若桜宿の仮屋(かりや:通りに張り出した屋根)と防火用水を兼ねた水路、防火の為に設けられた蔵屋敷の街並み
若桜町は鉄道だけでなく駅前の宿場町もレトロモダンな雰囲気に溢れていました。駅から一つ目の蔵通りにはお寺と蔵が立ち並び、側溝の水路には綺麗な水がサラサラと音を立てて流れていました。この蔵や寺や水路は、いずれも明治時代に3度も立て続けに起こった大火に対する反省から、延焼防止と初期消火の為に設けられたのだそうです。
その一つ向こうの国道沿いには、「仮屋」と呼ばれる庇(ひさし)の付いた家屋が並んでいます。この「仮屋」も、雨や雪の日にも通行人が歩道を通れるように工夫されたものだそうです。これらの当時の町づくりの案は、「宿会議定書」という文書にまとめられています。しかし、そこまで決めて実行に移された案なら、もっと街中にその遺構が残っていても良さそうなのに。今はもう街の片隅にしか残っていない。
昭和おもちゃ館とそこで売られていた駄菓子
若桜民工芸館の外観と内部。奥に向かって細長く伸びる古い町家の佇まいが今もよく残っている。
それが返す返すも残念です。確かに昭和おもちゃ館の駄菓子や若桜民工芸館の土鈴は郷愁を誘います。でも、それだけでは只の懐古趣味で終わってしまいます。折角こんな立派な防火対策を立てたのだから、その街並みをもっと後世に伝えるべきではないかと感じました。
それに、宿場町と言いながら、宿内に一軒の旅館もないのはどうかと思います。旅館がない為に、泊まりがけで来た人は氷ノ山のロッジか、近隣の駅周辺の民宿に泊まるしかありません。たとえ近隣の駅でも、若桜鉄道は1〜2時間に1本しか列車が走っていないので、移動もそう簡単には出来ません。
確かに、現代の生活を送る中で、伝統ある街並みを残すのは大変な苦労がいると思います。でも、それをやり切ってこそ、初めて宿場町や城下町の景観が真に蘇ると思います。若桜鉄道に出来た事が若桜町に出来ないはずはないと、私は思うのですが、如何なものでしょうか。