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同じ富山のLRTなのに何故こうも違うのか?

2019年08月22日 00時20分01秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
 
今回の1泊2日の富山鉄道旅行の中で、前回は青春18きっぷを巡るトラブルについて書きました。今回はそれ以外の旅先での出来事について書きます。まずは旅行初日の万葉線乗車体験記から。

万葉線とは高岡駅前から六渡寺(ろくどうじ)を経て越ノ潟に至る第三セクター鉄道。六渡寺までは併用軌道(路面電車)、そこから先は専用軌道(鉄道)上を走ります。大阪の阪堺電車をイメージしていただければ分かりやすいと思います。全長12.9キロ25駅を路面電車が、日中は15分間隔、夜間は30分間隔のダイヤで結びます。終点まで行くのに約49分かかります。(左上の地図参照)

万葉線は元々は富山駅前と高岡駅前を海沿いに結んでいました。ちょうど真ん中辺りを境に、富山側を富山地方鉄道(富山地鉄)、高岡側を加越能鉄道が運営していました。しかし、実際は富山から高岡まで直通運転で運行していました。大阪で言うと、JRを阪神が補完している感じとよく似ています。

ところが1966年に、富山湾を掘削して富山新港が出来た為に、線路が真ん中で寸断されてしまいます。その為、富山側は富山地鉄射水線、高岡側が加越能鉄道線として別々に運行される様になり、港を県営フェリーで繋ぐ事になりました。これが後々に万葉線の衰退に繋がって行きます。

富山地鉄射水線は乗客減から廃止になります。それに対して、加越能鉄道は港で分断されて以降も、高岡市から新湊市(現・射水市)の工業地帯に通う通勤客や、高岡市内に出る買い物客、通学生の足として機能して来ました。県営フェリーも鉄道ダイヤと連絡する形で、今も運行されています。

ところが、地方の過疎化やモータリゼーション、少子高齢化によって、次第に赤字額が膨らみ、今では毎年1億3千万円ほども赤字を計上する様になってしまいました。営業係数は約130。100円の利益を上げるのに130円経費がかかる勘定になります。

加越能鉄道も廃止の方向で動き始めますが、地元からは通勤・買い物・通学の足を確保して欲しいと要望が出されました。そこで2001年に、富山県・高岡市・新湊市(現・射水市)がそれぞれ3割ずつ出資する形で、万葉線株式会社という名前で、第三セクターとして存続が図られる様になりました。万葉線の名前は、昔、万葉歌人の大友家持が、越中国(今の富山県)の国守として赴任した事から付けられました。
 
 
 
高岡駅前を出た万葉線の路面電車は、市内の大通りを海の方に向かって進んでいきます。線路は単線で、交換駅や所々にある行き違い区間で上下電車がすれ違います。

高岡から出て最初は、両側は商店街で、大阪で言えば阪堺上町線の天王寺付近の様な感じで進みます。しかし、やがて商店も乗客も減り、沿線は阪堺線堺市内区間みたいな様相になって来ます。
 
六渡寺からは専用軌道となり、工場や住宅を掠める様な形で電車は進みます。沿線には射水市の市街地や海王丸パーク、川の駅新湊などの行楽地や集客施設もあるのですが、寂れ感が半端ないです。大阪で言えば、南海汐見橋線を単線にして路面電車を走らせている様な感じです。
 
 

やがて電車は終点の越ノ潟に着きます。目の前には県営フェリーの乗り場があり、ダイヤ接続も為されている様です。ところが、対岸に渡ってもバスの便がないのです。

土日には富山ライトレール終点の岩瀬浜へ行くバスもあるので、富山駅の方に向かう事も出来るのですが、平日には富山行きのバスもほとんど無いようなのです。私がフェリーで対岸に渡ろうとした時も、「もう最終バスも出てしまった」と言う事で、渡るのを諦めざるを得ませんでした。
 
 

しかし、絶景ポイントはむしろ海側に集中しています。高岡駅前付近の商店街を行く路面電車も良いですが、庄川橋梁や海沿いの工業地帯を行く路面電車も、他ではなかなかお目にかかれないシーンで絵になります。私が訪ねた時はあいにく曇り空の夕方だったので、余り綺麗な写真は撮れませんでしたが、晴れた日には立山連峰を背に素晴らしい写真が撮れる事でしょう。
 
次の日は富山ライトレール富山港線、通称ポートラムに乗りました。この後は青春18きっぷの普通電車で大阪に帰らなければならないので、乗るのはポートラムだけにして、市内電車に乗るのは諦めました。(ポートラムの場所は前掲右上の地図参照)

そのポートラム開通までの経緯を、同社の沿線案内ガイド冊子から直接引用します。

〜大正13年(注:1924年)に「富岩鉄道」として開業した富山港線は、その後富山地方鉄道、国鉄、JR西日本へと運営が引き継がれ、沿線の市民生活を支える路線として、多くの人々に利用されてきました。最盛期には、年間500万人もの利用者がありましたが、その後の自動車交通の進展に伴って利用者が激減し、車両や駅舎の老朽化、運転本数の減少などにより、さらに利用者が減少する負のスパイラルに陥っていました。
北陸新幹線富山駅等の整備に合わせて、富山港線の再生を図るため、路面電車化が決定され、2006年日本初の本格的LRT(注:低床式の次世代型路面電車)として生まれ変わりました。〜

落ち目の鉄道が、第三セクター化によって生まれ変わろうとしている点では、昨日の万葉線と同じです。しかし、両者には雲泥の差があります。はっきり言って、このままでは万葉線は再生の失敗例、ポートラムは成功例として、その名を後世に残す様になるでしょう。
 
ポートラムと万葉線の一体どこが違うか?
 
 

まず両者の終点停留所を見比べて下さい。ポートラムの岩瀬浜停留所は小綺麗で、屋根もポートラムの象徴であるマストの形に統一されています。駅前には駐輪場や駐車スペースもあります。駅前からは東行きのフィーダーバスも出ています。(上記写真参照)

それに引き換え、万葉線の越ノ潟停留所は、待合室もホームもボロボロで、水はけが悪いのか線路周りは水溜りだらけ。駐輪場もなく、フェリーはあっても対岸も陸の孤島。場末感、寂寥感が満載です。(前掲の万葉線写真参照)
 
 
 
次に両者の沿線案内パンフレットを見比べて下さい。万葉線のパンフ(左上写真)が地図も一緒で一枚物に収まっているのに比べて、ポートラムの方(右上写真)は冊子になっています。

持ち歩く分には一枚物の方が便利ですが、内容は旧態依然たる名所旧跡巡りに終始しています。

そのくせ、藤子不二雄の出身地として、ドラえもん電車やイメージキャラクターの写真も多用している。内容がもうてんでバラバラ。

それに対し、ポートラムの沿線案内には名所旧跡だけでなく、インスタ映えするカフェや駅周辺のお楽しみスポット、ホテルなどの宿泊情報も一杯載っています。

イメージキャラクターの写真もありますが、そんな物には余り頼らず、沿線情報やサービス案内により力を注いでいるのが分かります。

どちらにより魅力を感じるか?もはや一目瞭然ではないですか。ポートラムのパンフは冊子である分、経費も余計にかかっているでしょうが、それを割り引いても余りある宣伝効果があります。
 
更に細かい事を言うなら、ポートラムは駅名にも工夫を凝らしています。地名だけでなく学校名や施設名(何やら本社前など)も副駅名として併記されているので、一見客も助かります。それに対して万葉線は、学校名や施設名もありますが、それ以上に西新湊、中新湊、東新湊などの類似駅名が非常に多い。旧新湊市にも大字などの地名がある筈です。それで区別するなどの工夫を思いつかなかったのでしょうか?

他にもICカードが使える点や、来年3月には富山駅前で市電と連結すべく工事を進めている事、軌道緑化などの環境への配慮、フィーダーバスと連絡している事なぞ、万葉線にはない利点が一杯あります。

地方ローカル私鉄の衰退には、時代の流れだけでなく国の失政も絡んでいるのは事実です。富山新港の例を筆頭に。富山と高岡の商圏、地域性の差もあるでしょう。それでも同じ富山県の都市部に違いはありません。それで何故こんなに差が出るのか?経営者の姿勢の違いも大きいと感じました。

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