たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

前へと進んで行こう

2014年12月12日 08時11分15秒 | 日記
混乱の終結は本当に困難です。
普通に生活している感覚だけで考えていてはもうわからない世界に入っています。
私にはどうすることもできません、信じてゆだねるしかないです。

移動することに、本当にこれでいいのかとかなり不安がありますが、
苦労して家賃払っている部屋に帰るのに緊張していては疲れてしまいます。

落ち着ける環境に落ち着いたら、少しずつやりたいこと、やれそうなことへと
歩き出していきたいと思います。

そのための移動です。
きっとすべてがうまくいくはず。
妹が守ってくれています。


やっぱり大変・・・

2014年12月10日 21時08分58秒 | 日記
家賃払いながら、自分の部屋ではもう眠ることができないので、夜は別に安眠できる場所を確保しながら作業中です。

せっせと断捨離して、本や資料を整理してきているのですがまだまだすごい量があって、
移動はやはり大変です。前回の引っ越しから10年が過ぎて、何気に要らない、大きなものを買ってしまっていたりもします。モノを増やしてはダメですね。

大学の通信教育をやっていた時の大量の手書き資料に自分でびっくりしています。
参考文献を几帳面な字でびっしりレポートに書き写しています。
いろいろと大変なことがありながらも、こうして一生懸命にやってきたんだなあと思うと
自分が愛おしくなったりもします。
何を思って、この科目にこんなに資料を集めていたんだろうと思うものも出てきたりします。
お別れはかんたんではないですね。

高校生の頃、就職してから、本が好きで好きで書いためました。
近くのカフェでたまたま点示本にするために古本を募っているので持参しています。
お別れしようかどうか迷っているものは、この際思い切ってお別れしていこうと思います。
それでもまだまだ・・・。

混乱の終結を目指して大局面も控えているので、頭の中があっちへこっちへと同時進行中です。(混乱の終結は、強固なものが依然立ちはだかっているのでまだきびしそうです。私個人の力ではどうすることもできないのでよくわからないです。)

人生の仕切り直しをかけて、いろいろなことがいい方向へと流れていっていると信じたいです。



急ですが・・・

2014年12月09日 20時44分36秒 | 日記
襖一枚と変わらないような住環境に限界が来て急遽日曜日に移動することになりました。
あまり日数がありません。
混乱が終わって一定の落ち着きがみえてからと思ってずっとがんばってきましたが、限界がきました。また我慢しすぎてしまったのかもしれませんが、今の状況では仕方なかったです。

まだ混乱の終結も見えず、いろいろと重なってきつい日々が続きますが、まずは落ち着いて眠れる環境を確保するためにがんばります。
人生の仕切り直し。大丈夫かな・・・。

以前コミュニティハウスで、住む場所と暮らす場所というテーマで話をしたことがあります。
私が今いるのは外で長時間労働している時のねぐらとしては悪くなかったですが、住む場所でした。暮らす場所としては、すごく落ち着かない環境だということが自分の状況が変わってわかりました。この部屋で長時間労働しながらPSWの試験に合格しました。落ち着いたら精神医学を勉強し直していきたいです。

「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ぺピン湖畔

2014年12月07日 08時13分17秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「ぺピンの町には、ローラ・インガルス・ワイルダー記念公園がある。公園といっても、芝生に、木のテーブルと椅子を置いたシンプルなものだ。ちょうど9月の新学期がはじまったところで、誰もいなかった。

 しかし夏休みには、キャンピングカーで旅をしてきた家族づれが集まり、青空のもとで食事をとるのだという。北米の人々は、大きなキャンピングカーに寝泊まりしながら海辺や山を旅する。これはローラの家族が、幌馬車に家財道具を積んで移動しながら、獲物をとり、外で煮炊きしてご飯を食べ、夜はキャンプをしたころからつづくアメリカの伝統的な旅のスタイルだ。

 屋根のついた幌馬車が、現代ではキャンピングカーに変わったのだ。

 (略)

 それから小さな町をぬけ、ぺピン湖へ行った。丘の道をおりていくと、静かな水をたたえた湖面が見えてきた。周囲は、ぐるりと緑の丘陵に囲まれている。大きな湖だ。しかしこれはミシシッピ河の一部が太くなったところで、本当は河なのだ。

 ローラが子どものころは、『大きな森の小さな家』に書かれている通り、湖畔に商店があり町があった。しかし今では、町の中心部は、湖から離れた博物館のあたりに移っている。

 道路や鉄道の発達していなかった昔は、船で河を行き来して人や荷物を運んだので、湖畔に町があったのだろう。

 今では、湖畔には民家が点々とあるだけだ。しかし湖に面した家々は、きれいにペンキで塗られている。二階には遠くのむこう岸まで見晴らせるようなテラスがあり、庭先にはボートが置かれ、水辺の暮らしを愉しんでいる様子が伝わってくる。

 作家のマーク・トウェインは、ミシシッピ河を下って行ったミズーリ州ハンニバルに育ったが、ここぺピン湖の美しさ、その夕景の素晴らしさを絶賛している。トウェインはミシシッピ河の船に乗りこみ水先案内人(パイロット)をしていたので、上流のぺピン湖まで来ていたのだろう。ちなみに当時の詩人にとって、この湖は必ず行くべき場所のひとつで、その美しさを讃える数々の作品が書かれたという。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、160-164頁より引用しています。)










ぺピン湖畔の街並みからです。






12月の晴れやかな日に徒然に・・・

2014年12月05日 12時34分13秒 | 日記
せっかく一度書いた記事が消えてしまいました。仕切り直しです。

水曜日は久しぶりにコミュニティハウスに顔を出したら、お友達になった小っちゃい子たちに会うことができました。三週間ぶりや一か月半ぶりに会う子供たちはまた大きくなっていました。話す言葉が増えて、細かいおもちゃ遊びができるようになって、好奇心いっぱい、こうやって大きくなっていくんだなあと感慨深いものがあります。
心身のエネルギーをかなり消耗している身には、すがすがしいです。

今の社会の仕組みは、この子たちに大きな負の財産を残し背負わせていくことになるのではないかとすごく心配です。目先のことしか考えていない大人たちが多すぎると思います。
自身の置かれている状況の詳細をここに書くことはできませんが、いろいろと流れており、神経が高ぶって気持ちの休まることがなかなかありません。襖一枚へだててと変わらないような住環境が拍車をかけています。かなりきついですが、ふんばろうとしています。
友人たちの応援でここまでくることができています。
一定の落ち着きにたどり着くことができれば、あらためてまとめていきたいと思っています。

これでよかったんだと心から思えるまでにはまだ至りませんが、色々な気づきがあり、人に伝えていくためには長くなっても文章にまとめるしかありません。当初は思いもよりませんでしたが、落ち着きがみえてきたら、少しやってみようと思っています。

昨日は都心の大学のグリーフケアの講座の最終回。
日野原重明さんのお話でした。10月4日で103歳になられたそうです。
音楽療法をやっていらして、大きな声で話され、お顔もつやつや。
秋に学会の出席のためにオックスフォードに行かれた帰り調子が悪くなって、検査を受けて心臓弁膜症だとわかったそうです。それまで病気がなかったとか。
半端ではない、体中からあふれるエネルギーを感じました。
来年春の講座で講師を務められることがすでに決まっているそうです。
100歳で俳句を始められたそうです。すごいですね。
お話の内容はまたあらためます。

『モールアルト』の観劇日記の続き、『大草原の小さな家』への旅日記の続き、先日のシンポジウムで感じたことなどまとめきれていません。
気長におつきあいいただければと思います。


『木靴の樹』シナリオ(1)

2014年12月02日 20時37分56秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。

秋、ロンバルディア
 黄金色に輝くトウモロコシ畑、ゆたかや緑の樹々、ポプラと家屋、それらをロングに見た
 手前のトウモロコシ畑、緑の畝が美しく広がる畑。
 静けさの中、かすかにひなびた歌が聞こえてくる。小川。水の流れの音とともに、歌がたか まる。

教会の中、ミサの後、
 農夫バティスティが神父ドン・カルロに説得されている。
 妻バティスティーナも神妙な顔。

神父
 「儀礼用の衣服をときながら)あの子を学校にやるんだね」
バティスティ
 「はい、でも行きに6キロ、帰りにまた6キロ、大変です」
神父
 「子供の足は丈夫じゃよ」
バティスティ
 「また子供ができるのです。家で手伝わせたいんで」
神父
 「今は手伝わんでも、大きくなれば手助けするよ。神のみ心に従いなさい」
バティスティ
 「私は学校に行かなくても、大人になりました」
神父
 「それは理由にならん。主が利発な子を授けたのは、よけいに期待がおありなのじゃ。主の み心に従うのがお前さんの義務じゃよ」

 考え込むバティスティ。教会の男が次々にロウソクの灯を消していく。歩み去るバティスティ夫婦の木靴の音が響く。夫婦は十字を切って、礼拝堂を出ていく。

町、教会の外(夕)
 手風琴の楽しげなメロディを背に、重い足どりのバティスティ夫婦。

バティスティ
 「えらいことになった!」

ポプラの樹の道
 無言で歩く二人の画に、美しいイタリック書体で、タイトル<木靴の樹>、<エルマンノ・オルミ監督作品>、<ベルガモ地方の農夫と人々の出演>がつつましく重なる。バッハの<ト短調小フーガ>がオルガンで聞こえはじめる。


12月の始まりの日のつぶやき

2014年12月01日 20時22分33秒 | 日記
怒り、悲しみ、苦しみ、本当は誰にでもあるはずの感情を表現することが許されない社会、ネガティブとされる感情は利潤追求の中では排除しなければならないかのようになっていることへの違和感と息苦しさ。そんな中にいながらずっとがんばってきたんだなあとあらためて思います。
今おかれている状況は大きく広く考えれば高度経済成長期のつけかもしれない。
昨日日韓の自殺対策シンポジウムを聴きにいって、そんなことを思いました。

自死遺族である私がこれから何をしていけばいいのか、何ができるのか・・・。
答えは簡単にはみつからない。考えているだけで何も動くことができない。
今の私はお金をいただける仕事をするだけのエネルギーを失っています。
あれだけ働いてきた自分が・・・。
またそのエネルギーを取り戻すことができるのか、今はすっかり自信を失ってしまっています。先ずは精算に向けて、困難な道のりの終わりはまだ見えせん。本当に困難なこと。
そういうようになっているということがいやというほどわかりました。

でも、どこかに希望はあると信じていかないと前には進めないですね。
否が応でも緊張を強いられ、神経が高ぶっている毎日。
きついですが辛抱し続けていくしか今はありません。
妹が守っていてくれると信じ続けるしか今はありません。
書き入れることはほとんどないので、来年の手帳をまだ買うことはできません。
きっと大丈夫・・・。

ささやかなブログへの訪問、ありがとうございます。
私の力が必要とされる場面はあるので、人生の仕切り直しのために今をやり抜いていきます。