光明寺の後に訪問したのが、今回のアサヒグループ大山崎山荘美術館です。
大山崎山荘美術館のホームページから引用させて頂いた歴史を次にアップします
歴史
アサヒグループ大山崎山荘美術館は、京都府大山崎町、天王山の南麓にあります。約5500坪の庭園のなか、英国風山荘である本館と安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」、「夢の箱」、その他の建物から構成されています。
美術館本館である「大山崎山荘」は、もとは関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)の別荘として、大正から昭和にかけ建設されました。
加賀正太郎は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家である一方、大山崎山荘で蘭の栽培を手がけ、植物図譜《蘭花譜》(らんかふ)を刊行するなど、趣味人としても大きな業績を遺しました。加賀は、ニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を深い親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長・山本爲三郎に託しました。この縁が、現在の美術館へと受け継がれていきます。
ビールとウイスキーという新たな文化をわが国にもたらした二人が紡いだ時代の糸は、やがて桂川、宇治川、木津川、三つの川が合流するこの大山崎の地でひとつになります。
1954年に加賀正太郎が亡くなり、ついで加賀夫人がこの世を去ると、1967年に大山崎山荘は加賀家の手を離れることになりました。
幾度かの転売ののち、建物の老朽化が進んだこともあり、1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました。しかし、地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。
アサヒグループ大山崎山荘美術館は、歴史ゆたかな土地に建つ貴重な近代建築と、同時代の先端を行った芸術運動の遺産、そして国際的に活躍する建築家・安藤忠雄が手がけた現代建築の三つを擁して、1996年に開館しました。2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅玕洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されました。開館9年を迎えた2005年には来館者が100万人を、2017年には200万人をを越え、特色あるコレクションと建築、豊かな自然をともに楽しむことのできる美術館として、多くの人に親しまれています。
京都初日は時間との競争の如くなタイムスケジュールでした。最初の目的地は期待以上の素晴らしい、紅葉とお寺の光明寺でした。バスの時刻表と臨時便の発着場所に悩んだものの、結果オーライでした。次に向かうは臨時便の終点の一つ手前の阪急「長岡天神」駅で下車です。何でJRではなくこちらの阪急の駅かと言うと、無料のマイクロバスの始発が阪急の駅から出発してJRに寄ってから大山崎山荘美術館だからです。送迎バスを下車してからも美術館に行くには少し登り坂のようです。バスで座れればとの家内の配慮で下車駅を決定です。検索した次の地図で訪問ルートを決定しました。
阪急大山崎駅で下車してマイクロバスのバス停を探すと有りましたが、バスが停車していません。先を急ぐ身なので、停車しているタクシーに乗りました。行き先を「大山崎山荘美術館」と告げると運転手さんから「無料です。」といわれました。この運ちゃん冗談を言っているのかと、その時は思った次第です。でも、送迎用のマイクロバスが故障で代替え交通機関として本当に無料である事を知りました。乗る前に掲示が有ったかも知れませんが、マイクロが居なければタクシーと決めていましたので即乗ってしまいました。
何でも無料や限定と言う言葉を聴くとウキウキする我が家です。感謝感謝で満足でした。
1 タクシー代が幾ら掛かるかより無料である事が嬉しいのです。アサヒビールの太っ腹には感謝感謝です。アサヒの株はインカムゲインとキャピタルゲインを得て今は手元にありません。でも、値下がりした時又ゲットしようと思っています。
タクシーの車窓から見える左側はJRの線路です。
2 踏切にはガードマンの方が配置されていました。多分、こちらもアサヒビールのの配慮かもね。写真前方は京都方面だと思います。
3 大山崎山荘の配置図です。北方面に天王山山頂へのハイキングコースがあるようです。関西は何処を歩いても歴史と共にある姿を思い出す事が出来ます。
4 アサヒビール大山崎山荘美術館からアサヒグループ大山崎山荘美術館に名称が変更に成ったばかりの様でした。
5 開構して切通にせずにトンネルにしているのもプライベートが守れる感じです。
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7 ここまで歩いて来るだけで沢山の紅葉を愛でながらきました。
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9 こちらは別荘の時ガレージとして使用していた建物のようです。今は美術館に大きなザックなど持ち込めませんから無料のコインロッカーが配置されていました。使用開始時に100円硬貨は必要ですが、荷物を出すために開ければ100円は戻ってきます。奥にはトイレもあります。
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11 小さな門を潜り階段を下れば庭園につづきます。我が家は先に美術館に向かいます。
12 紅葉が美しいですが、直射日光が当たれねば色合いが鮮やかでない写真に成るのは致し方ありません。
13 峠の我が家にも植えてあるドウダンツツジです。パステルカラーの色鮮やかに赤に染まります。
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15 大山崎山荘美術館です。
16 段差が無く車いすでも入れるように配慮されているようです。
17 館内は基本、撮影禁止ですが一部の所と外は撮影可との事でガラス窓越しに美しい紅葉を撮らせて頂きました。
18 青空も入道雲ではありませんが、白い雲と青い空で夏を思い起こさせる感じです。イギリスや北欧の12月とは大きな違いです。
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受贈記念:没後10年 舩木倭帆展
アサヒビール大山崎山荘美術館は、2023年7月1日より館名を「アサヒグループ大山崎山荘美術館」に変更いたします。新しい館名として最初の展覧会となる本展は、当館が2021年2月 、森田昭一郎氏(森田酒造株式会社 代表取締役)より、舩木倭帆作品105点の寄贈を受けたことを記念するものです。
舩木倭帆(1935-2013)は 、島根県松江市の布志名焼窯元の家に生まれました。島根大学在学中にガラス工芸を志すようになり、卒業後は大阪の清水硝子製造所を経て、東京の各務クリスタル製作所に勤めながら 、同社の伊藤孚氏とともに自由な創作を目指して共同窯を築きます。以降、北九州で活動したのち、1987年、広島に工房「グラスヒュッテ」を設立して精力的に制作しました。
花瓶 、皿 、鉢 、グラス 、茶碗……、舩木が生涯手がけたのは暮らしのなかで活躍するうつわでした。デザインから仕上げまで一貫制作の手仕事によって生みだされたうつわはいずれも、ガラスという素材でありながら、やわらかな温もりと用にかなう堅牢さをあわせもちます。舩木の没後10年を迎える節目の年に、現在もなお私たちを魅了しつづける舩木倭帆作品の数々をご紹介いたします。
美術館の名称が変ってから最初の展示会だそうです。没後10年 舩木倭帆展です。ガラス製品は芸術品に限らず大好きです。
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22 実用品、芸術品に限らずガラス製品は大好きです。
23 素敵な山荘内も可能な所を撮影しましたが、基本建物の外にスマホが向いてしまいます。
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25 ここらからお茶が出来るテラス席です。
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32 大山崎山荘美術館内にある喫茶室です。注文する時、時間制である事を告げられました。沢山の方が利用できるようにと言うことですね。我が家にもある同じウエッジウッドの珈琲カップで家内は珈琲を、自分はビールをいただきました。
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35 安藤忠雄氏が手がけた現代建築のモネなどの絵が展示されている建物に移動します。
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