私の母の弟、私の叔父芹澤登美男は昭和19年8月7日太平洋上で戦死した。その叔父からの手紙が仏壇から出てきた。母が結婚したのが昭和17年だったので、内容から昭和16年年末のもので、横須賀から戦地へ出航する直前、その前に休暇が与えられたと推定
両親(私の祖父母)への手紙
拝啓
久しい間のご無沙汰お許しください。
「親思う心に勝る親心」と云うがさぞかし御心傷められ事と思いますがお許しください。
久し振りの休暇も留守勝ちで落ち着いて御話も出来ず碌な孝養も䀆せずさぞかし親不孝な子と御怒りの事と思います。今更乍ら慚愧に堪えません。
ご存じの通り時局は切迫を告げ、私からの便りも色々と困難なことと思いますが,便りが無くともいつも登美男は元気一杯軍務に精励して居るものとご想像ください。
ご両親様も向寒の折から益々健康に御留意下さって新年を迎えられる事を○○より御祈り致します。
登美男より
姉(私の母)への手紙、一部
お姉様
私休暇帰省中又在横中は色々と御心配をかけて申訳ありませんでした。お許しください。
御存じの通り時局も切迫を告げ○○も真近に迫って来ました。
此の時に及んで女々しい未練もありませんが、これから嫁がれるお姉様に御心配かけて申し訳ありませんが弟の最後のお願いと思ってお許し下さい。
萬が一若しかの場合があってもけっしてお嘆き下さいますな,私の身体は去る14年1月以来天皇陛下に捧げたものと思い立派にお役に立ったとお喜び下さい。
力無い兄を鞭撻して力を合わせ年老いたご両親様に私の分まで孝養を尽くして下さい。
島倉君は私の異性の友を越えた唯一人の女性です。互いに永く話し相手になってやって下さい。然し私の事等気にかけず幸福を得る様お姉様からもすすめて下さい。
最後私の誇りが一つ、今まで数々の誘惑に打ち勝ち今の身体も入団前との身体と少しも変わって居りません。心身共に健全です。
この一片の紙片が最後になるかわ此の後の歴史が物語ってくれます。
お姉様も自分の幸福は自分から勇敢にキャッチ
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