行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

ジャカルタからの苦言

2010-10-16 18:22:24 | Weblog
15日付けのジャカルタ・ポストのコラムリストが日本企業の贈賄事件を報じつつも、この事件に対するマスコミや国民の無関心は日本の影響力の少なさを示しているとコメントしている。8月に腐敗絶滅委員会は日本からインドネシアへの中古車両輸入に絡む贈賄の疑いで住友ジャカルタ支店を家宅捜査した。すでにこの1月、同委員会が逮捕した運輸省鉄道関連局長の証人として住友ジャカルタ支店長の事情聴取を行った。

以下のように、日本に対する愛憎が重なり合ったもので、親日国インドネシア人の警告と受け止めたい。

腐敗絶滅委員会が外国企業の家宅捜査をしたのは初めてのことにも拘わらず大騒動にならなかったのは、インドネシアでは贈収賄が日常茶飯事ということもあるが、日本の影響力そのものがインドネシア、いや東南アジアで小さくなったためだと論じている。

多くの日本企業は97年-98年のアジア金融危機の時に、ASEANとくにインドネシアから撤退し工場を中国に移した。日本は中国にほとんど全ての「巣と卵」を移し、中国依存状態になり、中国は一足飛びに世界第2の経済大国になった。

中国はインフラ整備に援助攻勢をかけ、資源確保に邁進している。その緩やかで紐の付かないインフラ整備への投資はインドネシアにとっては魅力的で、日本政府が金融支援に堅い態度をとるのとは対照的だ。一方韓国もLGやサムソンはインドネシアでリスクあるプロジェクトに投資をし、韓国人コミュニティは最大になっている。かつて最大だった日本人コミュニティは劇的に縮小している。

強い円の黄金時代は数十年続いたが、いまや衰えつつある。その原因は長いこと日本のODAに頼っていた東南アジアであるが、今や外国からの借金は人気がなく、条件は悪くともインドネシア政府は国際市場から資金調達を選択する時代になった。

インフラが悪い、腐敗が蔓延している、法整備がもう一つ、などと言いながら日本企業がインドネシアに戻って来だしたのは良いことで、引き続きインドネシア経済で日本企業が主役を演じたいのだろう。しかし、多くのインドネシア人にとって日本の魅力は薄れてきた。80年代、90年代インドネシア人は子供を日本に留学させた。今では日本の大学の卒業生を見つけつるのは難しく、中国語をマスターすることが主流となっている。日本企業でのインドネシア人の活躍の場はせいぜいミドルクラスで経営層には抜擢されないからである。

日本の人口減という事態にも拘わらず、旧態依然とした日本企業の経営スタイルに誰でもが疑問を持つ、他の工業国の企業は世界から人材を採るからである。良い例はシンガポールで、隣国から若者を呼ぶために奨学金だけでなく仕事を世話し、市民権まで与えている。我々は強い日本が必要だ。日本は80年代、90年代に開発支援をしてくれた。しかし、日本こそがグローバルな変化に再調整して適応してほしい。日本人の能力や新しい需要に合わせる手腕はすばらしいからだ。

日本がこのASEAN地域に戻ってくるというがちょっと遅いのではないか。長い間無視しておきながら、戻ってくるのかと尋ねたくなる。日本は小さな隣人を傷つけてきたことを知る必要がある、その痛みを癒すことは簡単ではない。なぜなら中国が高価な贈り物で日本の隣人を誘惑しているからだ。

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