こうしてみると、あの時代は女性文学最高潮期だったのではないか?
最も印象に残っているのはやはりあの句を詠んだ場面だ。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」道長は娘が立后した祝いの宴で和歌を読み、実資は道長から返歌を求められていたが、「御歌優美なり」と答えて、列席した公卿たちとともに唱和することを提案して満月をめでながら唱和した。
ドラマでは道長亡き後、紫式部が旅に出るシーンで終わったが、どこへ行くのだろうか?私の想像では、石山寺
パリには当分行けないので、気楽にパリの風景を楽しもうと久しぶりに昭島MOVIXへ、ところが「パリタクシー」は重い映画だった。
終活へ郊外の施設に移ろうと92歳のマドレーヌはタクシーを呼ぶ、運転手は無愛想なシャルル、マドレーヌは彼女が人生を過ごしたパリの街の思い出の地を寄るように指示をする。期待どおりにシャンゼリゼ、オペラ座、修復中のノートルダム、凱旋門など美しいパリの街が背景に流れるが、マドレーヌの思い出の街では彼女の重い人生の場面が回想され、意外な過去が明らかになる。運転手シャルルは最初はめんどうと渋い顔をしていたが、彼女の人生劇場にひきこまれ、共感して親子のようなほっこりとした関係になり、やがて食事まで一緒するようになる。
マドレーヌの人生には家庭内暴力、女性差別、一人息子の悲劇など現代でも抱える問題が明らかになり、背景の美しいパリの景色とは反対に暗い部分が淡々とタクシーの中で語られる。アドレースを演じるのは94歳のフランスの国民的シャンソン歌手リーヌ・ルノー、衰えを見せない演技力には驚かされる。タクシー運転手・シャルル役を演じたダニー・ブーンは代表的な喜劇役者で、普段から親子のようにルノーと付き合っているとのことで、たった二人の人物の映画だが、渋面が最後は笑い顔になり、息の合ったところを見せた。
余聞だが、監督のクリスチャン・カリオンは94歳という高齢の主演女優の体力を考慮し、実際にタクシーを渋滞のパリ市内に乗り入れることは止めてタクシーの背景に映像を流す選択をしたが、見てる方は全くわからなかった。
津田梅子のTVドラマ、現代人へのテーゼ
TVドラマ「津田梅子、お札になった留学生」では先年の渋沢栄一ドラマ「晴天に突け」に引き続き、明治維新期の先人達の勇気あふれる人生に触れ感動した。先ず驚いたのは6歳の梅子を留学......
昨年、6歳で米国留学した津田梅子は「自分の意見を自由に言える女性」で、「女性が男性と対等で自由に活躍できる」日本に変えて行くというドラマが話題になった。
今年は、東大阪でヒロイン舞による起業(スタートアップまで行くかまだ判らない)が朝ドラで終局を迎えている。津田梅子は明治時代、数々の困難に直面したが、女子教育という資産を残した。今でもジェンダーギャップ(注)は存在し、スタートアップの世界は男性偏重で、金融庁の報告書によると、日本の起業家にしめる女性の割合は34.2%、内会社化しているのは14.2%(朝ドラ「舞いあがれ」はこの段階)、そして新規上場企業にしめる女性社長の割合はわずか2%だ。原因は「社長が妊娠したらどうするんだ」といような無意識の偏見が背景にあり、肝心の資金調達が男性起業家に較べ厳しいことにあるようだ。
朝ドラでいろいろな壁を乗り越え、どこまで発展し、女性起業家のロールモデルまで主人公舞が成長するか注目したい。
注、世界経済フォーラムが発表した2022年のジェンダー・ギャップ指数の日本の総合順位は、146か国中116位(前回は156か国中120位)と、前回と比べほぼ横ばいの順位。
NHK鎌倉殿の13人、皆勝手に主要な?御家人が13人と思っていたが、最終場面で義時が関わって殺めた13人ということが判明し、その中に頼家が入っていたことから義時の最期となる因果応報の物語として幕を閉じた。
ドラマの最終回、承久の乱も乗り越え、泰時にバトンタッチをした義時だが、妻ののえから毒を盛られ、解毒剤を服用し、のえを問い詰め追放する。その時のえは三浦義村から毒をもらったと言い残した。刎頸の友の仕打ちに義村と対決する。義村は幼少の頃から義時を超えたかったと全てを告白し、義時に身をゆだねる。義時は後継の泰時を支えることを条件に全てを水に流す。
このドラマは初め毎回のように裏切り、殺戮が繰り返され、殺し屋も登場する。見ていて、生真面目でやさしい好青年義時が頼朝の死後、権力を握るに従い徐々に変身し邪魔者は消すと悪鬼の表情へ。映画「ゴッドファーザー」を思い出させた。マフィアのゴッドファーザーヴィトー(マーロン・ブランド)は彼の息子アル・パチーノ扮するマイケルに後継指名をする。生真面目な好青年マイケルは嫌がり堅気の世界で生きようとするが、ヴィトーが何者かに襲撃されたことで報復を決意し、殺し屋を雇い手段を選ばず妹婿を含め、敵対者を消し、ゴッドファーザーに成り代わる。義時とマイケル、普通の人間が徐々に変化してい行く様は共通している。
最終場面、政子と義時が小安を得て語り合う場面で、義時が殺めた13人を偲ぶがその中に息子頼家が入っていたことから政子はショックを受ける。頼家は病死と思っていた政子は義時を責める。その時、毒が回ってきた義時は棚にある解毒剤を政子にとってくれと頼むが、政子は拒否し、見殺しにする。頼朝以来家族でも殺し合った報いなのだろうか?
殺伐たる時代に泰時は殺し合いをしないで、法によって裁く時代を作る決心をし、御成敗式目を成立させた。
今日の「チコちゃんに叱られる」で海水浴の日本における事始めが紹介された。明治時代、陸軍の初代軍医総監だった松本良順がミネラルも採れ、健康によいと大磯で海水浴を薦めたのが始まりと聞いてビックリ、もちろん松本は欧州での海水浴の効能を勉強したのだろう。松本は幕府の御殿医には珍しく蘭学を学び、西欧医学に通じていたので、幕府軍降伏と同時に獄に入ったが許されその知識を活かし、新政府に出仕し、貴族院議員にもなった。
そんなことは全く知らないで、若い頃は湘南や御宿、関西時代は塩谷、淡路へと仲間と海水浴に行った。特に日本海の小天橋や久美浜の白砂に慣れると関東の茶色い砂には抵抗があった。いずれにせよ健康によいとは夢にも思わなかったむしろ皮膚癌を恐れ、日焼止めを塗った。
南太平洋のサモアに行った時、綺麗な海岸なのに海水浴客は見当たらず、不思議に思って聞いたら、地元民はそんな余裕はないとのことで、欧米人が楽しんでる海岸があるからそこで潜ったらといわれた。途上国のリゾートでは海水浴が当たり前だが、1日働いてようやく生活が成り立つ人々には海水浴は縁がないのだろう。
松本が大磯を海水浴のメッカにしたのは、東海道線に大磯駅を設け、上流階級の別荘を誘致したことがきっかけだとチコちゃんは言っている。その後、日本における海水浴の大衆化はいつ頃からなのだろうか?多分大正時代ぐらいか?
2020年、コロナ緊急事態宣言の年、6月1日からようやく映画館がウィルス対策をした上でリオープン。懐かしいイタリア映画「ひまわり」が50周年記念で最新のデジタル技術で修復されたこともあり昭島MOVIXへ出かけた。その時は以下のようにウクライナが舞台だとは想像できなかった。今や戦場となっている。最近再び「ひまわり」が上映されるようになると聞いて感慨深い。
2020年6月12日のブログの一部より
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「ひまわり」はロシアの地平線まで拡がるひまわり畑が美しく印象に残るが、第2次世界大戦での冬の厳しい雪に覆われた白い戦場が対称的だ。ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ扮する若い夫婦の平和な生活が夫アントニオの軍への召集により破れる。ロシア戦線に送られたアントニオ、厳冬の冬将軍でイタリア軍が敗走を続ける中、凍傷で歩けなくなり、死を迎える寸前にロシア娘に助けられ、記憶喪失のまま結婚し、娘と3人での日常生活を送っている。一方アントニオを待つ妻はロシア戦線から帰国する兵士をミラノ駅で日々待つが徒労に終わる。死亡通知が来ないからにはロシアで生きていると信じた妻は単身探しに行き、ひまわり畑の中を必死に探し、とある村でついにアントニオを見つけるが、衝撃の事実にショックを受け言葉もかけず帰国する。物語は反戦悲劇映画で、ミラノ駅が舞鶴港を彷彿させる。ヘンリー・マンシーニの甘く切ない曲は忘れることが出来ない。
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夏の終わり昭和記念公園の2020年9月のひまわり畑、一斉に頭を垂れている。ウクライナのひまわり畑も哀悼を捧げることになるのだろう。
TVドラマ「津田梅子、お札になった留学生」では先年の渋沢栄一ドラマ「晴天に突け」に引き続き、明治維新期の先人達の勇気あふれる人生に触れ感動した。
先ず驚いたのは6歳の梅子を留学させるという父親仙の決意だ。母親はもちろん反対したが、仙は自ら幕臣時代に米国に渡り、通訳をしていたことから「日本の教育には女性参加が必要だと」信念を持っていたようだ。帰国後、「女性の地位向上」へ梅子と共闘する山川捨松は留学生の中で最年長11歳、咲という名前だったが母親は「今生では二度と会えるとは思っていないが、捨てたつもりでお前の帰りを待って(松)いる」と述べ「捨松」と変えたほどの覚悟だった。
梅子が幸いだったのは11年間世話になったホームステイ先の米国人夫妻が素晴らしい教育者だったことだ。詳しいことはドラマでは描かれてないが子供がいない夫妻にとっては我が子のようだったのだろう。また、当時在米国大使館にいた後の文部大臣森有礼が全面的に支援カバーしたことも幸いだった。11年間留学しても帰国してから当時の日本の壁「男なら仕事はある、女は結婚して良妻賢母に」を何とか打破しようと留学生3人は仕事が欲しくてもがく、捨松の音頭で日本最初のバザーでファンドを集め、看護婦養成に一役買った。やがて留学時代支援してくれた伊藤博文に梅子は女子教育専門学校を提言する。実現したのは華族女子教育の学校で、教育方針も良妻賢母から抜け出せず、2度目の留学から帰国した梅子は捨松の協力を得て、1909年「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を開校し、華族平民の別のない女子教育を始める。梅子が強調していたのは「自分の意見を自由に言える女性」で、「女性が男性と対等で自由に活躍できる」日本に変えて行くことだった。
さて翻って、現代を見ると、依然としてジェンダーギャップ指数、世界156カ国中120位、主要7カ国(G7)では引き続き最下位だ。特に衆院議員の女性割合が低いことなど、政治参画における男女差(147位)がひどい。梅子、捨松の努力は100年経っても報われたとは言いがたい。今日は国際女性デーで報道されてるが日本女性の正規社員賃金は男性の74%、つい最近まで、医学部への入学などで差別され、医師の割合が低いとか管理職登用が低いなど、変わらない日本の典型だ。
10月28日のブログで「ドラマ青天を衝けでは幕府の(フランスの協力で)近代化への策や、明治政府になってからの混乱ぶりが演じられ、これまでの教科書日本史とは異なる側面が登場し、そうだったのかと興味ある場面が多々あった」と書いた。ドラマの最終局面では日米関係の状況が主テーマとなり、渋沢栄一の見事な民間外交が政治には無視され、太平洋戦争への序曲となる場面が展開され、ここでもそうだったのかと思わざるをえなかった。
渋沢栄一をはじめ財界トップの訪米使節団は「100万ドル列車」という豪華な寝台列車を提供され、自由に西海岸から東海岸まで主要都市を訪問し、大統領まで歓迎するという信じられない親善訪米で成功したかと見えた。しかし、日本移民が勤勉で安い賃金で働くということから米国人の職を奪うと移民排斥運動がおこり、渋沢はことの重要性からこれの解決に心血を注いだ。
時が経ち、第一次世界大戦に連合国側で参戦し勝利した日本はドイツに代わり、中国大陸の権益を得て満州国設立へと動き、欧米の反感をかうことになった。ワシントン条約では海軍軍備の枠をはめられ、日英同盟は米国の圧力で終わった。渋沢は強くワシントン条約の中で日本移民排斥を止めるよう交渉すべきと幣原喜重郎大使に訴えたが入れられず、排斥運動は国内で反米感情を蜂起し、日米開戦へと繋がる。
日本移民排斥はアジア人排斥に繋がり、米国での人種差別が根強く残ることになり、現代でもアジア人差別は解決されてない。多くのアジア系米国人がいきなり街頭で襲われることが日常茶飯事だ。渋沢が願っていた日本人移民排斥があの時点で解決されていたなら米国は世界からリスペクトされる国になっているだろう。
翻って、我が国の現状を見ると、外国人労働者への扱いも、多くの問題があり、ゲストワーカーとして人権はもちろん、処遇面でも差別は許されない。かつてドイツの工場を訪ねたら、多くの外国人労働者が歓迎され働いていたが各人の机には出身国の旗が飾ってあった。圧倒的に多かったのはトルコからの移民だった。因みにコロナのワクチンのメインはファイザー・バイオンテックのものだが、これを開発したバイオンテックはトルコ系ドイツ人の会社だ。
大河ドラマ「青天を衝け」はいよいよ佳境に入って、面白くなってきた。日本史で習った幕末から明治にかけての歴史は、大政奉還から薩長を中心とする明治維新へそして民権運動、憲法発布、日清戦争、その間西南戦争を代表する不平武士の反乱鎮圧、とわずか数ページで終わってしまう。ドラマ青天を衝けでは幕府の(フランスの協力で)近代化への策や、明治政府になってからの混乱ぶりが演じられ、これまでの教科書日本史とは異なる側面が登場し、そうだったのかと興味ある場面が多々あった。
主人公渋沢栄一が豪農出でありながら、幕臣となり、やがては明治政府の大蔵省の役人になり、前回から民間人として活躍する。幕臣の頃の山場は徳川昭武の随行でパリ万博に赴いた場面だ。そこで証券取引所など資本主義の何たるかを知り、その知識は混乱している明治政府の政策立案に寄与し、盟友杉浦譲を誘い政府の土台作りに邁進した。杉浦は幕臣としてパリ万博派遣随行の前、1864年12月29日から翌年7月18日にかけて池田長発を正使として派遣された第一回の幕府フランス派遣団に随行し、皇帝ナポレオン3世に謁見している。最近この派遣団がナポレオン3世やその皇后に献上した日本の美術品がフォンテンブロー宮殿で発見され、話題となっている。
杉浦譲は渋沢栄一が政府を去っても、残り民部省・内務省で富岡製糸場建設や駅逓(郵便)制度創設に関与した。ドラマでは幕末の幕臣が多く登場するが日米通商条約など、困難な外交案件を手掛けた中心は小栗上総介で、彼は渡米派遣団に加わり、米国の産業機械や造船技術に圧倒され、お土産にネジを持ち帰った逸話がある。あまりにも優秀であったためか江戸城開城後、新政府軍は処刑してしまう。小栗は横須賀に造船所を作り、富国強兵路線をとり、やがては明治政府の戦力になるのだが、函館で抵抗した榎本が新政府に出仕したことを考えると小栗の処刑は新政府の混乱ぶりがうかがえる。
渋沢、杉浦、小栗といった幕臣の知識人が新政府に必要なことは大久保利通などトップは認識し、やがて1871年から1年10か月間長期にわたる大規模な岩倉欧米使節団派遣となった。使節46名、随員18名、留学生43名。使節は薩長中心だが、書記官などは旧幕臣からも選ばれた。注目すべきは留学生で、中江兆民、津田梅子、山川捨松等々、後に日本を背負う若者が多数いた。通訳としては新島襄が随行している。
昨今のコロナ敗戦でも厚生労働省官僚の動きが鈍くなったことが話題となったがどの時代でもテクノクラートが生き生きと活動できることが重要だ。
3月1日に開催されたゴールデングローブ賞授賞式、コロナウイルスのパンデミックが続いていることから1か月遅れとなり、一部受賞候補者らはリモートでの出席となりいつものドレス姿の華やかなムードはなかった。
映画業界の2020年は新型コロナ感染拡大防止のため劇場の一時閉鎖、作品の公開延期が世界中で相次いだため、劇場公開作品が激減、その結果、変革の嵐が起きた。ノミネート作品もいつもと違うことに、映画部門で動画ストリーミングサービスの作品数が大きく増加し、ハリウッドに替わり、躍り出たのがNetflix、映画22、テレビ番組20と大量にノミネートされた。テレビドラマ部門では英国王室を描いた「ザ・クラウン」が作品賞をはじめ4部門、テレビコメディ・ミュージカル部門でも「シッツ・クリーク」が作品賞を獲得した。
他のストリーミングサービスの作品としては、Amazonプライム・ビデオの『続ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』が、映画(コメディ・ミュージカル)部門作品賞と、主演男優賞を(サシャ・バロン・コーエンが)獲得した。さらにテレビ(コメディ・ミュージカル)部門では『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』のジェイソン・サダイキスが主演男優賞を手にし、Apple TV+初のゴールデングローブ賞となった。またディズニーの動画配信サービスDisney+はアニメーション映画賞および作曲賞を『ソウルフル・ワールド』で受賞した。
世界的な巣ごもり需要のなかで席捲したストリーミング勢だったが、最も注目される映画(ドラマ部門)の作品賞を受賞したのは、劇場公開でかなりの好評価を得ていたヒューマンドラマ作『ノマドランド』で、これだけは譲れないと映画業界の意地を見せた。ノマドというのはジプシーのようにさまよえる民のことだが、「夫を亡くした女性が米国の田舎町で車上生活を送りつつ、夫の思い出を引きずりつつも、ほかのノマド(流浪の民)な車上生活仲間たちとの交流を描く作品」で舞台は米国だ。先にヴェネツィア国際映画祭、トロント国際映画祭でいずれも最高賞を得ており、監督のクロエ・ジャオが中国系の女性である点も注目される。日本公開は3月26日より、