週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#295 -’23. 聖護院門跡を訪れて。(秋の特別公開)

2023年12月30日 17時48分11秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

*謝罪させて頂きます。一旦アップした物を追加してアップした為に既にリアクションして下さった方のアイコンが消えてしまい失礼しました。申し訳ありません。* 以上の文は後日消去させていただきます。

聖護院門跡秋の特別公開にお邪魔しました。

次の聖護院門跡のHPからと、秋の特別公開の開催趣旨初公開「書院」拝観の見所は特別公開のHPから引用させて頂きました。

聖護院門跡とは

門跡の雅と、厳しい山岳修行の寺。

当院の沿革は寛治四年(1090)、白河上皇の熊野御幸に先達を務めた増誉(ぞうよ)大僧正が寺院を賜り、「聖体を護持した」というその功績から「聖護院」と称したことに始まります。
後に戦乱・火災によって京都を転々としましたが、延宝四年(1676)、創建の地でもある現在の場所に再建されました。

その当初から皇室と深い結びつきのあった聖護院では、出家された皇族や摂家の方がたびたび住職を務められました。このような寺は門跡(もんぜき)寺院と呼ばれ、日本国内でも数少ない、格式高い寺院とされています。
特に聖護院は江戸時代、天明の大火を逃れて来られた光格天皇が三年間ほど御在所とされた事から、「仮皇居」の史跡指定を受ける唯一の寺院です。寺内には花鳥や賢人、また雄大な自然が描かれた貴重な金碧障壁画が数多く残され、京文化の美を感じることができます。

こうした雅な側面の一方で、聖護院は野山に分け入っての修行を旨とする「修験道」を実践する、本山修験宗の総本山でもあります。春の葛城修行、秋の大峰奥駈修行をはじめとする入峰修行には僧俗を問わず多くの方が参加され、自然の中に仏の教えを観るという山伏の信仰を現代に伝えています。

開催趣旨

 聖護院は役行者を宗祖とする本山修験宗の総本山として、寛治4年(1090)に建立されました。以来国内でも数少ない皇室や摂家より代々住職を迎える宮門跡であり、更に光格天皇の仮皇居としても使われ、日本唯一の史跡旧仮皇居として指定されています。
 現在でも修験道の荒々しい修行を行っていますが、一歩院内に足を踏み入れると当時の宮廷文化をそのままに残す200面近い障壁画や多くの宝物が遺されます。

長年の風雪もさることながら、平成30年9月の台風21号により境内は大きな被害を蒙り、特に門跡筋塀はじめ御所より下賜されて約300年を経た書院の被害は甚大でした。当院は歴史を後世に伝えるべく「書院」・「筋塀」の修理修復を天皇御即位記念事業として発願いたしました。

 大変多くの皆様方のご協力のもと、この度無事に完成したことを記念し、建築当初の美しさを取り戻した書院の特別公開及び、関連展示を期間中に開催いたします。関連展示では書院を建造された後水尾天皇様の宸翰等ゆかりの宝物類や修復工事の様子を展示いたします。
 例年の特別公開では所蔵の内100面以上の金碧障壁画や宝物類をご覧いただいていましたが、今回の特別公開ではそれに加え、修復後初公開の書院(重要文化財)もご覧いただけます。
 

初公開「書院」

 この書院は後水尾天皇ご側室の御殿と伝わり、建物そのものが重要文化財として指定されています。
 修復工事完了後初めて一般公開されるこの書院は、延宝4年(1676)に聖護院が現在の地へ移転してきた時に御所より移築されたと伝わります。
 障壁画が残る二室には、当時としては非常に高価であったガラスを花頭窓に使用するなど贅がつくされています。違い棚周辺には豪華でありながらも緻密な金細工がされていることや、釘隠しに彫金細工の結び文や泥七宝の笹竜胆、細い柱を使った華奢な建物の造りなど女性好みの志向が凝らされており、この書院を女院へ送った後水尾天皇の心配りをご覧いただけます。

花頭窓には当時のガラスが今も使われている

書院内部(修復前)

拝観の見所

 秋の特別公開では普段立ち入ることのできない宸殿や書院といった建物の内部をご覧いただけます。専門のスタッフが巡回して解説しておりますので、ご希望の方はご自由にお聞きいただけます。
 内部の障壁画は全て描かれた当時の本物が今も現役で使用されており、光格天皇や聖護院宮に謁見するため訪れた使者同様の景色を追体験することができます。

大玄関より使者之間

※特別公開時、文化財保護のため一部障壁画の配置が変更されています

 100余面を数える障壁画の殆どは日本最大の画派であった狩野派による作で、波之間を境に京狩野と江戸狩野の作品を見比べることができます。また、今回特別に公開される書院内部には呉春らによる作品も遺されています。
 謁見之間までの道中では、役行者神變大菩薩様、また明治の法難の時に廃寺となった各寺院より預けられた複数の不動明王様など、修験道と関わりの深い仏様へお参りしていただけます。

奇しくも訪問したのは開催日の千秋楽の日でした。

 

1   夜の止観 として次の様にかかれていました。「月に一度、心を整えてみませんか。」と問い掛けられていました。

2   聖護院門跡が彫られた石柱が建っていました。

3   山門を入った直ぐ左手に枝垂れ桜の木が植わっていました。春にはさぞかし美しい事かと。正面に見える白い壁の建物は長屋門です。

4   こちらの聖護院表玄関からはいりました。豪華さを感じさせる唐破風の屋根です。

5   室内は決められた所しか撮影できませんが、案内者の許可が出た所はOKです。修験者のいでたちでお迎え頂きました。

聖護院は役行者(634~701)を開祖とする修験道の総本山です。1090年三井寺の増誉大僧正が白河上皇の「熊野行幸」の先達を勤めた功績によって「聖体護持」より2字をとった「聖護院」を賜り、さらに「熊野三山検校職」に任命され、修験者を統括する全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となった。しかし明治政府によって「修験道廃止令」がだされ、多くの山伏は還俗し、寺院は衰退した。(HPより)

6  宸殿からお庭を撮影です。

7   市松模様の如きのお庭には可愛い小さな猫ちゃんの置物が置かれていました。猫好きの心を揺さぶる可愛らしさです。

8   こんな猫ちゃんが何匹も。

 

9

10  右手奥に見えるのが本堂です。参拝前に、外に出てしまい本堂には行きませんでした。中からしか入ることはできないので、参拝する事は叶いませんでした。 

11

12   説明を受けてから撮影可の所を写真撮影させて頂きました。

13        宸殿の上段の間です

14

15

16     

 

17      書院側の庭園です

18

19

20

21

22

23       書院の中庭から

24

25

26

27

28   見学可能の所を一巡してきました。市松模様のお庭を拝見です。

29

30

31

32   拡大した所です。岩にほら貝が彫られていました。修験道の聖護院ですね。

33

34

35   宸殿をお庭から拝見しています。

36

37   本堂前に居ますがこの後ろの階段を上る事は禁止です。

38

39    役行者の脇に居る猫を拡大して撮影しました。

40

41

42

43

この後、西尾八ッ橋の里にお邪魔して昼食を戴きました。

99

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特別編 【密着14年】甦った「凍れる音楽」東塔 世界遺産・薬師寺  1300年の祈りと悲願達成への足跡【ABCテレビドキュメンタリースペシャル♯34】

2023年12月30日 15時16分52秒 | 国内旅行

薬師寺の東塔が改修されてお邪魔したのが、2021年4月2日です。今回の動画を拝見するまで東塔の素晴らしさや歴史など良く理解していませんでした。今回の動画で自分自身の理解が増したことが嬉しいです。

別スレッドで薬師寺と唐招提寺の単独スレッドをアップしなければと思っても、積み残し積み残しでドンドン在庫が多くなっているのが気になります。

【密着14年】甦った「凍れる音楽」東塔 世界遺産・薬師寺  1300年の祈りと悲願達成への足跡【ABCテレビドキュメンタリースペシャル♯34】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#294 -’23. 清水寺で参拝を済ませてホテルに戻ります。

2023年12月30日 10時00分57秒 | 日常の出来事(日記)

清水寺から坂を下り一番近いバス停に向かいます。ホテルに戻り朝食を摂らねばなりません。記憶違いでなければ、清水坂を下り清水道バス停からバスに乗車してホテル(京都駅)に戻りました。2023.12.28.23.05.46

1    大まかに清水寺を参拝して、タクシーを降りた仁王門前に戻って来ました。後は坂道を下るだけですから楽なものです。

3   沢山の参拝者や観光客が上ってきます。早起きは三文の得ですね。

4

5

6

7

8   右に行くと産寧坂や二年坂を通りねねの道を通るお気に入りの道ですが、ホテルに戻らねばなりません。

9   京都駅に向かうバスの車窓から三十三間堂を撮影です。

10   正式には蓮華王院です。

11   戻って来た京都駅のバス乗り場ですが流石に混み合っていませんでした。

12

13   ドンドンとバスが来ますが、混雑時は列の最後尾は左手の方まで伸びて行きます。

14   ホテルに戻って来てモニター画面を撮影した時が午前8時21分でした。

99

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#293 -’23. 初冬の清水寺(その三)

2023年12月30日 09時37分57秒 | 日常の出来事(日記)

初冬の清水寺(その二)の続きです。2023.12.28.22.28.40

1

2

3   色付いた紅葉の上に子安の塔が見えてきました。

子安塔

聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝えられていますが詳しい創建年代は不明。現在の建物は1500年に再建されたものです。檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、その名の通り安産に大きな信仰を集めてきました。(重要文化財)  HPからの引用です。

4

5

6

7   子安の塔の脇から正面に清水の舞台と本堂が正面に見る事ができます。

8

9

10

11   一番右手に見える檜皮葺の本堂と清水の舞台です。朱色の三重塔も威容を誇っています。

12

13

14

15    清水の舞台から音羽の滝を眺めた時は参拝客はいませんでしたが、ひと廻りして音羽の滝まで来ると参拝の方がおりました。

音羽の瀧

清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。 HPから引用させて頂きました。

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27    番のマガモが泳いでいました。

28

29

30

 

99

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンター