何と読むのかしらと思ったでしょ?癡狂(ちきょう)です。
明治になって、第三期梅毒などで知能が障害され、脳の高次機能が荒廃した状態を表す言葉Demenz(ドイツ語)を「癡狂」と訳した。大正に入って「癡狂」という言葉はあまりにもひどい言葉であるという反省が生まれ「癡呆」に改められた。癡が新字体の痴にかわって最近までずっと使われて来た。
痴呆という言葉もひどい言葉である、差別用語であるとの反省が生まれ、2004年に厚生労働省が、行政用語としての「痴呆」は「認知症」に改める事を決定、学術用語としての「痴呆」は各学会の判断にゆだねることとした。
以上は「アルツハイマーワクチン」田平武著からの引用(一部略)です。また再読中なのです。
田平先生は、国立長寿医療センター研究所所長をなさっていらっしゃいますが、前職国立精神神経センター時代にしばらくの間親しくさせていただいた事があります。
私が浜松医療センター「高齢者脳精密検査外来」に勤務していた頃、当時は年間2000人を超す外来患者さんが受診なさっていた、名実ともに日本で突出した「ボケ外来」でしたが、丁度その頃のお付き合いでした。
遺伝子に原因があると思われる「若年性アルツハイマー病」の患者さんの遺伝子検索を、田平先生にお願いしたのです。
田平先生は、珍しい患者さん達の連絡を差し上げると、またとない患者さん達に会えるので喜んでいらっしゃったものです。
お話の端々からご自分の研究の成果が上がるということは、社会のためになるという基礎医学者らしい熱い思いを感じたものでした。
そのなかから、「従来日本人には発見されていなかった遺伝子異常が確認され、アルツハイマー病を引き起こす遺伝子には人種の差はない」という報告もなされたと聞きました。
でも、今日は感想文ではなくて、「認知症」という用語のことをちょっと書いておこうと思います。
厚生労働省が用語を改めたのは、上述の理由は勿論あると思いますが、ボケの早期発見、早期治療。出来ればボケさせたくはない。などの理由があると思います。膨大な老人医療費、介護費を考えると当然でしょう。
さて「認知症」ですが、田平先生の御本からの引用を続けます。
認知症という言葉遣いは日本語として正しくない事は多くの人が指摘している通りである。すなわち臓器に「症」をつけてその臓器の病気をあらわす使い方がある。脳症、筋症、関節症などである。また、貧血や高血圧といった状態につけて病気を表す場合もある。しかし、認知や判断、思考などの機能に「症」をつける例はない。
まさにその通り!日本語として変です。
それにも増して、二段階方式を理解している人たちならば、どうしても気が付かなくてはいけないことがあります。
脳の老化が加速されていく事がボケの本態であり、その時最初に障害される脳機能は、前頭葉機能ですね。
「認知機能」は、脳機能から言えば、いわゆる後半部の機能なのです。これは中ボケになってはっきりと低下が明らかになるのです。
つまり「認知」にこだわっていたら、ボケの早期発見は出来ないということになります。
せっかく言い換えたのに...
以上が私の講演会の演題に相変わらず「認知症(ボケ)は防げる治せる」と表現してもらう理由です。
田平先生は面白い事を言われています。
「ぼけ」というのは物事の状態や輪郭、境界がはっきりしないこと、曖昧(あいまい)であることを言う。「曖(あい)」も「昧(まい)」も暗い、はっきりしないという意味であるから、これに精神や神経の機能をあらわす「神」をつけると「曖神(あいしん)」または「昧神(まいしん)」という言葉ができる。...略...「昧神」ということばを使うことを提唱する。