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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

戦争を待望するワーキング・プア

2007年02月23日 01時57分36秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 雑誌「論座」1月号に掲載された赤木智弘氏の論考「『丸山眞男』をひっぱたきたい」の内容が、ブログ界で話題になっていると言う。何でも、自分自身がワーキング・プア(以下、WPと略す)である事をダシにして、「若者WP切り捨ての上に立つ平和なんてウザイ、いっそのこと戦争でも起こってくれた方が自分たちはのし上がれる」なんて言説を、誌上で展開しているらしい。
 そう聞き及び、当該雑誌が手に入らぬまま、氏の主宰する「深夜のシマネコBlog」その他のネット媒体を見ると、やはりそれらしき事が書かれている。何だ結局こいつは、自分自身がWPである事を免罪符に、被害妄想に囚われて、自分より下の弱者を貶めて日頃の鬱憤を晴らしているだけじゃないか。そういう今流行のネットウヨの一種だと思っていた。
 そして今日、その当該論考の原文を初めて入手した。そして読んでみて、もっと根深い問題が提起されている事を知った。以下、当該論考の内容について考えてみた。

 1975年生まれの独身フリーターの赤木は、自らを「ポストバブル世代」と位置付ける。それは、それまでの世代とは違い戦後の経済成長の恩恵に浴する事も無く、寧ろそれら世代が引き起こしたバブルの尻拭いを押付けられた世代だ。そういう赤木にとっては、識者による「格差社会」批判や「戦争」批判も、所詮はバブル以前の世代による既得権益独占にしか他ならない。
 2006年7月に放送されたNHKスペシャルのワーキング・プア特集番組も、赤木にとっては差別の隠蔽でしか無い。番組の中で、妻の葬儀資金に貯めていた僅かな貯金が在るために生活保護が受けれない仕立て職人の話が出てくる。そこで「妻の葬儀も自費でしてはいけないというのでは、もはや人間の尊厳を捨てろという事か」と憤る番組コメンテーターに対して、「ではそんな葬儀資金も貯金できない自分たちにとっては、ハナから人間としての尊厳は無いのか」と憤る。

 同じリストラをされるにしても、中高年の家族持ちは最後まで大目に見られるのに対して、自分たち若者WPは真っ先に犠牲にされる。セーフティネットも中高年の家族持ちに偏重している。「格差社会」批判論者も実際は「中高年の救済まず先に在りき」で、若者WPやニートの問題は後回しにしている。
 こんな中では、「反リストラ」をいう左翼こそが自分たちの敵であり、寧ろ「リストラ」や「右傾化・戦争」を唱える右翼こそが、バブル以前の世代の既得権益を打破してくれ自分たちにも浮上するチャンスを与えてくれる救世主に写る。こうして若者は「労働者の利権を奪って我々に与えてくれ」と右傾化に走るのだ。

 以上が、赤木の言う「いっそのこと戦争でも」云々の本当の意味だという。そして彼は、それが所詮は「貧困層が自分たちを苦しめている富裕層を支持する」「自分で自分の首を絞める」逆説でしかない事も見抜いた上で、敢えて警鐘を鳴らす意味で挑発的な言説を誌上で展開しているのだという。
 私は、それが必ずしも彼の本意であるとは、まだ完全には思えない。何故ならば、彼のブログを読むと、自分より下の弱者(在日外国人や未解放民など)を貶めて日頃の鬱憤を晴らしていると思えるような言説も、確かに散見されるからだ。「実際には差別など無いのに差別を言い募る」などという能天気な言説にも賛同しかねる(連合の労働貴族や解同利権の存在を割引いてもだ)。実際、彼の言説を支持する者からも、それらの問題点を指摘する声は上がっている。

 ただ、論考原文を読んで初めて気付いた事がある。それは、これは決してネットウヨクの戯言ではないという事だ。赤木は実は自分の分身ではないのか。そういう気すらしてくるのだ。
 確かに歳は一回り離れているが、私も赤木と同様にパラサイトのワーキング・プアだ。収入も赤木より少し上を行く程度だろう。今でこそ親はまだ健在だが、一寸先は闇という意味では赤木以上に深刻だ。

 赤木が経験している下流同士の軋轢は私もよく分る。前職の生協職員時代に、春闘でパート労組が残業拒否の時限ストを打った事があった。現場の正規職員労組員がその尻拭いをさせられる事を承知で山猫ストを打ったのだ。この時ほどセ・パ共闘のスローガンが空虚に響いた時は無かった。所詮現場では正規とパートは敵なのだ。
 そして時は巡り巡って今、今度は業務請負のアルバイトとして、当該請負会社の管理職正社員温存のしわ寄せをかぶせられようとしている。今のバイト先に配属になって少し分ってきたのは、今の所は結構「人を大切にする」という事だ。但し良い意味でも悪い意味でも。良い意味では、偽装請負でないしバイトにも社会保険も有給休暇もあり寸志も出る(本来はそれで当たり前なのだがその当たり前でない会社が多すぎる)が、悪い意味では管理職を温存し飼い殺しにしている、そういう面がある。
 たかが労働安全衛生活動の職場巡視にいちいち管理職が何人もぞろぞろ付き従い、現場作業の邪魔をする。管理職が首切られない分、設備投資は後回しで、使い勝手の悪い老朽化した施設での構内作業を余儀なくされている。それに加え最近ではバイトの実労働時間まで削減され始めている。ワークシェアリングといえば聞こえが良いが、何の事はない、バイトの収入減と引き換えに中高年管理職の温存を図ろうとしているだけなのだ。それで今度は設備投資無しのまま請負の仕事だけとって来ようとしている。繁忙期になれば、それこそ「自分で自分の首を絞める」事にしかならないのは目に見えているのに。我々の要求は、あくまでも「人間扱いされる事」であって、こんな「飼い殺し」や「矛盾のツケ回し」などではない。

 そういう意味では、赤木のいう事も実感として分る。但し、ウチは平社員やバイトには若者もおれば中高年もおり、それらが全て管理職のしわ寄せを受けているので、対立図式は「若者vs中高年」ではなく「平・バイトvs管理職」だ。しかも、「平・バイト」にもハナから仕事を投げているような部分すら見受けられる。平社員やバイトの先輩が職場の問題点を管理職に指摘するでもなく、ただ愚痴をこぼしているだけ、それで休憩時間にTVニュースの前で、やれ「機械」だの「労働時間だけが売り」だのとこれだけ自分達がコケにされているにも関わらず相変わらずお上を庇い、「朝鮮人などやっつけてしまえ」と言って日頃の溜飲を下げているだけ。そんな中でも、そんな退嬰的・反動的な封建オヤジの職場支配を少しずつでも変えていこうと、私も最近は自分のブログの内容を少しずつ周囲の者に広め始めているのだが。

 ただそれでも、赤木の対立図式には賛同は出来ない。その図式は余りにも世代論に偏した物の見方だ。赤木はバブル以前の世代との対比で、社会人1年生のスタートラインから下流として宿命付けられた自らの世代の不運を嘆くが、それは過渡期の現象にしか過ぎないと思う。
 このまま行けば必ず格差・貧困は固定化される。赤木も言うように、「再チャレンジ」の本質はセーフティネットを装ったギャンブルだ。ギャンブルは胴元だけが儲ける仕組みになっている。機会平等や公正競争や自己責任などの言説はそれを隠蔽する煙幕にしか過ぎない。そのうち嫌でも「中高年も若者も平等に総ホームレス」な社会がやってくる。そんな中で、徒に「中高年vs若者」の対立図式に拘泥するのは、その隠蔽に一役買っている事にしかならない。
 「いっそのこと戦争でも」云々についても同じ。現代の戦争は戦国時代の合戦ではない。核戦争には勝者も敗者も無く、自滅あるのみ。否、戦国時代の合戦ですら、個人の裁量だけではのし上がれなかった筈だ。個人の才覚と思われるものの大部分は、実はその時々の偶然にしか過ぎなかった(神風がその好例)。「戦場での万人平等の実力主義」などは単なる幻想だ。一兵卒に特攻・自決・餓死を強いておきながら自分だけ愛人とこっそりルソンやインパールの戦線から離脱した将校がいた。満州731部隊の将校は細菌戦の研究データと引き換えに戦犯追及から逃れられた。戦場でも生き残るのは特権階級だけ。そんな中で「実力主義」の幻想を抱く奴は、格好の「将棋の駒」にされるだけだ。

 赤木は戦後の経済成長や民主化、平和運動の欺瞞を突く。「中産階級主導の恵まれた平和でしかなかった」と。そして、その主因を戦後左翼に求める。しかしそれにはもっと裏がある。戦後の経済成長そのものが、実は東西冷戦の下で、日本を日米安保の頚木に引き止めておく為に、「米国流民主主義」のショーウインドウとして米国によって意図的に作り出されたものである。労働組合の「物取り主義」やその後の右翼的労戦再編そのものが、ケネディ・ライシャワー路線によって意図的に作りだされたものなのだ。戦後の民主化は、そういう「与えられた民主主義」を一歩一歩自分たちの物に作り変えていく過程でもあったのだ。
 しかしその後の冷戦終結と米帝の相対的な力の後退で、戦後日本を「アメリカン・ドリーム」漬けしておく必要も余裕も無くなった米国は、日本にも応分の負担を求めて来るようになる。80年代の中曽根臨調行革、90年代以降の米軍再編、日本右傾化、経済バブルとその崩壊、これらの一連の流れは全てその下で引き起こされたものだ。
 同じ「論座」1月号所収の渋谷望の論考「「総下流化社会」日本」にその事が書かれている。渋谷は、赤木の言う下流同士の軋轢に対して、それは「共に沈み往くタイタニック号の中の、真っ先に水につかり始めた移民たちと今はまだ安泰な一等船室客の争い」にしか過ぎないと断じている。私も、この渋谷の見立ての方がより真実に近いと思う。そういう構造的な問題を抜きにして、それを若者WPの意識の問題のみに還元し労組の「物取り主義」批判に終始しているだけでは、赤木の左翼批判も所詮はケネディ・ライシャワー路線の掌の中で演じられる「下流スペクタクル」にしか過ぎない(注:スぺクタクル=見世物)。

(参考記事)

・参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d
・希望は戦争(狂童日報)
 http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20061206
・論座のプロフィールを読んで来た方へ(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/12/post_171.html
・格差社会を容認する類の弱者が望むもの(同上)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/cat58/
・新年の悪夢というよりは正夢─若者は暴走するか?(新庄新田トラスト)
 http://www.nurs.or.jp/~suiden/text/20070101.htm
・『バックラッシュ!』を非難する(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
・共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」(macska dot org)
 http://macska.org/article/145
・現代の貧困をめぐって。(シャ ノワール カフェ 別館あるいは黒猫房主の寄り道)
 http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20061208
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19 コメント

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確かに「限界」はあるけど・・・ (まこと)
2007-02-23 07:27:01
確かに赤木氏の論考には「限界」もあるし、私も彼の議論に与するわけではありませんけど、彼が指摘するような「フツーの市民」の意識が「ニート・フリーター」とのレッテルを貼られている人達の問題や「ホームレス」の問題の<社会化>の阻害要因になっている面があるのは否めないと思います。

そして、「論座」に登場するような「リベラル」な識者は、その点に気付いていても、なかなか言い難いという面があるように思います。読者を敵に回すようなものですからね。

そういう意味で、私は彼の「限界」を認識しつつも、彼の言説には一定の評価を与えたいと思います。
返信する
Re:『「丸山眞男」をひっぱたきたい』1 (三浦小太郎(代理:社会主義者))
2007-02-24 23:09:21
※三浦小太郎さんから、送信エラー発生でコメント代理投稿の依頼がありましたので、そのコメント全文をこちらに転載します。但し、私の方で若干の技術的編集を施しています(誤字訂正、引用符の統一、改行位置の是正、仮題付与、制限字数超過による投稿分割、の以上5点に関して)。また、ここで引用されているのは全て赤木氏の当該論考の文章です(その内容については下記URLを参照の事)。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d

>『「丸山眞男」をひっぱたきたい』31歳フリーター。希望は、戦争。(赤木智弘)<

 気の効いた面白さというのはありますけど、この文章を社会主義者さんやまことさんが限定付きとはいえ評価するのか、右翼として理解できない(笑)こういうのが右翼的とか思われてはたまらんのでちょっと批判を逆の立場から。

>バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていく事になるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長世代)の多くは、我々にバブルの後始末を押付け、これからもぬくぬくと生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みのひとつも言いたくなってくる。<

こんな事実ほんとにあるの?。ポストバブルの30代、苦しい生活をしている人は多いかもしれないけど別に「屈辱」を感じて生きている人ばっかじゃないでしょう。苦しい生活の中、充実感を感じている人もいれば、「ぬくぬく」と見えても、家庭や個人の問題、家のローンで苦しい寧面を押し殺して生きている人もいる。こんなのは単なる被害者意識。それに、じゃあもしこういう現象があったとしましょうよ。人間「運のいい人もいれば悪い人もいる」というだけのことでは?

>「NHKスペシャル「ワーキングプア」が見過ごしたもの<
>特に、仕立て職人が、妻の葬儀のために手をつけずにいる貯金のために、生活保護を得られないことについて、識者が「妻の葬儀の費用を自力でまかないたいというのは人間の尊厳であり、それを捨てないと生活保護を得られないことに問題がある」と述べていたことが気にかかる。それが尊厳だというのなら、結婚して家庭を持つことや100万円の貯金など夢のまた夢でしかない我々フリーターの尊厳は、いったいどこに消えてしまったのか。<

まあ、葬式を挙げるあげないを「人間の尊厳」と言う言い方をするのもどうかとは思う。この人が仕立て職人として、立派な仕事をし、経済的には恵まれなくとも黙々と働き、世の中と家庭を支えた事が最大の勲章だし、それを支えた妻に、せめて自分の手で立派な葬式をあげてやりたいと言う気持ちは分かるけど。ただ、それに対して、一々こんなひねた「気のかけ方」しなくてもいいんじゃないの。尊厳は他人が決めることじゃないでしょう。結婚しなくても貯金がなくても尊厳は持っている、と、たとえやせ我慢でも言うのが人間だし、フリーターとしてその場で、コンビに店員であれ、コンビニ店員として立派に働いていればそこに尊厳は生まれるはず。少なくとも、そういう気持ちを無理やりにでも持とうとするのが人間じゃないの?

>戦争が起きれば社会は流動化する<
>平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル時代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。<
>若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。小泉前首相が「郵政職員26万人の既得権を守って、何の改革ができるか!」と叫んで若者の支持を集め、衆院選で圧勝したことは記憶に新しい。<

違います。
小泉首相が勝利したのは右傾化じゃない。あえて言えば経済的な不満からでもない。

社会がある程度豊かになり、しかし同時に閉塞感も生まれた中、かっての左右の価値観も共に説得力を持ちえなくなった時代に、ある種のポピュリズム政治で開放感を与えたからなの。
だから、ある意味じゃ、右も左もポピュリズムに破れたとは言える。
そして、反小泉の人たちには、左も右も既に時代遅れのスローガンしか出せなかったから。別に労働者の権利奪い取りたくて若者が投票したんじゃない。じゃあ労働者は反小泉?あの圧勝はそんな簡単な構図で分析できる物じゃない。

>確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリべ政権を下支えしている。<

これ、赤木氏が意外と旧左翼的価値観(貧しき人対金持ち)を信じているのが露呈してる。
金持ちって基本的に魅力的ですよ。貧困層はそれに憧れるのが普通。アメリカ映画観ればすぐわかるはず。
それに、富裕層が良かれ悪しかれ、ガンガン消費(浪費)しなければ経済豊かになるわけない。ホリエモンが支持されたのはプロ野球の球団買収とか「浪費」「パフォーマンス」が面白かったからだと思う。私は興味なかったけど、別にホリエモンを応援した貧困層がいたって矛盾は全然感じません。ただ、それはそれとして日本の金持ちはもっとかっこいい浪費をしないといけないとは思う。ロックフェラー財団とか見習うべき。
(2に続く)
返信する
Re:『「丸山眞男」をひっぱたきたい』2 (三浦小太郎(代理:社会主義者))
2007-02-24 23:13:19
(1の続き)
>だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。<

私はそんな人にあったことないけど、この人は会っているんでしょうね。
まあ、1億人もいるからこういう人もいるだろうな。
私は正直、この世から戦争がなくなることはないと思っている。しかし、こういう理由でなくならないんじゃない。

>戦争は悲惨だ。<
>しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。<
>もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。<
>しかし、それでも、と思う。<
>それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないで欲しいと。<

北朝鮮の民衆がこういうなら私は100%分かるし、実際これに近いこと思ってる人いましたよ。「戦争になれば飢えは終わる」「餓死よりはとにかく何か戦争でもいいから起こって欲しい、情況が変わって欲しい」90年代飢餓のときはそうだろうな。

しかし、今の日本がそうかあ?

こういう文章って、どう読んでも「空想的窮民主義」と言う気がする。
庶民と言うのはもっと逞しく、もっとしたたかで、もっと誇りを持って生きている。
そういう人は私の回りにいくらでもいる。フリーターだろうとね。
今若者の結婚率下がっているのは、経済的問題だけじゃない。もっと貧しい時代、もっと貧しい国で、人々は結婚し、家庭を営んでいますよ。実際私自身独身ですがね、それはもてないからであって、また、家庭を営み責任を引き受ける力がないからです(経済だけではなく人間的包容力)そして、今程度の少子化は、豊かな社会になり、女性も社会進出すれば当然おきうる現象なんです。子供を産むか生まないかまで政治家が心配したり強制せんでよろしい。日本社会の豊かさを維持し、外国人に門戸を広げることの方を気にしてくださればよい。共稼ぎで働いて家庭を維持する人への様々な保障は考えるべきだろうけど、どんなに厳しくても、本当に結婚したい人はしているはずですよ。この人の言うささやかな幸せを、多分彼ほどの文才もないし経済的にも同じくらい貧しくても何とか実現しようとしている人、また幾つかは実現した人は一杯いるはずです。逆説的な言い方で社会に警報を鳴らしたいと言うのも分かるけど、なんだか私には伝わってこないなあ。

それと、この人もなんだか唯物論的というか、世の中のこと経済で全部分かるはずないのに、どうも経済的側面からだけ見ている気がする。今の社会で問題があるのは、むしろ人間の疎外がすすんできたことですよ。私がそうだからどうしても自分にひきつけちゃうのかもしれないけど、人間は勿論経済にも支配され影響されるけど、それ以上に、他者との関係の希薄さに悩むんだと思う。これは戦前の日本を否定しすぎた
弊害ではないかと思いますが、まあそのことはまた別の機会に。
赤木氏の文章は、疎外された個人の悲鳴としては読めなくもない。しかし、あまりに極論と逆説に走りすぎて、かえって説得力失ってるとしか思えない。
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「地獄の沙汰もカネ次第」 (まこと)
2007-02-25 07:20:19
>この人もなんだか唯物論的というか、世の中のこと経済で全部分かるはずないのに、どうも経済的側面からだけ見ている気がする。

三浦さんが言おうとしていることも分かりますが、この日本には昔から(?)「地獄の沙汰もカネ次第」という言葉もありますよね。また、「貧すれば鈍す」とも言うではありませんか。

憲法に「健康で文化的な最低限度の生活」という文言がありますが、そういう生活無くしては「心の余裕」だとか「精神的なプライド」というものも失われていくという面は否めないのではないでしょうか。

もちろん、「武士は食わねど高楊枝」だとか「ボロは着てても心は錦」という謂いもありますけど、そこまで意思の強い人間がどれほどいるでしょうか。

あと、三浦さんは意図的に?経済の話を逸らそうとされているような気がするのですが、やはり「国民統合」にしても「ナショナリズム」にしても、「国民」と経済の連関性というのは無視できないと思います。

私は戦後日本における「国民統合」の背景には、戦後の経済成長、終身雇用などにみられる日本型企業主義、自民党型の地方への利益誘導政治などが大きく影響していると思います。この点、三浦さんがしばしば引き合いに出される小熊英二さんだって指摘されているではありませんか。
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右派からの「格差社会」批判 (まこと)
2007-02-25 07:33:47
>そして、反小泉の人たちには、左も右も既に時代遅れのスローガンしか出せなかったから。別に労働者の権利奪い取りたくて若者が投票したんじゃない。じゃあ労働者は反小泉?あの圧勝はそんな簡単な構図で分析できる物じゃない。

では、小泉-中川ラインが執拗に「公務員(*それも高級官僚というよりも"給食のおばちゃん"みたいな人たちに焦点を当てて)=既得権益者」攻撃を繰り返しているのはなぜでしょう?

三浦さんが否定される赤木氏の考え方「も」小泉自民党の躍進に貢献したひとつの要因だと思いますよ。

ちなみに、「格差社会」には右派の側からも批判がありますよね。立ち読みしかしていない私がこんな事を言うのは何ですが、三浦さんが寄稿されている「月刊日本」という右派系の雑誌にも「ニート、フリーターを産み出す若者に夢を与えない格差社会が日本人の心をおかしくした」みたいな趣旨の記事、載っているではありませんか。

これは、今の「格差社会」という名の「貧困化」が今のまま進むと「国民統合」すら危うくなるということを「右派」の側から敏感に感じ取っている証左なのではないでしょうか。
返信する
子どもを育てるにはカネが掛かる (まこと)
2007-02-25 14:54:49
すいません、追記です。

>今若者の結婚率下がっているのは、経済的問題だけじゃない。もっと貧しい時代、もっと貧しい国で、人々は結婚し、家庭を営んでいますよ。(三浦さん)

この問題、家族や地域などの「共同体」が解体しつつ現下の状況を考慮すべきでは無いでしょうか?
嘗て(*1960年代頃まで?)は子どもは祖父母などを含めた大家族、そして地域社会全体で育て上げるという傾向があったと思います。が、今の日本ではそういう状況は解体しつつありますし、まして共稼ぎが当たり前の時代ですから、子どもは保育所・幼稚園などに預けるなどせねばなりません。また、「うちはカネが無いから中卒で良い」という訳には行きません。高校・大学へと進学させねばならないし、そうなると塾などの教育費も必要です。

つまり、「もっと貧しい時代、もっと貧しい国」に比べ、現代の日本社会は子どもを産み育てるには莫大なカネが掛かるわけです。

先日もキヤノンの工場で請負労働者として働いている青年が、国会の公聴会にて「当たり前に子どもを育てるためにも正社員になりたい」と語りましたが、現代の日本において、年収2~300万円の「ワーキング・プア」では子どもを「人並み」に養育するのは無理があると思いますよ。

>それに、富裕層が良かれ悪しかれ、ガンガン消費(浪費)しなければ経済豊かになるわけない。

こういう考え方は「トリクルダウン」と呼ばれていますが、この理論に対してはノーベル経済学賞受賞者であるスティグリッツ氏をはじめとする批判があります。
返信する
いまどきの団塊ジュニア世代 (sakochi)
2007-02-26 23:10:36
すみませんが私も横から参加させていただきます。私は団塊ジュニア世代ですが、やはり三浦さんの意見は私の実感から言って正しいように気がします。それは経済問題が全てではない、という点です。例えばバブル経済の時代には女性の結婚相手には「三高」といわれたものですが、今では完全に死語ですよね。今はほとんどの女性は性格や価値観が合う人や友達のような夫婦関係を理想にしているといわれています。私の周辺には30歳前後で結婚してない女性が結構いるんですが、やはり自分の人生を大事にしたいという人が多いような気がします。
もちろん、経済的困難から出産したくてもできないというカップルが多いのは事実でしょう。でも、晩婚化の背景には家庭だけでなく自分の人生や価値観を大事にしたいという価値観の変化があるわけでしょう。私が「子供を産むのが女の幸せ」という昔ながらの考えの政治家に批判的なのは、そういう時代の変化を理解しようとしないからです。
ですから、これからの時代は、経済的な問題ばかりでなく、カップルや夫婦のあり方はどうあるべきかとか、人間の価値観の問題に深く突っ込んだほうがいいような気がします。ちょっと話がそれてしまいましたが…。
返信する
「経済問題が全てではない」のは当たり前ですが、三浦さんの議論は経済問題を捨象していると思いますね (まこと)
2007-02-27 04:06:18
もちろん、私は「経済問題が全て」なんて言っている訳ではないですよ、念のため。

ただ、三浦さんの議論は赤木氏の「極論」を否定するために、ことさらに「ワーキング・プア」問題などを議論を捨象しているようにしか思えないのです。

経済問題とsakochiさんが言われる「人間の価値観の問題」などの観点を複眼的に検討せねばならないというのはその通りだと思います。ただ、一部には「ニート・フリーター」問題を<個人の価値観の問題・自己責任>に回収し、「ニート・フリーター」問題に起因する諸問題の責任を彼ら自身に"のみ"着せている議論があります。

赤木氏は自身のブログで「思想ではメシは食えない」と書いています。私が思うに、おそらく赤木氏は三浦さんのような反論も想定した上で、敢えて問題提起のために「極論」を書いているのだと思いますね。

まあ、赤木氏の「極論」はともかく、例えば↓の記事のキヤノンの請負労働者のような意見には、非「二ート・フリーター」は耳を傾け、この問題を「社会問題」として捉えなければならないと私は考えます。

●「キヤノン請負労働者「生身の人間。正社員と同じ賃金を」」(朝日 07.02.22)
http://www.asahi.com/job/news/TKY200702220255.html
返信する
赤木氏の議論は「極論」、だが・・・。 (まこと)
2007-02-27 04:15:39
はっきり言って、私にも赤木氏の議論は「極論」としか思えませんし、彼の議論は支持しません。

ただ、私は彼の「極論」が所謂「ネットウヨク」と呼ばれる層の心理のある一面を鋭く抉り出しているように思えるのです。

彼が抉り出した「希望なき」青年層をいかに「絶望」から這い上がらせるのか-それは私自身、そして立場は違うとは言え三浦さんのような真摯な保守派が考えなければならない課題であると思っています。
返信する
自己責任、国民統合、労働者性 (社会主義者)
2007-02-27 10:58:27
 この赤木氏の論考ですが、その論理展開の「稚拙さ」とは別に、当人も予期しない所で(或いはそれも織り込んだ上でか?)、いろんな形の問題提起をはらんでいる事に気がつきました。

 実は以前に、同じ職場のワーキングプアの若者の同僚にも、この論考の内容をかいつまんで話して、感想を聞いてみた事がありました。
 そして帰って来た答えが、まず「甘えている」。その人はあくまでも「ワーキングプアになるのも結婚できないのも、その人の自己責任」という考え方なので、この答えは「むべなるかな」といった所で。
 「戦争待望」云々についても、「そんなに戦争がしたいのなら、一度イラクにでも行って、戦争が一体どんなものか、身に沁みてきたら良い」と言っていました。これはその通り。

 ただ、赤木氏の言う「こんな腐った日本など、もうどうにでもなってしまえ」という感覚は、「自分にも何となく分る」とは言っていました。あれだけ安倍マルコス政権の閣僚が次から次へと失言を連発するのは、彼曰く「自分たちもいい加減、政治に嫌気が差しているから。政治を、ひいてはこの国を、投げているからだ」という事だそうです。
 この「もうこんな日本など、もうどうにでもなってしまえ」という感情ですが、実はネットウヨクの書き込みを読んでも、何となく感じる時があります。表向きの「反日分子掃討」的な書き込みとは裏腹に、どうしようもない「捨て鉢」な感情が横たわっているのを。何故なら、彼らの言説には「希望」が皆無ですから。「所詮世の中は弱肉強食だ、権力や武力を持つ奴が一番偉いんだ」なんて彼らの言説の、一体何処に「希望」が在る?

 あと、「労働者性」という事について。
 ワーキングプアは若者だけでなく、都市の小経営者や地方農民の問題でもあります。秋田や島根の一人当たり県民所得が大体年収2~300万でしょう。
 都市の小経営者(自営業者)にしても、例えば町の本屋さんや八百屋さんなんて、最近は量販店に全部客を奪われて商売が上がったりで、店を開いていても客は来ず、かといって、借金もあるので簡単に店もたとめない。商売だけでは食っていけないので閉店後もパート・バイトに出る。
 そういう人でも一応は小なりとはいえ自営業者(小ブルジョア)で、方や「勝ち組」大企業の持ち家中堅管理職が、一応は労働者に分類される。私は、「階級対立は無くなった」という資本家免罪・美化論には組しませんが、旧来の枠組みだけでは説明できないような形の「階級対立」に、徐々にその姿を変えて行っているのではないか、という気がします。
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