行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

スペイン紀行 グラナダ

2011-06-05 22:02:58 | Weblog

シャラネバタ山脈を越えて白ポプラの原生林を走り、夕方グラナダに到着した。夕食後、サクラモンテの丘にあるタブラオという洞窟へフラメンコを見に行った。タブラオの前からは谷向こうにアルハンブラ宮殿がライトアップされ闇の中に浮かび上がって見えた。ここのフラメンコは以前にマドリッドで見た時間の半分もなくややがっかりした。初めての人はフラメンコはこんなものかと思うのだろう。世界からの観光客でどこのタブラオも満員だった。

翌日、アルハンブラ宮殿へ早朝一番に見物、昨夜の5つ星のホテル「ナサリエス」では水が出なく、部屋替えをしたりして寝たのが1時半だったのでやや眠かったが、宮殿の歴史の重みとイスラム建築のすばらしさで目が覚めた。ここはシェラネバタ山脈の伏流水が豊かで、暑いスペインのオアシスのような処だ。

この国に来て、レコンキスタ(回復)と言う言葉を良く聞いたが、イスラムから国土をキリスト教徒が奪い返した象徴がこのアルハンブラ(アラビア語で赤い城の意)だ。レコンキスタ運動は、この城をイサベラ女王が1492年に奪い返して完結された。平和裏に城の鍵を渡し、当時のイスラムの王が名残惜しそうに振り返りながらモロッコに帰った絵がプラド美術館にあった。

アルハンブラ宮殿の外見は質素そのものだが、内部の豪華さと建築技術はその後のスペインの建築に大きな影響を与えている。一例を挙げると、パティオ(中庭)はイスラム教徒にとって祈る前に身を清めるところだ。従って必ず泉があり、泉が噴水になったりしている。水のない中庭はパティオとはいえない。下の写真はハーレムで鍾乳石のような彫刻が天井に施されていた。

これだけの宮殿がその後、荒れ放題のところを米国人ワシントン・アービングが「アルハンブラ物語」を書いてその価値を評価したため、世に出て修復が重ねられ今日に至った。同名のワシントン・アービングホテルが宮殿の側にあるが、廃業して幽霊屋敷として名を馳せているのは皮肉なことだ。


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