。しかし、今頃此処でそんな事を言っていても始まらないので、代わりにネットで予備知識を仕入れる事にしました。
 参考にしたのは、主に下記のウェブ資料です。それまでも、バルト三国については、(1)北から順にエストニア・ラトビア・リトアニアの、バルト海沿岸の3つの国々を総称した呼び名である事や、(2)いずれの国々も、第一次大戦とロシア革命を機に、ロシアから独立を勝ち取った事、(3)ところが第二次大戦中に、当時のナチス・ドイツとソ連の間の裏取引(モロトフ・リッペンドロップ秘密議定書)によって、有無を言わさずソ連に併合され、ナチス・ドイツにも占領された事、(4)戦後のソ連統治時代にも地下では独立運動が続けられ、ソ連崩壊に至る流れの中で、遂に独立を回復した事、の4つぐらいは、おぼろげながらも知っていましたが、それ以上に詳しい事は殆ど何も知らなかったので、そういう意味では、下記資料は非常に参考になりました。

 それまでの私は、バルト三国については、各国とも、いずれも九州から北海道ぐらいの大きさで、人口もせいぜい北海道程度の、そんな同じ様な三つの小国が集まって、「ミニ北欧」世界を形成している、そういうイメージしかありませんでした。しかし、実際は下記に示す様に、そんな単純なものではありませんでした。

●同じ三国でも三者三様で、とても一括りでは捉えられない。

 まず、南のリトアニアと、北のエストニアとでは、風土がかなり違います。リトアニアは歴史的に、南方のポーランドとの結びつきが強く、一時期は同じ国王を戴いていた事もあった程です。言語も同じ系統に属し、宗教も同じローマ・カトリックが優勢です。それに対してエストニアはと言うと、北方のフィンランドとの結びつきが強く、言語も同じ系統なら、宗教も同じプロテスタントです。その真ん中に位置するラトビアは、中世に当地を支配していたのがドイツ系騎士団という事もあって、ドイツの影響が強い地域です。後に当地を支配する事になったロシアの影響も、北・中部でより強く現れています。

●栄光の中世から、独・露に翻弄された近代を経て、再び独立回復へ

 当該地域は、中世ヨーロッパにおいては、北・中部のエストニアやラトビアでは、ハンザ都市同盟の一員として、港も街も繁栄を極めました。タリンやリガでは、当時の遺構が城壁や教会の塔として今でも残っており、その一部は世界遺産として認められています。また、南部のリトアニアでは、15世紀にはリトアニア大公国が、ポーランドやウクライナにまで版図を広げ、一時期はリトアニアの王がポーランド国王をも兼任した事もありました(同君連合)。
 しかし、やがて新たに勃興してきた周辺のロシア・プロシア(後のドイツ)・オーストリアなどの諸帝国から次第に圧迫を受ける様になり、19世紀にはとうとうロシア帝国に併合されてしまいます。
 その後は、1917年のロシア革命と、第一次大戦後の民族自決の流れの中で、バルト三国は一旦独立を勝ち取ったものの、各国とも不安定な国内政治が続く中で、次第にナチス・ドイツとソ連に翻弄されるようになり、1940年には再びソ連に併合されてしまいます。
 この受難の歴史は戦後も続き、数十万人もの人間が、反ソ分子としてシベリアや中央アジアの流刑地に送られました。その後、80年代に入ると、ゴルバチョフの改革(ぺレストロイカ、グラスノスチ)を機に、再び独立運動が広がる事になり、各地に「サユディス」(運動という意味)や「人民戦線」といった組織が結成されていきます。これらの運動が、やがてゴルバチョフの限界(自治しか認めない)や、保守派の軍事介入を打ち破り、念願の独立を再び達成する事に成功するのです。

●「歌いながらの革命」の原動力となった民族文化

 当該三国とも音楽、特に合唱が盛んで、いつも街中のどこかで市民コンサートが行われています。それもそのはずで、民族独立運動の歴史においては、音楽が決定的役割を果たしているのです。その代表例が、1988年9月にエストニアの首都タリンで開かれた30万人規模の「歌ごえ集会」や、翌89年8月のバルト三国首都を結び200万人が参加しての「人間の鎖」です。これらの試みが、やがて「歌いながらの革命」として、三国全体に独立運動が広がり、ソ連崩壊直前に他地域に先駆けて独立を勝ち取る原動力となって行きました。
 それに加え、先述の旅行記を読んで改めて知ったのが、三国ともに、使用文字が西欧と同じラテン文字であった事です。他の東欧圏では、ロシアの影響もあって、Rが横を向いた様な(Я:ヤー)キリル文字の使用が、未だ一般的であるのとは対照的に。そう言えば、三国の主な宗教も、ローマ・カソリックやプロテスタントという事で、そういう面でも、ギリシャ正教が優位のロシア・東欧よりは、寧ろ西欧に近いものを感じました。

●独立後も引き続く苦難

 これは特に、エストニアとラトビアの二国で顕著に現れています。両国とも、ソ連時代に流入したロシア人が全人口の2割以上を占め、その事が国内政治の不安定要因ともなっているのです。また、忘れてはならないのは、チェルノブイリ原発事故の影響で、当地でも数多くの被爆者が放射能の後遺症に苦しんでいる事です(詳しくは、下記参考資料中の、リベラル21のブログ記事を参照)。
 苦難は独立回復以降も続きます。ソ連時代の反動もあって、バルト三国では、いずれも新自由主義的な考え方が勢いを持つ事になり、各国においても、大幅な経済自由化・民営化・規制緩和が行われました。それで、一時的には「バルトの奇跡」と呼ばれる経済バブルを招きよせたものの、やがて今回の世界恐慌によって、一転して失業増に喘ぐ事になってしまいました。

(参考資料)

・2000 バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)
 http://tombi.web.infoseek.co.jp/balt/balt00.htm
・美しきバルトの国々(ケイセイ社HP)
 http://homepage2.nifty.com/keiseisya/sub29.htm
・バルト三国の情報(高崎第九合唱団HP)
 http://www2.bbweb-arena.com/freude/international/k5/information.htm
・バルトジャーナル
 http://www.cpgbaltics.com/
・バルト三国(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E4%B8%89%E5%9B%BD
・バルト諸国占領(同上)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%8D%A0%E9%A0%98#cite_note-86
・人間の鎖(同上)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E9%8E%96
・志摩園子さん インタビュー(ザ・フェニックスホールHP)
 http://phoenixhall.jp/newslist/3/%E5%BF%97%E6%91%A9%E5%9C%92%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC
・バルト三国の被ばく者たち(リベラル21)
 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-120.html

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